第53話 王女の価値を示せ
カタカタ、と夜風を受けて、寝室の窓ガラスが揺れて音を立てている。
「フィリス様、お寒くはございませんか? まもなく、皇帝陛下がお越しになるそうです。もし、お寒いようでしたら、こちらのガウンを」
フィリスの侍女アテナが、薄い絹のガウンを差し出した。
これも、淡いピンク色だ。
薄暗い部屋の明かりでは、ほとんど白に見える。
フィリスはうんざりしたような表情で、頭を振った。
「大丈夫よ。ねえアテナ。あなたのお部屋はどこに用意されていたの?」
アテナはフィリスのために、ハーブティを一杯、入れてきた。
熱くもなく、ぬるくもない、ちょうどいい温度だ。
「私のお部屋は、フィリス様のお部屋のすぐ裏にあります。何かありましたら、すぐ駆けつけますからね、大丈夫ですよ」
フィリスは物憂げに、部屋の片隅に下がっているベルを見つめた。
とはいえ、初夜にやってきた夫を見て、ベルを鳴らすわけにはいかない。
「アテナ、わたくしのドレスや、家具はどこにあるの? 部屋のどこにも見当たらないわ」
「は……い、きちんと保管されておりますよ。このお部屋は、仮住まいのお部屋ですので……正式に皇后となられた暁には……きっと」
アテナの言葉の最後が、あいまいに揺れた。
要は、部屋に運び込むことは許されなかった、ということだろう。
フィリスはハーブティを飲んだ。
知らずに、涙がこぼれ落ちる。
「ねえ、アテナ。わたくし……ドゥセテラに、帰りたい……」
フィリスはがちゃん、と乱暴にティーカップをテーブルに戻した。
眉を寄せて、自分が身に付けている、淡いピンクの、薄い夜着を見る。
「わたくし、こんなもの、着たくないわ。トゥリパじゃあるまいし、こんな色の服、わたくしは好きではないの。この部屋も嫌い。どうして、わたくしは皇帝陛下の隣のお部屋に入れてもらえないの? どうして、スティラは赤の衣装を着て、皇帝陛下の隣のお部屋にいるの?」
「フィリス様……」
アテナも涙ぐんだ。
「フィリス様、どうぞ落ち着かれてください。今は、どうぞご辛抱ください。フィリス様が、皇帝陛下の正妃であることは、明らかな事実。皇帝陛下もいずれは……それには、フィリス様、皇帝陛下のお子を賜れば、きっと……」
アテナは涙を拭いて、フィリスを立たせ、フィリスの装いの最後のチェックをする。
「さあ、涙を拭いてくださいませ。皇帝陛下がいらっしゃいます……」
「アテナ」
アテナは、心を鬼にして、そのままフィリスを寝室に置き去りにして、退出した。
そのまま、侍女用の、控えの部屋に入り、ぴたりとドアを閉める。
それからしばらくして、皇帝が部屋に入った気配がした。
* * *
細面のアルセスは、美しい容姿の男だった。
長い黒髪も、黒い切長の目も、もし普通に出会ったなら、フィリスは好ましいと思っただろう、そう感じた。
しかし、フィリスの出会った皇帝アルセスは、その傍らに赤い衣装で着飾った愛妾スティラをいつも伴っているような男だった。
一人でフィリスの寝室にやってきたアルセスは、ベッドの上に腰掛けるフィリスを何の感情も交えない目で、眺めた。
「これが、私の妃、というわけか。フィリス、服を脱げ」
「……なんですって?」
フィリスは苛立ちを込めて、アルセスを睨みつけた。
「自分の持ち物がどんなものか、品定めをするのはおかしくあるまい」
そう言うと、アルセスは無造作にフィリスの着ていた薄い夜着を引っ張って脱がすと、床に放り投げた。
フィリスは反射的にベッドの上で後退りをする。
アルセスはフィリスの肩を掴むと、ベッドの上に押しつけた。
「あ」
フィリスはもう逃げることもできなかった。
皇帝アルセスはフィリスの白い裸体を無表情に眺める。
「顔もそうだが、体も、悪くはない」
アルセスはフィリスの腰から足へと、ゆっくりと手を這わせる。
「気が向いたら、抱きに来てやる。いつ来てもいいように身支度をしておけ」
アルセスはそう言うと、もう興味を失くしたように、フィリスからあっさりと離れた。
フィリスは唇を噛み締めて、もはや何も言うことができない。
ただ、ベッドの上で、無防備な裸身をさらして、震えないようにと唇を噛み締めるだけだ。
そんなフィリスを眺めながら、アルセスは続けた。
「改めて言うまでもないが、覚えておけ。私に逆らうことは、一切、許さない。我が愛妾の言葉は我が言葉と思え。彼女を尊重するのを忘れるなよ。ついうっかり、とでも忘れたら、二度と忘れないようにしてやる」
「う……」
もうこらえることができず、フィリスの顔を、涙が伝った。
その様子を不思議そうに見て、アルセスは首を傾げる。
「何と気弱そうな様子を見せるのか! フィリス、お前の価値は、その顔と体だけか? お前は、優れた闇魔法の使い手なのであろう? それは、スティラにはないものだ。お前は、高貴なドゥセテラの第一王女。誇り高い女のはずだ。私に役立つことを示そう、とは思わないのか?」
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