第17話 二つの花嫁行列(2)
それは、第一王女フィリス・ノワールの出発を見送った日の午後のことだった。
ドゥセテラ国王がアルタイス国王に送った承諾の書簡に返事が来た。
書簡の内容はごく簡素で、アルタイス国王からの、定例どおりの挨拶と謝辞で一枚、当事者となるヴィエント公爵からの具体的な手順について一枚の紙が入っていた。
『なるべく早く出立すること。荷物、嫁入り支度などは不要。国境まで来れば、アルタイスからの迎えが待つ。侍女、騎士、従者などはご希望があれば同伴して良し』
公爵からの、これから縁戚関係となるにも関わらず、一片の愛想もない文面に、ドゥセテラ国王は眉を寄せたが、どうせあの傷の付いた王女の処分先、としか関心がないのは彼も同じだった。
「離宮に使いを送り、ブルーベルを呼ぶように」
侍従がお辞儀をして、国王の執務室を出た。
ここまできて、ようやくブルーベルにこの縁談が知らされることになる。
国王陛下に呼び出されたブルーベルは、国王執務室で、二人きりで話すことになった。
冒頭、「ブルーベル、そなたの結婚が決まった」と国王に告げられ、渡された書簡に書かれていた内容に、ブルーベルは驚愕した。
この縁談についてのやりとりは、当事者であるブルーベルにこれまで一切、伝えられていなかったのだ。
そして今、『なるべく早く出立すること』と指示されている。
「そなたは例の事故の後、療養中であったため、呼び出しはしなかったが、彼の国から正式な使者が来られていたのだ。アルタイス国の公爵殿が、そなたを妻として迎えたいと申し出られていた」
国王はそう言うと、ブルーベルの顔の右半分を見ないように、注意しながら、そう言った。
「最初から、そなたの名前を出し、指名された。そこまで望まれるのであれば、我々も喜んでお受けしようと思ったのだ」
ブルーベルは困惑する。
「しかし、陛下、公爵様は、わたしの顔のことを、ご存知なのでしょうか……?」
不安そうなブルーベルの声に、国王はことさら力を込めて、言い募った。
「元より、そなたをご指名だったのだ。たとえ顔に多少の傷があろうと、きっと納得してくださる。何なら、アルタイスに向かう旅の途中でケガをしてしまった、と言ってもいいではないか。何せ、馬車で一ヶ月はかかる辺境の地にあるらしいからな」
「国王陛下……!」
ブルーベルは自分を指名したという公爵様を気の毒に思った。
彼は何も状況を知らずに、結婚を申し込んでしまったのだ。
もしかして、ドゥセテラの力を入れた宣伝の『美しい四王女』の噂をまともに信じて、単純に一番年若い王女が良い、とブルーベルを選んだのかもしれない。
そして、父である国王はもうこの話をひっくり返すつもりはないらしい。
「もうよい。離宮に戻り、急ぎ支度をせよ。この書簡にもあるとおり、なるべく早く出立するのだ。嫁入り支度も要らぬ、とはありがたいお申し出ではないか。明日の朝には、出発するのだ。馬車は用意しておく」
「あ、明日の朝、でございますか……!?」
姉である第一王女フィリスの、華やかな花嫁行列を、ブルーベルは思い出した。
同じような支度をしてもらえる、とは思っていなかったが、それにしても、多少の支度はしてもらえるかと思ったのだが。
ブルーベルは、とぼとぼと離宮に戻ってきた。
離宮には荷造り用の大きなスーツケースが届いていた。
しかし、すぐに宮殿から再び召使いがやって来て、スーツケースは取り上げられてしまった。
「王妃様から、こちらをお使いになるようにとのことです。王女殿下お一人では、大きなカバンはお持ちになれないだろう、というお心遣いで」
ブルーベルに残されたのは、小さなボストンバッグがひとつだけだった。
一見、ブルーベルに気遣って、という体だったが、明らかに、『ブルーベルには荷物は持たせず、侍女一人たりとも付けぬ』という宣告と同じだった。
その夜、ブルーベルは一人で荷造りを始めた。
元々、ブルーベルの身の回りの品物は多くない。
考え考え、離宮で自分が使っている少しばかりの手荷物を詰めていくのは、難しい作業ではなかった。
寝巻き、下着、普段着ているワンピースを一枚。室内履きも入れた。
新しい石鹸も、タオルで丁寧に包んで、服の脇に押し込めた。
櫛。装飾品は、母の形見の、ムーンストーンのネックレスひとつだけになってしまった。
そういえば、あの、ケガをした夜は、このネックレスを偶然身に付けていて、しばらく付けたまま過ごしたのだった。
以前にもまして、大切なものに感じられた。
(これだけは無くしたくないわ)
ブルーベルは考え込んだ。
そうだ、貴重品は、体に付けるといいという。
ブルーベルは、明日、ネックレスを服の下に身に付けることにした。
(アルタイス国……)
相談する相手が誰もいないブルーベルにとっては、アルタイスがどこにあるのか、さっぱりわからなかった。
アルタイスに行くにあたって、用意すべき品物もよくわからない。
迎えが来る、というアルタイスとの国境までどのくらいの日数がかかるのかも、わからなかった。
(これでできることは全てした、そう思うことにしましょう)
ブルーベルは、小さなボストンバックを眺めた。
ボストンバッグには、全てが収まった。
荷造りと言うには、簡単な支度が終わってしまうと、ブルーベルはクローゼットを開けて、明日着る服を出して、椅子の上に置いた。
それは今は亡き母の懐かしいドレス。
庭園でのお茶会用に仕立てた、という、細いグレーのストライプが入った、淡いブルーの、軽快なドレスだった。
軽いドレスなので、自分一人でも着替えができる。
コルセットもソフトな簡易コルセットで大丈夫だ。
生まれ育った国を、出る。
まだ見たこともない国。
結婚相手という公爵様も、どんな人かもわからない。
それでも、ブルーベルは行かなくてはならないのだ。
ブルーベルは明かりを手にして、階下へ降りる。
この国で、別れの挨拶をしたい相手は、いなかった。
父や義母達、義姉達に一言でも挨拶をしたい、とは思った。
しかし、彼らはブルーベルの顔を見たいと思わないだろう。
しかし。
ブルーベルが庭に出るドアを開けると、たくさんのホタルが集まっていた。
ちか、ちか、と点滅する無数の光。
もちろん、ホタル達は言葉を話すわけではないけれど、ブルーベルには、なぜか自分との別れを惜しんでくれているように思えた。
「みんな、今までありがとう。わたし、明日、ここを出ないといけないのよ。遠い国に行かなければいけないの」
ブルーベルは暗闇に向かって、ささやいた。
「正直、怖いけれど、ずっとここにいてもだめなのは、わかっているわ。それなら、勇気を出して、新しい場所に行くのも、いいかもしれない……」
その時、ブルーベルは、森の奥からオオカミの遠吠えを聞いた。
ブルーベルははっとして、うつむいていた顔を上げる。
ウォーン…………
ウォーン……
ウォーン……
一頭の遠吠えに合わせて、仲間のオオカミ達も遠吠えを上げる。
ブルーベルは、森の中に、真っ白い毛並みの大きなオオカミの姿を見た。
茶色の右目と、緑色の左目。
思わず鳥肌が立つような、自然の生み出した美しさを感じる。
「あなたは……あの時の? もう、自分の家に帰ったのかと思ったのに」
白いオオカミはブルーベルをしっかりと見つめると、一際高い声で、吠えた。
そして、前と同じように、高い跳躍をして、姿を消した。
「……励ましてくれたの?」
ブルーベルは、頬に涙が伝うのを感じた。
(きっと、大丈夫だわ。森はずっと続いている。動物達には、国境なんて、関係ないのだもの。新しい国にも、森はあるはずよ。きっと、そこで、また新しいお友達に出会えるに違いない)
「ふ」
ブルーベルは涙を手でこすると、微笑みを浮かべた。
(さあ。明日に向けて、眠りましょう)
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