第20話 アルタイスに渡る
翌朝、ブルーベルは野営のテントの中で目覚めると、ふと、馴染みのない香りを感じた。
空気に湿り気が混じり、そこに、何か塩っぽい匂いがある。
身支度を整え、食事をすると、出発になった。
この、旅の途中で、草原の中で食事をすることにも、ブルーベルは慣れた。
慣れた、というか、大好きになった。
草の匂い。
炭の匂い。
料理を作る音が響き、食べ物の美味しそうな匂いが広がる。
ブルーベルがベンチに座っていると、爽やかな風が通っていく。
見上げれば、青空が広がる、気持ちのいい食堂だ。
人々は陽気で、気軽にブルーベルにも声を掛けてくれる。
ミカはブルーベルが紅茶が好きなのを察して、いつも熱いお茶をたっぷりと用意してくれる。
騎士達はそれぞれに草原に座り込んで、皿を抱えて、美味しそうに食事をする。
ビヨークはさりげなく、ブルーベルとミカが視界に入る位置で、何も問題はないか、様子を見守っていてくれるように、ブルーベルは感じた。
食事が終われば、全員で協力して、野営の後を片付ける。
そして、出発だ。
馬車は今までと変わらず、草原の中を走っている。
しかし、ブルーベルは草が次第にまばらになり、鮮やかな緑色から、乾いた草色へ、さらに黄色へと変化していく様子を驚きを持って眺めた。
馬車の車輪の音が、硬いものに変わる。
窓から外を眺めていると、草地は次第にまばらになり、所々に、灰白色をした岩肌が見えるようになった。
「姫君、港ですよ」
馬車が止まったと思ったら、ビヨークが馬を馬車に寄せ、窓越しに声を掛けてくれた。
慌てて前方を見ると、そこには一気に開けた展望が広がっていた。
乾燥した草が岩肌のあちこちに点在し、この先は急激な傾斜になっていた。
一気に下った先には、平地が左右に広がり、その先には豊かな水がキラキラと輝いている。
「海です。船はそこ、港に停まっているでしょう」
ブルーベルは、大きく帆を張った船を認め、うなづく。
海の先には、すでに陸地が見えており、まるで空の青と混ざるかのように、鮮やかな緑色の島の姿があった。
「あの島が、アルタイスです。もうすぐですよ」
ビヨークはそう言って微笑むと、馬を再び走らせた。
馬車もゆっくりと動き出す。
辺境の国、アルタイスはもうすぐだ。
* * *
「三時間もすれば、アルタイスに着きます」
それは港に停泊していた船に首尾よく乗り込み、船の揺れにも慣れたブルーベルが甲板で海を眺めていた時だった。
「もう、ここは我々の領域です」
そう言って、ビヨークは、左目に付けていた黒の眼帯を外した。
現れたのは、美しい緑色の瞳だった。
ブルーベルは思わず息を呑む。
「びっくりしましたか? 左右で色が違うのです。私は構わないのですが、この目のせいで、不必要に目立って、人の記憶に残ることは避けたい。アルタイスの外では、眼帯を付けるようにしています。あなたにもいずれわかるかと思いますが、アルタイスは、意図的にその存在を知られないようにしているのです」
ビヨークは、そう言って微笑んだ。
自分も、仮面を付けていて————誰かにこんな反応をされることは、よくあることだ。
まさか、自分自身が、同じことをするとは。
ブルーベルは密かに恥じ入った。
めざといビヨークは、それに気づいたようだった。
「私は気になりません。あなたも気にしないでください」
ビヨークはかすかに微笑み、そう言うと、甲板を歩いて行ったのだった。
馬車もそっくり船に積み込まれていた。
船はブルーベルを迎えに行った一行だけを待っていたようで、荷物を積み込み、全員乗り込んだ時点で、あっさりと港を離れたのだった。
このまま船に乗ってアルタイスに入り、あとは王都まで一気に馬車で走るのだという。
「一日で着きますよ」
ビヨークは謎を秘めたような言い方で、教えてくれたのだった。
そして、ビヨークの言葉どおり、一旦アルタイスに上陸すると、まるで魔法でも使ったかのように、ブルーベルを乗せた馬車は海岸にそびえる切り立った断崖からぐんぐんと離れ、なだらかな丘陵地帯を上がっていく。
長い旅の終着地となるのは、オークの木々が高く成長した、広大な森。
それはまるで天然の城壁のように広がっている。
突然現れた、大きな鉄門をくぐると、目的地まではあとわずかだ。
ブルーベルは緊張を抑えるように、両手をそっと握り合わせた。
☆☆☆ここまでお読みいただき、ありがとうございます☆☆☆
次話より、第2章 アルタイス精霊王国編がスタートします。
ついにドゥセテラ王国を出て、アルタイスに向かったブルーベル。
いよいよ結婚を申し込んだアルヴァロ・ヴィエント公爵と出会います。
引き続きお楽しみください♡
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