第18話 二つの花嫁行列(3)
翌朝早く、庭で最後のお茶を楽しんでいたブルーベルの元に、台所から一人の女性が声を掛けた。
「ブルーベル様」
ブルーベルが振り返ると三十歳くらいに見える女性が、バスケットを持って立っていた。
落ち着いた雰囲気の彼女は、ブルーベルの仮面を見ても、驚いた様子を見せずに、テーブルの上にバスケットを置いて、説明を始めた。
「私はレノン、宮殿に務める侍女です。王妃様の命令で、いつもこちらにお食事をお持ちしておりました」
ブルーベルの顔がぱっと明るくなる。
「まあ……! あなただったのね。いつも、ありがとう。お礼を言いたいと思っていたのよ」
レノンは眉を寄せて、頭を下げた。
「いつも無言でお食事を台所に置くばかりで、申し訳ありませんでした。王妃様から、ブルーベル様と会わないようにと固く言いつけられておりまして。また、お食事の内容についても……指示されたもの以外、お持ちすることを禁じられていたのでございます」
「謝らないでちょうだい。とてもありがたかったわ。レノン、本当に、ありがとう」
ブルーベルが慌てて言う。
そこに嘘はない。
レノンが持って来てくれた食事がなければ、今まで生きることはできなかっただろう。
レノンは泣きそうな表情になりながら、バスケットの蓋を開けた。
「今日がご出発ですので、お弁当になりそうなものをいくつか入れておきました。サンドイッチや、パイ、ソーセージ、チーズ。お水とワインはこちらに。それから、ブルーベル様は、紅茶がお好きですので、アルタイスでも召し上がれるように、茶葉をこちらの箱に用意しました。高級な等級のものではないので、お口に合わないかもしれませんが」
「まあ……! 口に合わない、なんてことはないわ。本当に、なんてお礼を言っていいか。でも、こんなに持って来てくれて、大丈夫なの?」
「私のできる最後のことですもの。ちょっと食糧庫に、何回か余計に通っただけです。お叱りはないはずですわ」
レノンはバスケットの蓋を閉めると、その上に、お茶の入った箱を重ねた。
「ブルーベル様、お荷物はもう整っていますか? 馬車にお運びしましょう。姫様が乗る馬車は、小さな辻馬車ですけど、手入れはしっかりされていますから、心配なさらないでください。御者は私の祖父で、少々耳は遠いですが、ブルーベル様をちゃんと国境までお送りします。国境で、アルタイスの馬車が待っていることになっています。国境に着くまでは一週間から十日かかるでしょう。途中、町がなければ、野営をすることになるかもしれません。でも、祖父は慣れていますし、優秀な猟師でもありますから、安心してください。ちゃんと姫様のお世話をしてくれますよ」
ブルーベルは、こうして初めて受ける旅の説明に、注意深く耳を傾け、うなづいた。
「祖父は長い旅に慣れています。料理もできますから、道中の食事も心配ありません。孫娘もいますから、若い女性の扱いもわかっていますよ。どうぞ、お気をつけて……」
レノンはブルーベルに微笑みかけた。
「さ、では出発しましょう。馬車はもう、離宮の前に停めてあります。お支度に、お手伝いは必要ですか? ……髪をまとめましょうか?」
レノンはてきぱきとブルーベルの着替えを手伝い、ムーンストーンのネックレスを首の後ろで留めてくれた。
「美しいものですね。道中は、お洋服の下に入れておきましょう。その方が安心ですから」
ブルーベルの気持ちを察したように、レノンは丁寧にネックレスを服の下に入れ込んでくれた。
それから銀色の長い髪をゆるく三つ編みに編んで、リボンでまとめて、身支度は完成だ。
小さなボストンバッグとバスケットを持ち、レノンはブルーベルを馬車へと案内する。
馬車には、ふさふさの白い髭をした老人が、御者台に座っていた。
「さ、こちらにお座りください。お荷物は、足元に置きましょう。膝掛けは前の座席に載せますね。それから」
レノンは大きなつばのついた、麦わら帽子も座席に置いた。
「日差し避けに。それにもし、人の目が気になる時は、お帽子を被るといいかもしれません。こうしてリボンを下ろすと、つばが下がって、ボンネットのように、お顔をぐるっと隠せますから」
レノンはきびきびと動いて、馬車のドアを閉め、足台を外すと、馬車の後ろに押し込んだ。
「おじいちゃん、姫様をお願いしますね」
レノンが声を掛けると、眠っていたかのような老人が目を開け、うなづいた。
馬に声を掛け、鞭で軽く馬の尻を叩く。
馬が歩き始め、馬車が軋みながら動き出した。
これがもうひとつの、王女の旅立ちだった。
見送る者もなく、王女に付き添う侍女も騎士もいない。
馬車一台だけの、静かな旅立ち。
ブルーベルは小さな窓から、外を眺める。
それでも、ブルーベルは十分だと感じていた。
感謝の気持ちと共に、生まれ育ったドゥセテラ王国を離れていく。
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