第2章 アルタイス精霊王国
第21話 アルタイス王城にて
アルタイス王国、正式名称をアルタイス精霊王国とする、この神秘な王国は、意図的に他国との距離を保ち、王国の秘密と独立を保っていた。
白い石を積み上げて建てられた王城は優美だが、堅牢。
二重の城壁に囲まれた、頑強な城でもある。
しかし、一歩城内に入れば、内部は数々の燭台、タペストリー、絵画、彫刻などで飾り付けられ、執務に当たる大臣達や、宮廷貴族達が行き交う、優美な空間が広がっていた。
「ご覧あそばせ、ヴィエント公爵閣下ですわ」
「まぁ……いつ見ても、ご立派なお姿」
「女性をエスコートするお姿を見たことがありませんわ。いつまで独身を通されるのかしら……」
「おかげで、わたくし、婚約者を決められないんですのよ?」
「まあ。ヴィエント公爵がお相手では、少々理想が高すぎるのではなくって?」
「お気をつけあそばせ。気がついたら二十歳……なんてことに、ね」
「まあ、おほほ……」
さざめき合う人波が自然に割れて、その真ん中を堂々と歩いてくるのは、青い髪をした、若い男性だった。
「あ……っ」
鮮やかなピーコックグリーンのドレスを着た令嬢が、かすれ声を上げると、王城の廊下で、突然、ふらふらと崩れ落ち、青い髪の男性の正面で、座り込んでしまった。
扇の下で、噂話をしていた、美しいドレス姿の令嬢達が、まあ、と呟くざわめきが広がる。
しかし、若い男性は、冷静な様子を崩さずにいた。
「ビヨーク、お助けしろ」
感情の一切こもらない声。
男は顔の前に垂れかかってきた鮮やかな青い髪を、うっとうしげに振り払った。
古代の戦士のような、サイドの細い三つ編みが揺れた。
膝丈の濃紺のチュニックをまとい、トラウザーズをブーツの中に入れ込んでいる。
幅広の革のベルトには、複雑な紋様が刻まれ、右腰で剣を吊っていた。
防具は着けていないが、確かに騎士の服装。
それにしては若いのに威厳がありすぎる。
さらには、周囲もこの男に対して、最大限の敬意を払っていた。
「…………」
男は、副官の男がやってくるまで、無言で立っていた。
美貌、と言っていいくらいの整った容貌だが、甘さの一切ない、男性的な容貌。
まるで野生動物のような明るい茶色に、青や緑が散った、不思議なヘイゼルの瞳が無表情に床に座り込んだ令嬢に注がれている。
当のご令嬢は、まるで白昼夢を見ているかのように、うっとりと彼の整った顔に見とれていたのだが……。
しかし、そんな白昼夢は、あっさりと破れてしまった。
「はい。よいしょっと、失礼いたします、ご令嬢。付き添いのご婦人はどちらですか?」
これまた無表情な白髪のビヨークが丁寧に、しかしやる気がなさそうな手つきで、令嬢を抱き起すと、壁際に置かれていた椅子に座らせた。
その時、廊下をパタパタと駆けてくる音が聞こえた。
「お嬢様っ!!」
「付き添いの方ですね。ご令嬢はご気分が悪いようです。急ぎお屋敷に戻られた方がよろしいかと思いますね。馬車にお連れするのに、人手がいますか?」
ようやく令嬢に追いついた付き添いの婦人に、ビヨークが話しかけていると、令嬢がもじもじしながら、濃紺のチュニックの男に話しかけようとした。
「あの、わたくし、実はヴィエント公爵閣下にお話が……」
しかし、ビヨークは令嬢の話をあっさりとさえぎる。
「なんとお優しいご令嬢でしょうか。気になさらなくても、公爵閣下は大丈夫ですよ。ご婦人をお助けするのは、騎士の務めですからね。そこの衛兵! ご令嬢をお連れしろ!」
「え、衛兵!? いいえ、大丈夫ですわ。わたくし、自分で歩けま」
「ご令嬢、失礼いたします」
自分で歩ける、と言いかけた令嬢の言葉は間に合わなかった。
いそいそとやってきた衛兵は、鎧をガチャガチャ言わせながら、令嬢を抱き上げる。
「お大事に〜」
屈強な衛兵に支えられて、ピーコックグリーンのドレスの令嬢はあっさりと退場した。
なんとなく、連行されていくように見えなくもない。
少なくとも、この令嬢は同じ手はもう二度と使わないだろう。
「これは手強いわ……」
「ダメでしたわね」
令嬢達がこそこそとささやき合う。
その視線の中心に位置する男。
この青髪の男性が、アルヴァロ・アルタイス・ヴィエント公爵。
アルタイス最強の魔法騎士であり、この若さで魔法騎士団長を務めるほどの、実力の持ち主。
加えて、国王のただ一人の弟で、若き公爵閣下である。
女性達の人気も高く、廊下のあちこちで、自然とため息がもれたのだった。
長い廊下を足早に歩くアルヴァロ・ヴィエント公爵に付き従いながら、ビヨークが感心したように呟く。
「『わざとらしい、私に近寄るな』とかよく言わなかったですね。えらいえらい」
「ビヨーク。私は子どもか!? 相変わらず失礼な奴だな」
アルヴァロの歩く速度がさらに早くなる。
もう、廊下を優雅に歩く人々が慌てて左右に飛び退き、道を譲るほどだ。
「私はこの廊下が大嫌いだ。なんだか
「まあ、お顔がいいですからねえ。それにあなたは外から見れば、若いご令嬢にとって、優良株だからですよ。こんなに女嫌いなのに……いや」
(本当は純粋すぎるんですよね、アルヴァロ様)
ビヨークは口を閉じると、無言で主人の後を追いかけた。
* * *
「廊下で騒ぎがあったようだけど、大丈夫だったの?」
王城の階段を四階まで上がり、国王の執務室に入ると、アルタイス国王、テオドールが机の向こうから声をかけた。
「問題ない」
耳ざといな、と思いつつアルヴァロは簡潔に答えると、剣を外して、机に立てかけた。
「それで、用件は?」
アルヴァロの言葉に、兄であるテオドールが苦笑した。
「弟の顔くらい毎日見たいよ〜〜〜」
「毎日見たって、顔は変わらない」
「朝のコーヒーくらい、たまには一緒に飲もうよ? そういえば、君の家の家令兼補佐官の彼は?」
「ビヨークなら、控え室で待っている」
テオドールはアルヴァロより五歳年上の二十八歳。
アルヴァロとは対照的な容姿をしていて、柔らかな金髪に、明るい青の瞳をした、優しい顔だちの男性だ。
襟と裾に金をあしらった、深い緑色のチュニックは丈が長く、その上に、ローブのような濃紺のマントを羽織っている。
テオドールも若いが、王の風格を感じさせる落ち着きをすでに身に付けていた。
にこっと笑って言う。
「ヴィエント公爵に王命を申し渡す」
アルヴァロの顔が硬直した。
「アル、君に縁談を用意したんだよ。お相手はね」
テオドールは机の中をごそごそと漁って、一枚の姿絵を取り出す。
「ドゥセテラ王国第四王女、ブルーベル姫だ。ほら、肖像画はこれ。可愛いお嬢さんだろう?」
アルヴァロは肖像画を見ることなく、言った。
「お断りします」
「ダメ」
「ダメ!?」
アルヴァロは目を細めて椅子に腰掛ける。
「そこまで言うからには、理由があるんでしょうね。どうしてドゥセテラの王女がいいと?」
「どうしてと言われてもねえ。勘が働いたというか。君にぴったりな気がしたんだよね」
そう言うと、テオドールはやけに熱心に肖像画を眺め始めた。
その様子がいかにもわざとらしい。
アルヴァロは黙って兄を睨みつけた。
「……
ついにテオドールが言った。
「確かに、この少女だったと思う」
アルヴァロはテオドールをまじまじと見つめた。
「……邪悪な魔法の気配を感じるんだ。アル、君ならわかるだろう? 私は、女性が利己的な理由で、魔法によって傷つけられるのは許せないんだ。君はどう?」
テオドールは不意に肖像画から、顔を上げた。
彼の明るい青の瞳が、かすかに揺れている。
「私では、守れない。でも、君なら守ってあげられるんじゃない? 私はずっと、悔しかったけどね」
アルヴァロは言葉を失った。
深いため息をついて、ばっと王女の肖像画を奪い取る。
「そういうわけだから、ドゥセテラに正式な書簡を送ることにしよう。その前に、ビヨークに偵察に行ってきてもらいたい。君も、もしドゥセテラに行くなら、姿は見せないでね。ビヨークにも、変身するように言っておいて」
アルヴァロはそれ以上何も言えずに、黙ってテオドールの執務室を出た。
「アルヴァロ様、早かったですね」
控えの部屋で待っていたビヨークがすぐやってくる。
「……何ですか、それ、陛下からいただいたんですか?」
アルヴァロは右手に掴んだ、ドゥセテラ第四王女の肖像画を、どうしたらいいのか、わからない、といった風に見つめた。
「ああ。兄上にはどうも何かの考えがあるらしい」
ひとつため息をついて、ビヨークに丸めた肖像画を渡す。
ビヨークは肖像画を広げて、まじまじとアルヴァロを見つめる。
「これって」
「兄上の能力は知っているだろう。あの人は遠視能力がある。ドゥセテラに偵察に行けとのご命令だ。そして、ドゥセテラに行くなら、姿は見せるな、と」
そのまま、並んで王城内を歩きながら、アルヴァロは言った。
「ドゥセテラ王国へ行くぞ」
ビヨークが目を剥く。
「ちょっと。偵察に行くのに、王弟殿下が付いてくるつもりですか!? 迷惑ですっ! あなたは留守番していてください!」
そうして、ビヨークと共にドゥセテラ王国へ向かったアルヴァロは、ドゥセテラ宮殿の外れ、離宮でひっそりと暮らすブルーベルを見た。
それから一ヶ月にも満たない今、ブルーベル本人がアルタイスに到着したのだった。
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