第36話 精霊と出会う(2)
「あれは、精霊だ」
「精霊!??」
ブルーベルが絶句する。
「そうだ。我がアルタイス王国は、正式には、アルタイス精霊王国、という。精霊に祝福された、精霊の暮らす国。そして、我が王家には、精霊の血が混ざっている。もちろん、それは他国に知られたくない。故に、あえて、辺境の蛮族、という評判を流しているのだ」
アルヴァロはブルーベルの肩に手を置き、一語一句、言い聞かせるようゆっくりと話し始めた。
「いいか、ブルーベル。あなたはドゥセテラからやって来たが、あなたはとても精霊とゆかりのある方のように見える。彼らはあなたを愛している。彼らはあなたを歓迎している。だからこそ、あなたはここに来たのだ。あなたは、ここにいていい人なのだ」
ついに、ブルーベルの目から、涙が知らずにこぼれ落ちた。
彼女には、ずっと居場所がなかったから。
誰かに、ここにいていい、と言われたことなど、なかったから。
ブルーベルは涙を止めることができなかった。
そんなブルーベルを見て、アルヴァロは盛大に困惑する。
こんな時、男としては、どうしたらいいものか。
ハンカチを差し出そう、と右手をポケットに入れてみて、そんなものを持ち歩く習慣がないことに気がついた。
気の利いた言葉?
それを言えるくらいなら、苦労はしない。
いっそ、抱きしめてはどうだろうか?
いや、手すら握ったこともないのに!?
そんな大胆な、いや、失礼なことはできないだろう。
今は、ブルーベルではなく、アルヴァロの方が、盛大に困惑していた。
アルヴァロの行き場のなくなった右手が、上がったり、下がったりしている。
(ビヨーク、いや、白いオオカミでも構わない! 助けてくれ……っ!!)
その時だった、ブルーベルが、ふと、地面に落ちている平たい包みに気がついた。
「これは」
「あっ! あっ! これは、それは、あれだな? ええと」
形勢逆転が確実になった。
まさに、アルヴァロの方が危機にあった。
冷や汗がだらだらと流れる。
その様子をぽかんと見ていたブルーベルは、ようやく察した。
今までの贈り物は、この人が。
「あ、ありがとうございました……!」
くしゃくしゃの笑顔でお礼を言うブルーベル。
ブルーベルは地面に落ちて、ちょこっと土が付いている包みを、ぎゅっと胸に抱きしめた。
「アルヴァロ様!! 離れに来てくださいっ!! ほら、いただいた贈り物はとても綺麗で、このように、こちらに置いて眺めています」
「!?」
ブルーベルはアルヴァロの手を引いて、ぐいぐい離れへと走って行った。
玄関のドアを開けると、ミカがびっくりした様子で、手をつないだブルーベルとアルヴァロを眺める。
「ささ、アルヴァロ様、こちらです!!」
ブルーベルは自慢げに、窓際のテーブルの上に積み上げた、アルヴァロからの贈り物を示した。
そこには見事に、贈り物を重ねたタワーが出来上がっていた。
「!!!」
思わず、顔を押さえるアルヴァロ。
ミカは黙って首を左右に振った。
「汚してはいけませんから。それにいつ、お返しすることになるか、わかりませんから、こうして」
そう言って、タワーの一番上に、ブルーベルはちょこっと土の付いた包みをそっと載せた。
キラキラした笑顔のブルーベルが、アルヴァロを見ている。
次の瞬間、アルヴァロはぎゅっとブルーベルを抱きしめた。
「!??」
ブルーベルはびっくりして、アルヴァロの腕の中で、目を白黒させている。
「構わないんだ」
「え」
「これは、ブルーベルのものだ。ブルーベルだけのものなのだ。もしブルーベルがいらないと思えば、捨ててもいいものなのだ。それに、この国では、誰もブルーベルのものを取っていったりはしないのだ」
アルヴァロがそう言うと、ブルーベルは頭をぶんぶんと振って、抗議した。
「す、捨てるなんてできません! こんな、綺麗なもの。怖くて、とても触れませんし、見るだけで幸せです」
「ブルーベル。触ってもいいんだ。もし万が一にでも汚れたら、また新しいものを用意してやる」
「!?」
「だから、遠慮なく、開けてくれ。そして中身を手に取ってほしい」
そう言うと、アルヴァロは、ブルーベルが山のてっぺんに載せたばかりの包みを取った。
手のひらでぱっぱっと土を落とすと、びりっと包みを破る。
中から現れたのは、大判の、カラー印刷の本だった。
「この本はどうだ。ほら、開いてごらん。美しいだろう?」
「わぁ……!」
「これは、絵本、と言う。アルタイスのあちこちにある美しい景色を描いたものだ。ブルーベルにアルタイスを知って欲しくて。こっちの絵本は、アルタイスに暮らす、精霊達を描いたものだよ」
「わぁ……!!」
「ほら、森や草原に、キラキラの光が描かれているだろう? この光は、精霊が特別に心を許すと、別の形になるのだ。物語を読んでいけば、わかる」
「本当ですか!?」
ブルーベルは、すぐに夢中で本を読み始めた。
アルヴァロはそんなブルーベルを藤のソファに座らせ、自分も一人用の椅子に腰かけた。
「……面白いか?」
心配してそう尋ねれば、満面の笑顔で、ブルーベルは「はいっ!!」と答える。
ブルーベルが心から本を楽しんでいるのがわかって、アルヴァロはほっと胸を撫で下ろす。
まるで幼い少女のようだが、もしかして、ブルーベルは誰かに絵本を読んでもらう、そんな子ども時代の体験がないのではないか、そう思い至って、アルヴァロは胸がつきん、と痛むのを感じた。
ミカがタイミングよく、熱い紅茶とコーヒー、それにマフィンと果物を運んでくる。
「アルヴァロ様、どうぞ」
ミカがアルヴァロの前に、コーヒーを出した。
「しばらくこちらにいらっしゃるのなら、ビヨークさんに知らせて来ましょうか?」
そう問われて、アルヴァロは一瞬、考え込んだ。
しかし、あっさりとうなづく。
「そうしてもらおうか。いや、ついでにあいつにもここに来てもらおう。午前中は会議もなかったはずだ。昼食はここで取って、騎士団には午後から出る」
「かしこまりました」
それは、ブルーベルがヴィエント公爵邸にやってきて、二十一日目のこと。
そしてこの日は、アルヴァロがブルーベルに陥落した日に、なった。
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