第8話 森のオオカミ/夜の訪問者(2)

 ブルーベルは息を呑んだ。

 いつの間にかホタルは周囲から消え、代わりに、庭の大きな木の下に佇む一頭の大きなオオカミの姿があったからだ。


「…………!!」


 オオカミを見たのは初めてだったが、それがオオカミだとすぐわかった。

 真っ白な毛並みを輝かせるその生き物は、犬のゆうに三倍はあろうか、という大きさだったからだ。


「大きい……」


 ブルーベルは立ち止まり、まじまじとオオカミを見つめる。

 オオカミもまた、じっとブルーベルを見つめた。

 そのオオカミの目が、右が茶色、左が緑色の、珍しいオッドアイであることに気づく。


 ブルーベルはますます目を丸くして、言った。


「まぁ、オオカミさん。とてもきれいな目をしているのね」


 その時、オオカミは一瞬、でれ、っとしたような気が、した。

 とはいえ、オオカミは相変わらず、無表情な獣の目で、ブルーベルを見つめているのだが。


 ブルーベルは用心深く、衛兵が去ったばかりの離宮の門を眺める。


「オオカミさん、先ほど、宮殿でオオカミが出た、と衛兵が連絡に来てくれましたの。きっと今、大捜索が行われていますわ。決して、宮殿の方には戻らないように。この離宮の裏の森は、誰も入る者がいません。こちらの森を抜けて、安全なところまで逃げてください」


『!?』


 今度は、オオカミが動揺したのを、はっきりとブルーベルは感じ取った。


「大丈夫よ。わたしは、あなたのことは誰にも言いません。このまま室内に戻って、外には出ないで過ごすわ。気をつけて帰ってね。捕まったりしないでください」


 ブルーベルはそう言うと、優しく微笑み、離宮の中へ戻って行った。

 ドアが閉まる音がして、カチリ、と鍵をかけた音が続いた。


 それから十分に時間が経った頃、離宮の二階の一室に、明かりが灯った。

 それを確認したかのように、低い声がした。


「ビヨーク」


 がさり、と音がして、森の奥から、一人の背の高い男が姿を現した。

 背中に剣を背負い、全身を黒いマントで覆っている。

 普通に考えれば、騎士なのだろうが、ただの騎士ではなさそうな、そんな雰囲気が漂っていた。


 美貌、と言ってもいいくらいの、整った顔だちをしていたが、それは甘さの一切ない、硬質で、男性的な容貌で、しかも無表情。親しみやすいところは全くなかった。


 白いオオカミが振り返り、姿を見せたことを咎めるような視線で男を見た。


「あの少女は何者なのだ?」


 男の言葉に白いオオカミは大げさに首を振ってみせた。

 もし、ブルーベルがこの様子を見ていたら、驚いただろう。

 オオカミは明らかに、この黒マントの男と会話を交わしていたからだ。


『声を抑えてください……! 勝手について来たくせに、もう、あなたって人は……!』


 オオカミは不満そうに鼻を鳴らす。


『あの方が、ドゥセテラの有名な美人四王女の一人。第四王女のブルーベル姫です』


「彼女が!? なぜ王女が、こんな離宮にいるんだ。しかもあんな姿で。女性の服はよくわからないが、まるで村娘のような服を着て、さすがに地味だろう」


 オオカミはため息をついた。


『これも有名な話です。あのブルーベル姫が、姉妹の中で一番お美しい。それを妬んだ姉姫三人が、妹を虐げていると。ずっと離宮で暮らしているらしいですね。母上を亡くし、後ろ盾もないようですから』


 オオカミの言葉を聞くと、男は明らかに不機嫌な顔になった。

 顔にかかる、青い髪をうっとうしそうに手で振り払う。

 青い髪は肩よりも長く、古代の戦士のように、サイドに細い三つ編みを何本か垂らしているのが見えた。


 不揃いの前髪の下からは、明るい茶色に、緑と青の散った、不思議なヘイゼルの瞳が覗いている。


『こんな目立つ容姿の男を連れてきたくはなかった』


 オオカミは不満そうに鼻を鳴らした。

 一方、男の関心は、全く他のところにあった。


「ほらみろ。…………だから、女は嫌いなんだ。実の妹だろう。どうしてそんなことができるんだ。顔が多少きれいなのか知らんが、そんな腹黒い女どもが王女だとは。急いで結婚する奴の気がしれん。なのに、兄上ときたら、二言目には、婚約者を決めろとうるさい。そういう自分だって、独身のくせに」


 唸るように出された言葉に、オオカミは闇に紛れつつ、まるで笑うように、大きく吠えた。


「とはいえ。あの事件を思えば、兄上が女性を近づけないのもわかるのだが」


 オオカミはようやく笑いを収めると、大きな耳をピン、と立てて、周囲の音をうかがった。


 宮殿のある方角からは、まだ多くの人間が歩き回る音が聞こえてくる。

 そろそろここを出た方がいいようだ。


 目的も果たした。

 第四王女ブルーベルは、確かに、かなり虐げられた暮らしをしているようだが、少なくとも、身体を傷つけられたり、命の危険があるようには見えなかった。


 そう陛下に報告しよう。

 オオカミは体を屈め、ふせ、のような体形を取った。


『……さあ。そろそろここを出ましょう。背中に乗ってください』


 真っ白い毛並みの巨大なオオカミは、男を背中に乗せると、軽々と離宮の塀を越え、夜の闇に沈む深い森の奥へと消えて行った。

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