第66話 大地の精霊の愛し子

 スローモーションのように、目の前の光景が、変化していく。

 その様子を、ブルーベルとアルヴァロは、声を出すこともできずに、ただ見守った。


 さわさわ、と中庭を通っていた風は、ぴたり、と止んだ。

 森の入り口付近の地面が、震え、ゆっくりと盛り上がっていく。

 小鳥達のさえずりも、ぴたり、と止まった。


 一本の木が、まるで映像のピントがずれるようにして、その姿がぼやけていく。


 次の瞬間、ブルーベルとアルヴァロの前には、一人の、背の高い女性が立っていた。


『ブルーベル』


 女性がささやくと、高くもなく、低くもないその声は、まるで風に揺れる木の葉のざわめきのようだった。


 女性は木の幹に似た、茶色く、乾いた、ゴツゴツとした体をしていたが、肩から上は、人間の女性と変わらないように見えた。


(大地の精霊デイナ、来てくださってありがとう)


 ブルーベルが心の中で言うと、デイナは嬉しそうに笑った。


『ブルーベル、そなたに会いたかったのは、話したいことがあるからなのだ。そなたにも、聞いてほしい。アルヴァロ・ヴィエント公爵』


「どうぞ、アルヴァロと呼んでください」


 デイナがうなづいた。


『ブルーベル、そなたは、わたくしの特別な子。大地の精霊の愛し子なのだ』


「大地の精霊の……愛し子……って?」

「ブルーベル。特に精霊達に愛される者は、アルタイスでは、愛し子と呼ばれるんだよ」


 アルヴァロが説明してくれる。

 ブルーベルはデイナを見つめた。


『わたくしは、そなたの母を知っている。そなたのことも、小さい頃から、知っていた。ずっと、見守っていたのだ。……そなたは、ドゥセテラの人々の言う、土魔法が使えたであろう?』


 ブルーベルは、はっとした。


「はい」


『そなたは、大地の祝福を受けた存在。大地から産まれる、鉱物はそなたに魔力を供給する。あの時、そなたがクリスタルの剣を得られたのは、そなたが、大地の精霊の愛し子だからだったのだ』


「……!」


 ブルーベルは驚きのまま、デイナを見つめた。


『そなたが求めれば、クリスタルの剣は、現れる。そのことを覚えていてほしい』

「は、は……い」


『そして、これは、わたくしが、そなたに……そして、アルヴァロ、そなたにも告白しなければいけないこと。……あの時、わたくしが、傷つけられたそなたの顔を覆う銀の仮面を付けた。少しでも、そなたの心を守るために』


「え……!?」


 ブルーベルは声を失った。

 一方、アルヴァロは、納得したかのように、小さくうなづいた。


『ブルーベル、わたくしはそなたを守ることができなかった。そこで、せめて、あの呪いが解けるまで、そなたの傷を負った顔を、大地の力で、覆っておこうと思ったのだ。そなたが直接、傷を見ることがないように。そして、銀の仮面を通して、大地の癒しの力が、そなたに流れるように』


「あ……」


 ブルーベルはかすかに震えていた。

 デイナは心からの労りを込めて、ブルーベルを抱きしめた。


『あの時、そなたがムーンストーンのネックレスを身に付けていたから、助けられた。全ての鉱石は、大地につながっている。大地からの贈り物なのだ』


 ブルーベルは顔を上げて、デイナを見つめると、デイナは微笑んだ。

 デイナの全身が再び震え始める。彼女の全身がぼやけ始めた。


『愛しい子よ、幸せになるのだ』

「大地の精霊……!」


 デイナの姿は消えた。

 そこにあるのは、オークの木々が立ち並ぶ、いつもと変わらぬ、森の入り口である。

 中庭に風が通り、小鳥達も、そのさえずりを始める。


「ブルーベル」


 アルヴァロはブルーベルを抱き寄せた。


「あなたは、一人ぼっちではなかったんだ。ドゥセテラにいた時も、あなたは大地の精霊の愛と祝福の中にいたんだな」


「アルヴァロ様……!」


 ブルーベルは両手をアルヴァロの首の後ろに回し、しっかりと抱きついた。

 アルヴァロが彼女を安心させるように、そっと背中を撫でてくれる。

 ブルーベルの目からは、涙があふれ、止まらなかった。


 どうして、こんな仮面が付いているのだろう、と何度恨んだだろう。

 気にしないようにしようとしても、いつも、心のどこかに、自分は仮面を付けた王女だ、という意識があった。


 しかし。真実は。

 あの仮面は、傷でも、痛みでもなかった。

 あの仮面は、愛と労り、だったのだ。


「わたしは、大地の精霊に愛された王女だったのですね?」


 アルヴァロが愛おしげに、ブルーベルの髪を撫でた。


「大地の精霊だけじゃない。他の精霊達にも、愛されているじゃないか。ユニコーンにも。たくさんの人にも。それに」


 アルヴァロが、ブルーベルの顔を上向かせて、ささやいた。


「私もだ。愛している、ブルーベル。心から、これ以上ないほど、あなたのことを、愛している」


 ブルーベルの瞳から、またひとつ、涙がこぼれ落ちた。


 アルヴァロの唇が、そっとブルーベルの唇をふさぎ、それからしばらく、二人は静かに寄り添い続けたのだった。

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