第37話 精霊魔法(1)
「ブルーベルちゃん、来ちゃったぁ!!」
「ひゃあ!!」
ブルーベルが朝食後に庭の散歩を楽しんでいると、突然、背後から抱きつかれた。
思わず、ブルーベルが両腕を振り回して逃げようとすると、急に拘束が解けた。
いつの間にか、ミカが忍び寄り、ミュシャの耳をぎゅうっと引っ張っていた。
ミカの柔らかな茶色の髪が、何やら怪しい感じにふわふわと揺れている。
ミカは、じぃ————っとミュシャのグレーの瞳をまっすぐに見つめた。
「いたたたたた、ミカちゃん、ごめんなさい。もうしません、離してください」
「ミュシャ様! いくらアルヴァロ様の部下でも、けじめはつけてくださいね。大体、ブルーベル様に抱きついたら、アルヴァロ様だってお怒りになりますよ。アルヴァロ様自身が、まだ数えるほどしか、ブルーベル様を抱きしめていないんですから。……ん、たった一回だけだったかしら?」
「ミ、ミカ!? 数えてたの!?」
全く、何を言い出すのだ、とブルーベルはまた慌てる。
「ミュシャ様、おはようございます」
お騒がせな彼は、アルヴァロの部下で、童顔だが、これでも魔法騎士団の騎士。(本人いわく)強力な闇魔法を操る魔法使いでもある。
いい人だし、優秀な魔法使いであるとブルーベルは思うが、何しろ距離が近くなりがちなのが困ったところだ。
そそそ、とさりげなくブルーベルがミカの後ろに移ると、ミュシャは笑いをこらえている。
「ブルーベルちゃん、可愛いなぁ。今日はね、ちゃんと団長の指示で来てるんだよ。安心して」
「アルヴァロ様の?」
ブルーベルが、ミカの背後から、ぴょこん、と顔を出した。
「そう。なんと僕、ブルーベルちゃんの魔法の先生になっちゃったんですー!!」
「えぇええええ!?」
さわやかな朝の空気の中で、ブルーベルの悲鳴は、よく響いたのだった。
* * *
「魔法の授業が、なぜ屋外なんですか、先生?」
ブルーベルに「先生」と呼びかけられて、ミュシャは嬉しげに胸をそらした。
「えへん。それはね。生きた授業のためです! ブルーベルちゃんは、どうやって魔法って使うんだと思う?」
「一般的には、詠唱や魔法陣を使用し、自身の魔力をそこに流して、望む結果を実現します」
「うん、そうだね。で、ブルーベルちゃんは、そうしているの?」
沈黙が訪れた。
ミュシャは微笑みを浮かべながら、ブルーベルが答えるのを、待っている。
「……いいえ」
ようやく、ブルーベルは答えた。
その答えを聞いて、ミュシャは嬉しそうに笑う。
「だと思った。さて。じゃあ、今日はブルーベルちゃんに、実際に魔法を使ってもらおうか?」
ごくり、とブルーベルは喉を鳴らした。
「あの、わたし、魔法はあまり自信がなくて」
「どんな魔法でもいいんだよ。まず、どんな魔法ができるのか、教えてくれるかな?」
「はい……そうですね。お花を咲かせたり、風を吹かせることができます」
「じゃあ、やってみてくれる?」
ブルーベルは空を仰ぎ見た。
ミカは二人の邪魔にならないように、そっと後ろに控えていた。
(うう……仕方ない。やるしかないわ)
ブルーベルは庭を見渡した。
つぼみを付けているけれど、まだ花が開いていない花壇がある。
(うん、これはユリね)
ブルーベルは花壇の前に膝を着くと、両手を差し出した。
目を閉じて、そっと祈る。
すると、ミュシャとミカの見守る中、ユリのつぼみが、まるでスローモーションのようにふくらみ始め、やがて、ゆっくりと開き始めた。
一本、そしてまた一本。
最終的には、花壇の全てのユリが、花開いた。
ミュシャが目を見張る。
「今のは、どうやって? 無詠唱で魔法をかけたのかな?」
「ええと、ユリさんに……ユリのお花に、お願いしました。まだ咲くのに早いところ申し訳ないけれど、お花を開いてくれないかしら、って」
ブルーベルの声はだんだん小さくなり、ついにうつむいてしまった。
「ごめんなさい。これ……魔法じゃないですよね……わたし、魔法って、よく知らないのです……」
「アルヴァロ様を呼んで来ましょう」
ミカがそっと呟き、ミュシャも「お願い」とうなづいた。
「ブルーベルちゃん、じゃあね、次は、風を吹かせてみてくれるかな?」
「はい」
ブルーベルは立ち上がった。
周囲を見渡す。
公爵邸の後ろに深い森が見える。
青い空に伸びるかのように、木々の高い梢が広がっていた。
こんもりと茂った葉っぱが、時折、そよ風を受けて、キラキラと輝いていた。
ブルーベルは両手を頭上に掲げる。
両手の間を抜けていく空気を感じた。
目を閉じて、指先に感じる空気の流れに集中する。
(風さん、もっと強く吹いてください。木々の梢が揺れて、小鳥達が喜んで飛び回るでしょう)
次の瞬間、ざっという音がして、一陣の風が庭を抜けて、森へと走っていく。
風は森の木々を揺らし、葉っぱのざわめきが周囲に広がっていった。
小鳥達がさえずり、勢いよく空に舞い上がる。
「ブルーベル」
背後から声がした。
ブルーベルが振り返ると、アルヴァロが立っていた。
「大丈夫だよ、ブルーベル。噴水まで一緒に歩こうか?」
アルヴァロはブルーベルを連れて、庭の中央にある噴水まで歩いた。
「今度は、この噴水の前に立って。水の精霊に話しかけてみてほしいんだ。私の……母に会いたい、と願ってみてくれないか?」
ブルーベルは驚いて目を見開いた。
「お、お母様?」
「そうなんだ。私の母は、湖の精霊で、この水を通して、母に話しかけることができるんだよ。試してみて?」
「み……湖の、精霊!?」
ブルーベルはそう言われ、恐る恐る、両手を噴水の中に入れる。
冷たい水の感触。
噴水から勢いよく流れる、水の動きを感じる。
ブルーベルは目を閉じる。
(アルヴァロ様のお母様。わたしはブルーベルと申します。ぜひご挨拶をしたいのですが、お会いできますか……?)
次の瞬間。
噴水の水がざばっとしぶきを上げ、キラキラと光を振り撒きながら、周囲に降り注いだ。
その後に姿を現したのは……。
「ブルーベルちゃんっ!! 初めまして!! わたし、アルの母のキアラですっ! 呼んでくれて、嬉しかったわぁ!!」
まるでミュシャの姉のようなテンションで現れたのは、長い青い髪を垂らした、妙齢の美女、だった。
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