第43話 幻獣の森
「アルヴァロ様、おはようございます!」
翌朝、ピクニックに行くために、ブルーベルがミカと一緒に中庭に出ると、そこにはアルヴァロだけが立っていて、一緒に行くはずのビヨークの姿は見えなかった。
「おはよう、ブルーベル。さあ、行こうか」
アルヴァロはてきぱきと、ミカが持参したバスケットを取ると、ローリンがロバの背中に載せた。
「ではアルヴァロ様、ブルーベル様、行ってらっしゃいませ」
お辞儀をして見送るローリンにお辞儀を返しながら、ブルーベルはショートブーツを履いた足元で軽快に歩き始める。
その後ろをミカが続き、ロバは自分でトコトコと付いてくる。
歩くとウサギのように大きな耳が、ゆさゆさと揺れる。
(か、可愛い……!!)
ブルーベルは初めて見る、ロバの姿にクギ付けになった。
しかし、ビヨークはまだ現れない。
確か、ビヨークさんも一緒に行くと言っていなかっただろうか?
「アルヴァロ様、ビヨークさんは、体調でも悪いのですか?」
ブルーベルが尋ねると、アルヴァロは笑った。
「ビヨークは元気いっぱいだ。ほら、見てごらん」
アルヴァロが指したのは、芝生の先に続く、幻獣の森の入り口。
大きく育ったオークの木々が重なり、森の奥はうっそうとして薄暗い。
そこに、見覚えのある、大きな白いオオカミが待っていた。
まるで犬のようにお座りをしていて、真っ白で、ふわふわの毛並み。
そして、茶色い右目と、緑色の左目。
「…………あ……っ!」
ブルーベルは驚きのあまり、両手で口元を覆った。
その様子を見て、白いオオカミは得意そうに頭をのけぞらせて、ウォーーーン……と遠吠えしたのだった。
* * *
森に入り歩き始めると、最初はただ暗く思えた森も、さまざまな表情を見せ始める。
高く茂ったオークの木々の下には、育ち始めた若木が伸び、さらにあちこちにブラックベリーの茂みが広がっている。
大きなオークの木の下には、若木だけでなく、どんぐりが落ちて、赤ちゃんのような苗木が育ち始めている。
その合間にクルミやヒッコリー、ペカンの木が育ち、たくさん実を地面に落として、動物達の食料になっていた。
木々の間を抜け、足元の草を踏みしめたような、細いトレイルが続く。
歩いていくブルーベルの前を、時折、ナッツをくわえたリスが横切って行った。
森の入り口からは、ひらひらと飛び回る蝶々の一群が、まるで道案内をするかのように先頭になった。
その後を、大きな白いオオカミが、ゆっくりとした、確かな足取りで続く。
続いて、ブルーベルとアルヴァロだ。
それは、幻獣の森、という名前にふさわしい、どこか不思議な一行だった。
「ビヨークは精霊の血が濃くてね、フェンリルに変身できるんだ。幻獣の森の道案内人にぴったりだよ」
「フェンリル……オオカミさんじゃなかったんですね……」
「うん? まあ、フェンリルも、姿はオオカミだから、間違ってはいないよ」
そうは言われても、ブルーベルは未だ衝撃覚めやらず。
「うう……残念。オオカミさんの毛並みを触って、モフモフしたかったのですが……」
実はビヨークだと知ってしまったら、もうできなそうだ。
下手をしたら、セクハラかパワハラになってしまいそうである。
「ははは……」
アルヴァロが苦笑している。
「ミカは? ミカも知っていたんでしょう?」
「もちろん」
ミカの答えに、ブルーベルはがっくりと頭を垂れる。
「じゃあ、もしかして、ミカも変身できたり、するの……?」
ブルーベルが恐る恐る尋ねると、ミカは笑って、答えてくれなかった。
「ブルーベル、こっちへおいで」
その時、アルヴァロが声を潜めて、ブルーベルを引き寄せた。
肩を抱かれて、一緒に茂みの下に身をかがめる。
ブルーベルは心臓がドキドキした。
「ア、アルヴァロ様?」
「ちょっとここで待とう。何かが動いている」
「ひゃ……」
ガサガサガサッ……!
ブルーベルがアルヴァロにしがみついて息を止めていると、茂みから現れたのは、数匹の白ウサギだった。
「ウサギ……」
ブルーベルが苦笑して、息を吐く。
「んん?」
次の瞬間、ブルーベルは目を見開いた。
「つ、角があります……っ!」
「ああ、ホーンラビットと言う。頭に角があるんだよ。それほど危険はないけれど、角でケガをしないようにね」
「ひゃぁ…………」
ブルーベルは今度こそ驚いて、地面に座り込んでしまった。
「ブルーベル、大丈夫か? 疲れたら言いなさい。ビヨークの背中に乗せてもらえるから」
「えぇ!? いえいえ、結構です。大丈夫です。それではセクハラになってしまいます……っ」
「え??」
ビヨークさんの背中に乗る!?
とんでもない、とブルーベルはぶんぶんと頭を振った。
そんな恥ずかしいことはできない。
ブルーベルは気合を入れ直して、再び歩き始めたのだった。
そして二時間ほど歩いた頃。
その間に、ニワトリとヘビを合わせたようなコカトリスの群れに遭遇したり、森の上空を飛んでいく、小型の翼竜、ワイバーンを見たりした。
しかし、ブルーベルには、アルヴァロが何を探しているのか、わからなかった。
森の中の細い道は長くて、時折、開けた草地に出たり、細い小川が流れたりしている中を、ひたすら歩く。
そして、ついに目的地に到着した。
その時、突然、蝶々がまるで吸い込まれるようにして、木々の向こうに消えた。
白いオオカミが走り出した。
「ブルーベル、行こう」
アルヴァロがブルーベルの手を引いて、早足で続く。
ブルーベルも、遅れまいと懸命に足を運んだ。
そして。
森の小道を上りきった先には、地面を覆い尽くす、青紫色の光景が待っていた。
ブルーベルは声も出ない。
野原の手前で立ち止まり、驚きのまま、視線を右から左へと移していく。
ブルーベルの足元で、小さく可憐な、青紫色の釣り鐘型のお花が咲いていた。
薄暗い森の中で、青紫色のお花で埋まった野原は、まるで淡い光を放っているかのように見えた。
「『ブルーベル』だよ」
アルヴァロがそっと言った。
「あなたの名前は、このお花にちなんで、名付けられたに違いない。あなたの瞳と同じ、青とも紫ともつかない、美しい色だろう?」
そこには、無数の蝶々が飛んでいて、白いオオカミはのびのびと満開のブルーベルが咲く中、歩いたり、寝転がったりしていた。
「あ……ドゥセテラで、花壇に植えられているお花は見たことがありますが、こんな群生は……それに」
ブルーベルは驚いた。
(ブルーベルは、ドゥセテラでは、初夏に咲いていたわ。今は? 夏はもう終わったはず)
「この幻獣の森では、不思議は不思議ではない。あらゆることが起こる場所なのだ」
アルヴァロはそう言うと、ブルーベルの手を取って、青紫色に染まる野原をゆっくりと歩いた。
「ブルーベル様!!」
ミカが突然叫んだ。
ミカの指さす方向を見ると、森の奥から、一頭の、純白の生物が姿を現した。
馬のように見えるが、その額から、一本の角が生えている。
まるで発光するかのように、淡い光に包まれたその神々しい生き物は、ユニコーンだった。
全員が声もなく立ち尽くす中、ユニコーンはまっすぐ歩いて来て、ブルーベルの前に立った。
ブルーベルの心臓が、痛いほどに打っていた。
ブルーベルは、目の前に現れた、美しい生き物を見つめる。
やがて、ユニコーンは頭を下げると、嬉しそうにブルーベルの肩のあたりに頭をこすりつけた。
それはまるで、自分を撫でてほしい、と言っているようで、ブルーベルは恐る恐る右手を上げて、ユニコーンの純白の毛並みを、そっと撫でてやった。
ユニコーンから感じられるのは、穏やかさだった。
ブルーベルは、自分が受け入れらているのを感じた。
自分が顔の右半分を覆う銀の仮面を付けているにもかかわらず、ユニコーンの視線はその仮面を通り抜けて、ブルーベル自身を見てくれている、そんな風にブルーベルは感じた。
ブルーベルは体を伸ばして、ユニコーンの首を抱いた。
「ありがとう、ユニコーン」
ユニコーンの首に顔を押し付けたブルーベルの目から、静かに涙が流れた。
* * *
「う、美しいですねえ、アルヴァロ様」
「ああ……この世のものとは思えないな」
ミカの言葉に、アルヴァロも同意する。
ビヨークが、ブルーベルの群生からすぐのところに、小さな泉と小川を見つけてきた。
一行はお昼休憩を取るために、泉のほとりへと歩き、ロバもトコトコと付いて来てくれる。
もっとも、一行には、新しいメンバーがいた。
「ユニコーン、付いてくるんですね……」
ミカが苦笑しつつ言った。
純白のユニコーンは、さりげなくブルーベルに寄り添い、泉にも付いて来ていたのだった。
「ユニコーンは、気に入った女性を守護すると聞いたことがあるな」
アルヴァロが思案げに呟く。
「お屋敷までついてくるでしょうか、アルヴァロ様」
ミカがそう言うと、アルヴァロは困ったように笑った。
「そうかもしれないな。まあ、ブルーベルを守ってくれるのは、心強いか」
アルヴァロがユニコーンと一緒に川べりで遊ぶブルーベルを眺めていると、ミカが笑った。
「なんだ?」
「アルヴァロ様、きっとご自分では気づいていらっしゃらないでしょうね。いつも、ブルーベル様の姿を、そうして追っていらっしゃるんですよ」
アルヴァロは絶句した。
急にがばっと立ち上がると、どこかへ行ってしまう。
白いオオカミが慌てて、アルヴァロの後を追った。
その時、アルヴァロの耳が赤く染まっていたのを、ミカは微笑ましく眺めたのだった。
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