第26話 ブルーベルの新しい部屋(2)
アルヴァロは庭を歩くブルーベルの様子を、屋敷の二階にある書斎から見つめていた。
ブルーベルは客用寝室から離れに移り、ミカの話によると、離れをとても気に入り、喜んでいたと言う。
特にロフトにベッドがあることをとても面白がっていて、「まるで幼い少女のようでしたよ」とミカは目を細めた。
アルタイスの国王である兄、テオドールから命じられた結婚。
結婚が嫌で、渋る兄を説得して、魔法騎士団に入り、嬉々として訓練に参加していた十代の頃。
『結婚などしたくありません。あのように美しいドレスを着て、微笑んでいますが、私には全く、その微笑みを信頼することができません。彼女達の心の中も美しいと、思えますか? それは、兄上もご存知のはず』
暗に、あなたが当事者だろう、と含めると、テオドールは悲しそうにアルヴァロを見たのを思い出す。
『君の言うことは、わかるよアル。でも、君がそう言うことが、どんなに私にとって辛いか、考えたことはあるかな?』
そう言いながらも、テオドールは用意した縁談を全て白紙にしてくれた。
それから何年も経ち、アルヴァロは今や、魔法騎士団の団長を拝命するまでになってしまった。
とはいっても、王弟で、公爵位を賜っている身。
おまけに、兄である国王はいまだ独身。
有事の際に、騎士団を率いて、戦闘に飛び込めるかといったら、まず周囲に止められるだろう。
つまりは、お飾りの団長のようなものだ。
とはいえ、そのままお飾りでいるような性格ではない。
アルヴァロは得意の魔法を駆使して、アルタイスの安全確保のためにさまざまな守護をかけていた。
さらには、わざとアルタイスが『辺境の蛮族』であるという情報を流し、他国の目に留まらないような工作もしている。
実際のアルタイスは、王国であり、しかも、ただの王国ではないのだが————。
物思いに沈むアルヴァロは、ふと、ブルーベルの姿を見失った。
はっとして思わず立ち上がり、窓から周囲を見渡して、ブルーベルを探す。
「いない!?」
ビヨークは、と思って書斎を見回すが、そういえば、自分一人で書類を作りたいから、と家令兼、補佐役のビヨークを部屋から追い出したことを思い出した。
アルヴァロは落ち着かなげに足踏みをする。
もちろん、庭は安全だ。
危険がないように、もちろん、敷地内には数々の仕掛けをしている。
しかし、庭は広い。
もし屋敷を囲む森に迷い出てしまったら?
アルヴァロはドゥセテラの離宮でこっそり眺めたブルーベルの姿を思い出した。
ブルーベルは息を呑むほどに美しかった。
粗末な、王女らしくないワンピースを着て、まるで村娘のように飾り気のない姿をしているのが不思議だったが、ブルーベルは、まるで滝のように流れ落ちる、銀色の長い髪に、青とも紫ともつかない、神秘的な瞳をした、際立った美少女だ。
顔立ちももちろん、整っているのだが、ブルーベルがとても印象に残ったのは、彼女からまるで精霊のような純粋さと、清らかさを感じたからかもしれない。
真っ白な大きなオオカミに向かって、まるで友達のように「オオカミさん」と話しかけ、森に逃げなさい、と大真面目に訴えていた。
アルヴァロはクスリと笑う。
あの「オオカミさん」は必死で否定するだろうが、あの時のオオカミは、まるで従順な大きな犬になってしまったかのようで、それだけでも、ブルーベルの威力が察せられる。
アルヴァロは書斎を出ると、ブルーベルを探しに、庭に向かった。
* * *
かすかに風が吹いていて、アルヴァロが歩くと、周囲の草花がふわりと揺れた。
この庭は、アルヴァロの母の好みで作られていて、庭園、というよりも、自然の植栽を活かして、そこに歩きやすい小道を通したような感じだった。
至る所に、野生の花の群生があり、所々にベンチや東屋が作られている。
そして、どの道を通っても、庭の中心にある噴水へと導かれるような造りになっていた。
アルヴァロも、ブルーベルはおそらく噴水のところにいるだろうと考えながら歩き始めた。
藍色のトラウザーズに重ねている、軽い素材のチュニックシャツが揺れる。
いつの間にか伸びてしまった、青い髪が風になびいていた。
サイドを細く三つ編みに編んでいるのは、アルタイスの騎士の風習だ。
伝説の精霊騎士に因んで、そうする男が多い。
水の音が聞こえるようになった時、アルヴァロは噴水の脇にたたずむブルーベルを見つけた。
こちらの方角から見ると、ブルーベルの左側になるので、銀の仮面はほぼ、見えない。
静かに噴水の水を見つめるブルーベルは、完璧な姿をした王女にしか見えなかった。
アルヴァロは思い切って、声をかけようとした、その瞬間。
ブルーベルが涙を流していることに、気づいた。
右手を伸ばして、顔の右半分を覆う、銀の仮面に触れている。
「……やはり、ご挨拶に行かなければ」
ブルーベルの独り言が、聞こえた。
次の瞬間、勝手に彼女の言葉を聞いている自分が無作法なことに気づき、慌ててアルヴァロはその場を離れようとする。
しかし、自分の名前を呟くブルーベルの言葉に、その足が止まった。
「アルヴァロ様を失望させてしまった。何てお詫びをすればいいのか……皆……、ミカも、ビヨークさんも、ローリンさんも、皆いい方なのに、わたしは……顔に仮面を付けた、傷物、なのだわ」
噴水の音がさらさらと聞こえる。
ブルーベルは水の音に気を取られて、アルヴァロには気づいていないようだ。
アルヴァロは心が痛むのを、感じた。
いや、そんなことはない! あれは私が悪かった————そう言おうとして、自分がこっそりとブルーベルを覗き見している立場であるのに気づいた。
彼女は姫君だ。
彼女に無作法なことはできない。
アルヴァロは、ブルーベルに気づかれないように、静かに小道を屋敷に向かって歩き出す。
「アルヴァロ様? 姫君を見かけませんでしたか?」
アルヴァロが屋敷の前まで歩いてきた時、ミカが庭に降りてきた。
「彼女なら、噴水のところにいるはずだ」
「ありがとうございます」
礼を言って、噴水に向かおうとしたミカに、アルヴァロが声を掛けた。
「ミカ。ブルーベルには……自由に過ごしていいと伝えてくれ。屋敷内も案内するように。そうだな、私はしばらく、仕事が忙しいから、落ち着いたら会おうと、そう言ってくれないだろうか?」
「かしこまりました」
「身の回りのものにも気を配ってあげてくれ。必要なものは遠慮せず、揃えるように。着替えや、靴もいるだろう。ブルーベルはわからないだろうから、お前が中心になって、揃えてやってくれ」
「はい。かしこまりました」
ミカが返事をすると、アルヴァロはそのまま屋敷の中に入っていく。
屋敷の主人の姿を見送りながら、ミカはふと、アルヴァロはブルーベルに声をかけたのだろうか、と思った。
アルヴァロがブルーベル、と言った声には、思いやりがこもっていたように、優しいミカには思えたのだった。
アルヴァロは書斎に入った。
そっとため息をつく。
政略結婚を申し込んだ相手だ。
本来すぐにでも正式な結婚手続きを取らないといけない。
でないと契約違反になってしまう。
しかし、すでに十分傷ついているブルーベルに、彼女の意思を確かめることなく、結婚の手続きを取るなど、そんなことができるだろうか……。
アルヴァロが再びついたため息は、深かった。
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