第38話 精霊魔法(2)

「母上、いいかげん、ブルーベルを離してください。ブルーベルが濡れてしまうではありませんか!」


 アルヴァロは不機嫌そうに言うと、ぺりっとブルーベルからキアラを剥がした。


「アルったら。相変わらずねえ〜。余裕のない男は嫌われるわよ?」

「ブルーベルは繊細なんです。あまりぐいぐい行かないでください。ミュシャ、お前もだぞ」


「もう〜〜〜」

「はぁい、団長」


 これで大丈夫か!?、というような返事だったが、アルヴァロはそれで妥協したらしい。


「ブルーベル。賑やかですまないな。この人は私の母親で、名前はキアラ。湖の精霊で、普段は湖に棲んでいる。でも、水を通して移動できるんだ。この噴水とか。離れにも水盤があるだろう? あれは、母のためなんだ」

「そうだったんですか……」


 ブルーベルは驚いているが、他に言いようがなかった。


「アルヴァロ様は、アルタイス王家には精霊の血が入っているとおっしゃいましたが……具体的に、お母様が精霊、ということは、アルヴァロ様も、半分、精霊なんですね?」


「うん、そうなるかな」

「そうなんですか……」


 キアラが優しく付け加える。


「精霊は姿を自由に変えられるの。キラキラの光にもなれるし、人間の姿を取ることもできるのよ。人間の前で、姿を現す、現さないも、自分自身の意志で決められるの。アルヴァロは人間の子どもとして生まれたのよ。だから心配しないで。見た目どおりよ」


 キアラは微笑んだ。


「真面目すぎて、ちょっと気難しいけど、いい子なの。ブルーベルちゃん、仲良くしてあげてね?」


 ブルーベルは微笑むキアラに思わず目を奪われてしまった。


 年齢を感じさせない、美しい顔だち。

 鮮やかな青い髪は、アルヴァロ様と一緒だ。

 ブルーベルの心がなぜか弾む。

 アルヴァロ様の髪の色は、とてもきれいだと思うから————。


 そんなキアラは、まるで少女のようにころころと笑い、自分にも陽気に話しかけてくれる。


「キアラ様は、本当にお綺麗ですね……。それに、アルヴァロ様とそっくり」


 アルヴァロがブルーベルの思わず出た一言に、ぶほっ、と吹き出した。

 キアラがちらりと息子を睨みつける。


「せっかく未来のお嫁さんが褒めてくれたのに、吹き出す人がいる!?」

「すみません」


 アルヴァロが謝った。


「キアラ様、ね。本当は、お義母様、と呼んでもらいたいところだけど、婚約はしたの?」

「まだです」


「仕方ないわね。じゃあ、まあ、婚約するまではキアラ様でもいいわ」


 キアラは残念そうに言った。

 それからキアラはブルーベルの手を取ると、一緒に芝生の上に腰を下ろした。


 すると、二人の周りに、リスやウサギ、それに蝶々、小鳥などが集まってくる。

 森からアライグマやシカまでやってきた。


 キアラは微笑むと、ブルーベルの右手のひらに小さな光をいくつか落とした。


「今日はブルーベルちゃんに、お土産を持ってきたのよ」


 ブルーベルの手のひらで、やがて小さな光は、それぞれ形も色も異なる小石に変化した。


 丸く磨かれた、乳白色の石。

 ヤジリのような形をした、黒く艶やかな石。

 青と緑の中間のような色をした、透明な八面体の石。

 バラ色に染まった、透明な石。


 そして、涙の形をした、青紫色の石。


「これはね、私の湖に沈んでいる石よ。どう、きれいでしょう?」

「はい!」


 ブルーベルは、嬉しそうに声を上げた。


「じゃあね、どの石が一番好き?」


 そう問われて、ブルーベルは手のひらに転がる石達をじっくりと眺めた。

 軽くうなづく。


「この、涙の形をした、青紫色の石が……一番好きです」


 アルヴァロも優しくブルーベルの手を覗き込む。


「ブルーベルの瞳の色に似ているな」

 ブルーベルがうなづいた。


「はい。わたしもそう思ったのです。なんだか、わたしの涙みたい、って。あ、今のわたしではないんです。わたしは今、とても幸せだから。今ではなく、ドゥセテラにいた頃の自分を、思い出しました」


 キアラ、アルヴァロ、それにミュシャとミカがそっとブルーベルを見つめる。


「そうかもしれないわね」


 キアラが優しく言った。


「じゃあ……どの石が、一番きれいだと思う?」


 キアラにそう言われて、ブルーベルは困惑した。


「難しいな……どれも、美しいと思います」


 キアラはうなづいた。


「わたしもそう思うわ。どれも、美しいの。黒い石も、白い石も、バラ色の石も。黒いから見劣りするとか、丸いからダメ、ってことは、ないんじゃないかしら。お花もそうよね? どのお花もそれぞれに美しいわ。ただ、自分はこの石が他の石よりも『好き』ってだけで、どの石も美しいと思うの」


 キアラはブルーベルを見つめた。

 キアラの瞳は、深い深い青色だ。

 まるで吸い込まれるような、深い湖の、青。


「ブルーベル。あなたには、精霊達と会ってほしいの。彼らが許せば、彼らはあなたにその姿を見せてくれる。彼らはさまざまな容姿をしているわ。大きさも、さまざま。でもね、小石と同じ。誰もが、それぞれに美しいのよ。わたしはあなたに」


 キアラはブルーベルの右の頬にそっと手を触れた。

 銀色の仮面で覆われた、ブルーベルの顔の右半分。


「ブルーベルに、本当の美しさを、知ってほしいわ。あなたは、どんな形であっても、あなたで。あなたという形で、美しいのだから。自信を持って」


「キアラ様……」


 ブルーベルの目から、涙がこぼれ落ちた。


 優しい風が、庭を吹き抜けていく。

 キアラはブルーベルを抱きしめた。


「あなたは、大切な、わたしの娘よ」


 * * *


「ブルーベル、落ち着いたか?」


 ブルーベルはアルヴァロ、ミカ、ミュシャと共に離れに戻ってきていた。

 キアラは「もう戻らなくちゃ。忙しいわ〜」とぼやきながら、噴水の中に消えた。


 ほんの一瞬だ。


 ブルーベルはぽかんとして、思わず隣にぴたーっとくっついて座っているアルヴァロに尋ねた。


「アルヴァロ様も、あんな風に姿を消したり、変身できたりするんですか?」


 アルヴァロは苦笑した。


「期待を裏切って悪いけど、私はできないよ。うん、人によるんだ。精霊の血が入った人間で、変身できる人を知っているけど……」


 ビヨークが慌てて、首を振る。


「まあ、なんだ。そう、私は人間の血の方が濃いらしいな」

「そうですか。ちょっとほっとしました」


 ブルーベルは安心したようにうなづいた。


 ミカが熱いお茶を入れ、アルヴァロが持ってきたクッキーの詰め合わせを開けて、皆でティータイムを始めたところだった。


 ブルーベルの前には、色とりどりの湖の小石が並んでいる。


「ブルーベル、石が気に入ったなら、後でガラスびんを届けさせよう。びんの中に入れて、飾っておけばいい。心配するな。もっと欲しければ、母上は大喜びで何個でも出してくれる。湖には山ほどこんな石が沈んでいるんだから、どんどん貰えばいい」


 ブルーベルは慌てて首を振った。


「まさか、そんなことはできませんっ! い、いただいたものだけで十分です。キラキラして、本当にきれい」

「この涙型の石は、加工してネックレスにでもできそうですね?」


 ミカが感心しながら言った。


「ネックレス? なるほど……」


 アルヴァロもうなづく。


「皆さーん! それはそうと、魔法の話もしなくちゃ」


 ミュシャが珍しく真面目な声で言った。

 一同、はっとしてミュシャに注目した。


「結果から言いますと、ブルーベルちゃんが使っているのは、土魔法ではなく、我々アルタイス人が使う魔法と同じく、精霊魔法です」


 ミュシャが整然と説明を始める。


「そもそも、詠唱も魔法陣も必要としない。ブルーベルちゃんは、ただ、植物や風、といった存在に『お願いする』だけです。ブルーベルちゃん自身も、自分の魔法が、お姉さん達の魔法とは違うな、って思っていたでしょう?」


 一同の視線がブルーベルに集まった。

 ブルーベルは、ゆっくりと、うなづいた。


「はい……おっしゃるとおりです」


 お花や、風に話しかけること。

 そうして、変化が起こること。

 それは、ブルーベルだけの秘密だった。

 でも、ここでなら、もう喋ってもいい。


「よし」


 アルヴァロはブルーベルの手を握った。


「母が言ったことを覚えているか? 近いうちに、ブルーベルを精霊達のところに案内しようと思う。精霊魔法は、精霊に選ばれた者が、精霊と契約して、使えるようになる魔法だ。私も協力するし、ミュシャも、母もブルーベルを助けてくれる。やってみれるか?」


 ブルーベルは重ねられたアルヴァロの手を感じた。

 大きくて、温かい。


 ここにいる誰も、ブルーベルの顔について、何も言わない。

 まるで、そんなこと、些細なことだ、とでも言うようにーー。


「はい」


 ブルーベルは言った。


「よろしくお願いします!!」

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