第28話 ゆっくり慣れていきましょう

「女……嫌い……?」


 離れのサロンに、ブルーベルの困惑した声が響いた。


 それはブルーベルが離れに住み始めて、数日経った頃だった。

 ブルーベルは自分でも驚くくらい、アルタイスでの暮らしに馴染み始めていた。


 あらゆるものが、ブルーベルの心を幸せにするのである。


 朝になれば、ロフトに置かれたベッドで、天窓から聞こえる小鳥の声に目を覚ます。


「おはようございます、姫様」


 階段を降りて階下に行けば、いつも明るくて親切な侍女のミカが、朝食の支度を整えて、待っていてくれる。


 ミカがどんな質問にも、ブルーベルのことを笑ったり、馬鹿にすることなく答えてくれることを知ってからは、ブルーベルはあらゆる質問をミカに投げかけていた。


(わたしは、何も知らなかったな)


 ブルーベルは、初めてそのことを知る。

 そして、ひとつ質問をする度に、新しいことを知り、新しい世界が広がるのを感じた。


 ブルーベルの意識は急激に目覚めつつあるようで、それはミカにとって、とても好ましいことに思えた。


 今朝の話題は、ヴィエント公爵邸の主人である、アルヴァロ・ヴィエント公爵についてである。


 まだきちんとご挨拶をしていない、と心配するブルーベルに、ミカが言った言葉が、それだった。


「女……嫌い……?」


 はい、そうなんです、とミカはあまり心配もしていない様子で、ブルーベルに熱い紅茶を注いでくれた。


「姫様はアルヴァロ様が怒っているのではないか、と心配されているのでしょう?」


 図星の言葉に、ブルーベルは素直にうなづく。


「わたしでも、政略結婚の意味くらい知っているわ。ドゥセテラは王女ビジネスをしている、と言われているの。美しくて、魔法も使える王女を各国に嫁がせて、ドゥセテラの王家の血を入れていくのだと。上手くすれば、王女が産んだ子が、将来の国王になることだって、あるでしょう。そこにドゥセテラの影響力を期待するのよ」


「なるほど」


 ミカはうなづいた。


「王女を娶る方も、多少のメリットはあると思うわ。見た目のいい、きれいな飾り物の妻が手に入るし、魔法は役に立つでしょう……でも、わたしではアルヴァロ様のお役に立てそうもないわ。それに、わたしの魔法は、地味な土魔法なの……」


 ブルーベルは途端に声が小さくなってしまった。


「姫様、お言葉ですが、私には、アルヴァロ様が見た目のいい、きれいな飾り物の奥様が欲しい、とは言いかねますね。それに、美しさはさまざまな形があると思うのですよ。あと、姫様のお顔ですが」


 ミカはそう言うと、遠慮なく、じっとブルーベルの顔の右半分を覆う、銀の仮面を見つめた。


「アルヴァロ様は、むしろ、ブルーベル様を心配していますよ。お顔についても、本当は何が起こったのかを、調べていらっしゃいます」


 ブルーベルは驚いて目を見開いた。


「え……?」


「少しずつ、ゆっくり慣れていきましょう。アルタイスにも。アルヴァロ様にも」


 その時、ふと、ミカはダイニングテーブル脇にある、不思議な水盤に目を留めた。

 ブルーベルの目には、水面が静かに波立っているように見えた。

 ミカはそのまままるで耳を傾けるようにすると、立ち上がった。


「さてと。私は一旦、主屋に戻りますね。何かご入用なものなどありませんか?」


「何もないわ。いつもありがとう、ミカ」


 ミカはふと、思いついたように言った。


「お話相手が必要ではありませんか?」


 そう気を遣ってくれるミカ。


「刺繍や読書をなさいますか? 楽器の演奏は?」

「今まで、あまりしたことがないわ」


 ブルーベルは正直に答える。


「アルヴァロ様にお話してみましょうか。刺繍の基礎や楽器の弾き方を教えてくれる女性もいるのですよ。では、お食事、しっかり召し上がってくださいね」


 そう言うと、ミカは主屋に戻って行った。

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