第7話 ハローブラックホール
24時間365日。
すべての人に分け隔てなく与えられた時間。
その平等は虚構で幻想だ。残りの時間から逆算されたシーク・バー。
夜になるとまっくらな闇に押しつぶされそうになる。
ダイヤルボタンをタップして、またその声を聴きたくなる。
砂時計から滑り落ちていく。手の平からぜんぶ溢れていく。
大切だと思っていた人との時間。
*
スマホで日記と出勤表を確認してコールをする。
「おかけになった電話番号は現在使われておりません」
ダイヤルの発信履歴を埋めても覆らない事実は無常。
自分の半身を失ったような喪失感。また同じことの繰り返しだ。
どうでもいいことに法則性を見出す症候群。
どうでもいいことを考えていても地球は廻るだけだから、切り替えてこう。
*
また季節は巡りめぐって真夏。摂氏三十六度。
今はないマッチングアプリで女と知り合った。
マリンちゃんは21歳、保育士。
フェミニンでゆるふわ系の男が好きな女子のど真ん中のタイプ。
「社会人になってから出会いがなくて」
単純にそう考えている人は多いし、実際にそう口にもする。
”学生時代に出会いがあった”っていうのは単なる錯覚に過ぎない。
学区や偏差値で輪切りにされて、番号順に詰め込まれた狭い箱庭の中。
その囲いの中で、たまたま好みの異性が見つかった。
あるいは相対的に”好きな人”という概念を作っただけ。
マリンはあまりに絵に描いたゆるふわ系。
数枚の自撮り写真を見る限りホンモノ。サクラじゃない。
出会い系でプロフィールに自撮り写真しかない場合は、避けて通るのが無難だ。
当時はそんなことは気にせずトントン拍子で連絡先交換をして、デートの約束をとりつけた。
*
やがて彼女とは、夜家に帰ったらどちらかが寝落ちするまで通話する仲になった。
>どこか行きたいところある?
>平塚のららぽーととかどうかな?
>へーよさそう
>よかった。デート楽しみ
平塚エリアは土地勘がない。近辺に詳しい女友達に情報を聞いておいた。
デートの予定まで連絡先交換してから1ヶ月くらいだったかな。
あと1週間ある。
ウィンドウショッピングした後はビーチで散歩とか悪くないかも。
呑気に幸せな初デートを思い描いていた。
>新しいプロフィール写真のエクボがかわいい
>今日パンケーキ食べに行ってきたよー!
お互いの距離を詰め過ぎず、かつ離れていかないように。
毎日往復するやりとりと夜の通話。今日あったこととか他愛のない話。
何を食べたとか、街の匂いとか、全部教えて。
*
約束の3日前に連絡が途絶えた。
「連勤だから疲れてるのかな?」
と放っておいたけど前日になっても返信なし。
おかしいと思って確認。
…LINEブロックされている。
何かの間違いかと思ってアプリのマッチ履歴を確認する。そこからも消えていた。
まじかよ。この1ヶ月ずっと好きだったんだぜ?
だがその1ヶ月は長過ぎた。
マッチングアプリはスピードが大切な要素だ。
翌日か、遅くてもその週末に会うくらいの速度感。
これが達成されない場合は、自然と気持ちが薄らいでいく場合が多い。
「直前になってなんかメンドクサくなっちゃった。ブロックしよ」
なんて本当によくあることだ。
しかし、俺は東京に住んでいるとマリンは知っていた。
当日、待ちぼうけになってしまうとは考えなかったのだろうか?
見た目だけじゃなくて、頭の中までゆるふわなのだろうか?
*
はっきり言ってマリンみたいな子はたくさんいる。
同時並行でデートの予定を組んでいくのはこの業界では常識だ。
さ、次々。
次に約束を取り付けたのは、玲美さんという事務職の27歳。
イエローのオフショルが眩しくて、揺れながら踊る黒髪が嫋やかでした。
すらりと身長が高くて、170くらいあったかな。
大人っぽい色香と子供っぽい仕草が素敵だった。
かといって妙ないやらしさはなくて、鎖骨にかけて流れるラインが神聖さを帯びていた。
玲美さんとのやりとりはルーティンできまっていた。
19時頃に一通のメッセージを往復する。それを律儀に繰り返す1ヶ月だった。
8月某日待ち合わせ。炎天下の竹下通りの入口。
きれいな鎖骨が眩しい玲美さんがそこにいた。
その端麗な容姿とは裏腹に向かったのはザ・ゆるふわ系。
サンリオのキャラを模った料理。パスタやオムライスを注文。
え、全然イケる。むしろ美味しい。キャラクタ系だと侮ってた。
「玲美さんはどうしてマッチングアプリやってるの」
「前の彼氏と別れて寂しくて」
「じゃあ今は募集中?」
「うーん、お休みしたい期間かも」
いやいや、アイドルグループの充電期間じゃねぇんだから。
これを聞いた私はリアルにどんなフェイスしてただろう。
「付き合い始めて気持ちが動き始めることもあるかもよ」
「あるいはそうかもしれないですね」
食事が終わって会計。ふたりで2,500円くらいだったかな。
ぶらぶらと街をあるく。
表参道から入った裏原でサンリオのグッズを見つける。
「はいこれ。来月誕生日なんでしょ」
「え、わ、ありがとう!」
安物のポムポムプリンのステーショナリーセット。
この日はじめてほんとの笑顔を見た気がした。
その光景は、荒んでいた俺の心をほんの少しだけ癒してくれた。
まるで真夏の木陰で揺れるひまわりみたいに。
そのあとクソ暑い中、次の駅まで歩いた。渋谷のFrancfrancで店内を眺めて過ごす。
「あたし今日、帰りのバスが時間きまってて」
「何時?」
「4時に帰らないといけなくて」
はやくね?夜はどこでご飯にしようか考え始めてた。
メトロの改札まで送る。いつでもごった返している。
何か言いたげな様子だから尋ねてみる。
「記念にいっしょに写真とりましょう」
玲美さんらしくないような申し出に驚いたけど、快諾する。
スマホで撮った、ふたりの記念写真。
改札越しに手を振ってバイバイ。
振り返って手を振ってくれた。
手を振り続けた。エスカレータから姿が見えなくなるまで。
そして二度と会うことはなかった。
*
>今日はありがとうございました。プレゼントまで
>こちらこそ。次はもっとゆっくり話したいね
そして玲美さんとの連絡は途絶えた。
次の日、アプリのマッチングが解除されていて、戸惑ってLINEを送ると
>ごめんなさい!!
その一言を最後にメッセージが送れなくなった。
なんの確証もないことだけれど。
始まりのどこかの段階で玲美さんは嘘をついていて、それに耐えきれなくなった。
そんなふうにいまは考えている。かなりの好意的な尺度で。
今まででもっとも美しい時間のひとつをもらって。
残酷に一方的に切断されて、かなしく空虚だった。
「いったい何がいけなかったんだろう」
そう問答を繰り返した。
この出会いがそもそもの誤りだと結論づける他なかった。
ごめんなさいなんて要らないからさ。
ありがとうをせめて言わせてくれよ。
さようならすらも言えてないんだぜ。
重く、深く、暗い気持ちへと身を沈めていく。
前後左右、見渡す限り真っ暗な闇。
それがとても懐かしい気持ちすらする。
出会いと別れに伴う痛みをぜんぶ、忘れたふりをして日常を繰り返す。
夏の終わりの勿忘草色の空は夕闇へと変わる。
それは星も光も飲み込む重力のような妖しい魅力を秘めていた。
手に入れてもないものを失った気分になる繰り返しの中。
何が欲しいかもわからないまま、ただ闇雲に手を伸ばす。
Dirty Innocent as @suisei_as
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