第65話 貴女に花を贈ろう

 ブルーベルは一週間眠り続け、ようやく目を覚ました時には、部屋中に溢れるお花に囲まれていて、驚きのあまり目をぱちぱちとさせた。


「……お花屋さん、みたい……」


 ベッドサイドテーブルはもちろん、コーヒーテーブルの上、書架の上、出窓、果ては床の上にも大きな花瓶が置かれ、数えきれないほどの切り花が、色鮮やかな姿を見せていた。


「ここ、わたしの部屋、よね……?」


 花が多すぎて、本来の部屋がどんなだったか、思い出せない。

 ブルーベルが首をひねっている時だった。


 そこに、ドアがそっと開き、大きな花束を抱えて、鮮やかな青い髪をした男性が入ってきた。サイドの細い三つ編みが揺れた。


「アルヴァロ様?」

「え!?」


 ブルーベルが声をかけると、ばさ! と大きな花束が床に落ちる。


 青い髪の男性は、もちろん、アルヴァロだった。

 ブルーベルの、大切な婚約者だ。


「ブルーベル!!」


 アルヴァロは叫ぶと、入り口からたった三歩でベッド脇まで来て、ブルーベルをぎゅっと抱きしめた。


「ブルーベル!! よかった。心配したんだ。皆、大丈夫だとは言っていたが、なかなか目を覚まさないので……あなたがずっと目を覚まさなかったらどうしよう、と。とても怖かった……」


「アルヴァロ様、ご心配をおかけして、申し訳ありません。わたしは大丈夫です」


 アルヴァロは慌ててブルーベルから離れると、ブルーベルを上から下まで何度も見つめる。


 とはいえ、ベッドの上で起き上がっているブルーベルの体は、半分、まだブランケットの下に隠れているのだが。


「顔は」

「え」

「顔に、痛みはないか?」


 アルヴァロが慎重にブルーベルの顔を観察している。


「顔に触れても?」

「もちろん、構いません」


 アルヴァロはそっと、ブルーベルの顔に触れ、何度も何度も、そっとその柔らかな肌を撫でた。


「わたしの顔、大丈夫ですか?」

「もちろんだ。傷一つない。そうだ。一週間も眠っていたのだ。喉が渇いているだろう。何か食べられるか? いや、まず、ミカを呼ぼう。きっと、その、女性は身支度を整えたいだろうからな。いいや、気が利かなくてすまない」


「大丈夫ですよ、アルヴァロ様、そんなに心配なさらないで。あ、あの、お義母様はまさか、いらっしゃらない、ですよね……?」


 ブルーベルが恐る恐る尋ねると、アルヴァロは微笑んだ。


「一週間ずっと、屋敷に滞在している。すぐ呼ぼう」


 アルヴァロが部屋の呼び鈴を鳴らすと……。


「ブルーベル様!!」

「ブルーベルちゃんっ!!!」


 転がり込むようにして部屋に入ってきた、ミカとキアラに、ブルーベルはもみくちゃにされたのだった。


 しかし、ブルーベルは驚いて目を丸くする。


「ミカ……!! 小さくなっちゃった……」


 手のひらサイズになったミカが、背中の羽をパタパタさせて、宙に浮いている。

 ミカは、ペコリ、と頭を下げた。


「ブルーベル様、申し訳ありません……。これでは、姫様のお世話ができず……実力不足でした。あの時、まともに闇魔法を受けてしまって、反動で元の姿に戻ってしまいまして。回復したら、人間の姿に戻れますので」


 そう言って、ペコリ、ともう一度頭を下げたのだった。


 * * *


 ミカが、ブルーベルにすぐ飲ませるものと、軽く食べられるものを用意したい、と言うと、ローリンがキッチンに駆け込んで、シェフにすぐ用意するように命じた。


 何せ、妖精さんの姿である。ミカも普段のように動けず、苦労しているらしい。


 ビヨークがローリンの指示で、すぐにワゴンを押しながらやってくる。

 部屋の前では、キアラがにこにこしながら待っていた。


「ブルーベルちゃんは大丈夫よ。歩けるし、今は、お風呂に入っているの。アルも一旦、書斎に戻ったわ。ブルーベルちゃんの支度ができたら連れて行くから、アルに、階下のサロンで待っているように、言ってくれる?」


「かしこまりました、大奥様」 


 ブルーベルは着替えを済ませると、水分を補給して、落ち着いた。それからしばらくして、キアラと共にサロンにやって来た。


 ミカがブルーベルに付き添い、肩のあたりでパタパタと飛び回り、キアラもニコニコしてブルーベルを見守っている。


ブルーベルは、ドレスではなく、肩にリボンの付いた、淡い水色の軽いワンピースを着て、アルヴァロの前に立って、深々と頭を下げた。


「アルヴァロ様、本当に大変、ご心配をかけて、申し訳ありませんでした。わたし、大丈夫です……!」


 そう言って、まっすぐにアルヴァロを見上げたブルーベル。

 長い銀髪は自然に背中に流し、化粧もほとんどしていない。

 しかし、銀の仮面はもはや見当たらず、傷一つすら見当たらない、本来の容貌そのままに、ブルーベルは微笑んでいた。


 それを見ると、キアラはパタパタ飛び回るミカを捕まえ、「キッチンへ行きましょうね〜」と言いながら、そっと部屋を出た。


 ブルーベルが笑っている。

 それだけで、アルヴァロは嬉しかった。

 ぎゅ、とブルーベルを抱きしめる。


「辛かったな」


 そうアルヴァロが言えば、ブルーベルはそっと首を振った。


「辛く、なかったです。アルタイスに来てから、アルタイスの皆さんは、とても優しくて。わたしはいつも励まされて、辛いことなどありませんでした」


「ブルーベル……!」


 思わずアルヴァロがぎゅうぎゅうとブルーベルを抱きしめていると、背後のドアの向こうから、何やらごそごそと言い合う声がした。


「あらあら♡まだお取り込み中みたいねえ……」

「せっかく、みんなで一緒にお昼ご飯を食べようと思ったんですがねえ」

「もう少しだけ、待ってあげましょうよ」


「ん?」


 さすがにアルヴァロも気がついて、顔を上げた時だった。

 ドカ! と何かがドアを蹴破る音がして、純白のユニコーンが駆け込んできた。


「ユニコーンさん!! 嬉しい! 心配して来てくれたのね!?」


 ブルーベルが、ユニコーンに抱きついて、その首をぽんぽんしている。

 ミカがあたりを飛び回りながら、恐る恐るアルヴァロに声をかける。


「アルヴァロ様、ええと、みんなで一緒に食事をしようかと、準備をしたのですが……よかったですか……?」


「も、もちろんだ。ブルーベルが元気になって、嬉しいことだからな」


 その時。


 今度は、中庭に面したドアが、バーーーーーン! と開いた。

 屋敷の周りから、精霊や幻獣達が大挙して押し寄せてくる。

 ウサギやシカ、といった動物達も中庭にちょこんと座って、サロンの様子を見守っている。


『ブルーベル、ありがとう』

『ありがとう、私達を守ってくれて』

『ありがとう、ブルーベル』


口々にブルーベルへのお礼を言う精霊達。


「あらあら、すごいわね」


 キアラが苦笑した。

 アルヴァロは改めて精霊達のブルーベル愛に口をぽかんとする。


「我が妻が。人気者過ぎて近づけない」

「……アルヴァロ様、それ俳句ですか?」


 ビヨークとミカが、ぽかんとしているアルヴァロに苦笑する。

 ミカは、ちょこんとビヨークの肩に乗っかり、心なしか嬉しそうだ。


「我が妻って。自分のものと宣言できるんですか、あなたは。まだでしょ?」


 と、ビヨークは容赦がない。


 確かに、結婚式も、しょ、初夜もまだです。


 とどめを刺したのは、幻獣ユニコーン。

 ブルーベルお気に入りの幻獣は、ブルーベルに抱きつかれながら、確かに「ふふん」とアルヴァロを見て、鼻で笑ったのだった…………。


 * * *


 大騒ぎの中、みんなで食事を楽しんで、午後は一同で中庭に移動して、お茶を楽しんだ。

 ヴィエント公爵邸は、自由な気風が取り柄である。


「アル、ブルーベルちゃん」


 キアラが、そっと二人を呼んだ。

 三人で、お茶の席を少し離れる。


「わたし、今夜湖に帰るわね。次に来るときは、結婚式よ」


 キアラはブルーベルを抱きしめた。


「帰る前にね、あなたに言いたいことがあるのよ」


 キアラは、優しく、ブルーベルの髪を撫でる。

 まるで、本当の母親のように。


「あの時、ブルーベルちゃんが大地の精霊からクリスタルの剣を受け取り、その剣で、フィリス・ノワールをクリスタルに閉じ込めた」


「はい」

「あの時、大地の精霊があなたに話しかけたでしょう? 彼女の名前を覚えている?」

「はい、もちろん」

「大地の精霊に呼びかけなさい。彼女はあなたに話したいことがあるはずよ」


 ブルーベルは不思議そうに、キアラを見つめた。


「さぁて、なくならないうちに、チェリーパイを食べておこうっと!」


 キアラはそう言うと、お茶のテーブルに戻っていく。


 中庭に、さわさわ、と風が通っていく。

 楽しそうな笑い声や、話し声。


 ブルーベルは困った顔になって、言う。


「どうしましょう?」

「うん、そこまで言われたら、呼びかけてみるといいんじゃないか?」


 ブルーベルは笑った。


「ですよねえ」


 ブルーベルはそのままアルヴァロを見上げる。


 ふと、アルヴァロのことを、知り合ったばかりの頃は無表情で怖い、と思ったことを思い出した。


(ふふ、今から思うと不思議ね。この方は、いつもまっすぐで、ちょっと不器用なだけなのに)


「アルヴァロ様、一緒にいてくださいますか?」

「もちろん」

「手をつないでもいいですか?」


 アルヴァロは、答える代わりに、ブルーベルの手を握ってやった。

 お花の形をした、婚約指輪を付けた、ブルーベルの指先に、自分の指を重ねる。


 ブルーベルは微笑むと、目を閉じた。


(何て、幸せなのでしょう。こうして、応えてくれる方がすぐそばにいる)


 心は落ち着いていた。

 ブルーベルは大地の精霊に呼びかける。


(……大地の精霊、デイナ。あなたにお会いしたいです)

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