第23話 アルタイスでの初めての夜

「では、もしお手伝いが必要でしたら、いつでもお声をかけてくださいね」


 侍女のミカはそう言うと、ブルーベルに微笑み、退出した。


 ブルーベルがいるのは、広々として快適そうな客用寝室だった。

 ブルーベルは左右に視線を巡らせる。


 奥のドアの向こうには、寝室と浴室があり、手前の部屋はテーブルと椅子のあるダイニングエリアと、ソファとコーヒーテーブルの置かれたサロンスペースが用意されている。


 コーヒーテーブルの上には、青いリボンの付いた、小さなベルが置かれている。

 そのベルを振ると、ミカに音が聞こえる、という。


 ブルーベルは長いため息をつくと、崩れるようにソファに座った。


 室内には明かりが灯っているが、窓の外はもう暗い。


 ヴィエント公爵との衝撃の初対面の後、ブルーベルは庭に面したこじんまりとしたサロンに連れて行かれた。


 そこの大きなソファに横たえられ、熱いお茶や冷たい果実水、クッキーやサンドイッチ、ブドウやオレンジなどの軽食を供された。


 ミカがブルーベルの体にブランケットを掛けてくれ、付ききりでブルーベルの世話を焼いてくれる。


「大丈夫ですよ、ブルーベル様、何も心配する必要はありません」


 しばらくすると、ビヨークがサロンに現れ、今、客用寝室を用意しているので、少し待ってほしい、と告げた。


「アルヴァロ様が……、ああ、ヴィエント公爵のことです。アルヴァロ・アルタイス・ヴィエント公爵。それが公爵のフルネームになります。我々、公爵邸で働く者は、アルヴァロ様、と呼んでいます。父を除いて。家令のローリンは私の父でして。父はアルヴァロ様のお小さい頃を知っているので、若、と呼んでいます」


 ビヨークはブルーベルに安心させるように微笑むと、話を続けた。


「で、そのアルヴァロ様が、あなたに新しくお部屋を用意するように、と命じられました。元々用意していた部屋だと少々騒がしいだろうと。離れにお部屋を急いで用意しているのですよ。落ち着くまではそちらで過ごしていただいた方がいいだろう、とお考えです。そのため、今夜は客用寝室でお休みください。それから、改めて医師も手配しています。医師に会うのは、差し支えございませんか、姫君?」


「は、はい」


 ブルーベルはうなづいた。


「……アルヴァロ様の態度はお詫び申し上げます。でも、悪気はないのです。姫君を心配しているだけで……今はそう言っても、わかりづらいかとは思いますが……ともかく、心配はなさらないで、まずはアルタイスに少しでも慣れるようにしてみてくださいね」


 ビヨークはそう言うと、部屋を出て行った。


 お茶を飲んだ後、サロンのソファで少し眠ってしまったらしい。

 ブルーベルが目覚めると、ミカが「お部屋の準備ができましたよ」と言って、連れて来てくれたのが、この客室だった。


「離れのお部屋……離れ、というと何だかイメージが悪いですが、アルヴァロ様のお母様が使ってらして、とても綺麗なお部屋なのですよ。すぐお庭に出れますので、姫様もお気に召すと思います。明日、皆でお掃除などをするので、明後日には移れます。楽しみにしていてくださいね」


 続いて、ミカは夕食について尋ねたのだが、ブルーベルは疲れているから、と言って食事を断った。


 しかし、ミカは気を悪くすることなく、後でお腹がすくかもしれませんよ、と言って、軽い食事を部屋に運んでおいてくれたのだった。


 今、ダイニングテーブルに用意されている食事を見ると、その心遣いに、ブルーベルは泣きそうな気持ちになる。


 若い女性が好みそうな、可愛らしいピンクの小花模様が描かれた食器。

 きちんと並べられた食器にカトラリー。


 カットフルーツを並べたプレートは、氷を入れたボウルの上に置かれていた。

 冷めないように蓋付きのボウルに入れられたスープ。

 カゴに入れて、保温のためにふきんを被せたパン。

 大きなプレートには、冷めてもおいしいだろう、ローストチキンと温野菜の付け合わせが盛り合わせてあった。


 果実水の入ったガラスびんと、熱いお茶の入った大きなポットもある。


 用意されたものを見れば、どんな気持ちで用意されたか、わかる。


 冷たいものはぬるくならないように。

 温かいものは冷めないように。

 冷えても美味しいものを。

 消化の良いものを。

 食欲がなくても食べられそうなものを。


 そんな気持ちで用意されたものなのだ。


 ブルーベル一人のために、ここまでしてくれている。

 今まで誰が、こんなことをしてくれただろうか?


 ブルーベルは今度こそ、涙がこぼれるのを止めることができなかった。


『その顔はどうしたんだ!?』


 衝撃を受けたらしい、ヴィエント公爵……アルヴァロ様の声が蘇る。


 当たり前だ。

 美しいと評判のドゥセテラの四王女の一人を、わざわざ使者まで送って、迎えたのだ。

 その挙句に、顔に傷があり、外せない、得体の知れない銀の仮面を顔の半分に付けた王女を押し付けられた。


 衝撃を受けるのが当然だ。

 瑕疵かしのある花嫁を押し付けられて、怒らない方がどうかしているではないか。


 なのに……。


 家令のビヨークはブルーベルの様子を心配して見に来てくれるし、ミカはずっとそばを離れようとしなかった。


 二人はわざわざドゥセテラ国境までブルーベルのために迎えに来てくれたのだ。

 ドゥセテラからは、誰一人として、ブルーベルに付き添ってくれなかったというのに。


 旅の間も、誰もがブルーベルに親切で、顔のことなど、誰も口にしなかった。

 あまりにも自然なので、自分の顔に仮面が付いていることすら、思わず忘れてしまいそうになったくらいだ。


「離れを……用意してくれると言っていた。それに、お医者様を手配してくれるって……」


 離れ、という言葉を聞いた時は、ショックだった。

 ドゥセテラでの自分を思い出したから。

 厄介者として、離宮で暮らした自分を思い出したから。


 でも、ビヨークの様子からは、自分を心配して、離れを用意してくれる、そんな雰囲気が感じられた。


「おそらく、わたしが、顔のことを気にして、慣れるまでは大勢の人の目に触れたくはないだろうと、そう考えてくれたのではないかしら」


 それは確かにありがたかった。

 ドゥセテラで、侍女一人すらつけてもらえず、いつも一人で過ごしてきたブルーベルは、召使いという存在が苦手だ。

 どう対応したらいいのか、わからないのだ。


 離れは、アルヴァロ様の母君が使っていたお部屋だという。

 ミカは、庭にすぐ出られるので、わたしが気に入るだろう、とも言っていた。


「食事……お断りしなければ、よかった」


 ブルーベルはそっと呟いた。


 もしかしたら、アルヴァロ様は、一緒に食事を、と思って下さっていたかもしれない。

 アルヴァロ様は傷ついたかもしれない。

 もし、自分なら……せっかく用意していた食事を断られたら、傷つくと思う。


「ごめんなさい、アルヴァロ様」


 ブルーベルはまた、涙をこぼした。


「明日、お詫びをしよう。改めて、ご挨拶をして、居心地の良いお部屋を用意してくださったお礼もしよう」


 ブルーベルはそっと涙を拭いた。

 気持ちを整えて、食卓につく。


「いただきます」


 そう言って、用意された食事を食べ始めた。

 どのお料理もおいしくて、知らずにまた、涙がこぼれたのだった。

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