第7話 ハローブラックホール

24時間365日。

すべての人に分け隔てなく与えられた時間。

その平等は虚構で幻想だ。残りの時間から逆算されたシーク・バー。


夜になるとまっくらな闇に押しつぶされそうになる。

ダイヤルボタンをタップして、またその声を聴きたくなる。


砂時計から滑り落ちていく。手の平からぜんぶ溢れていく。

大切だと思っていた人との時間。



スマホで日記と出勤表を確認してコールをする。


「おかけになった電話番号は現在使われておりません」


ダイヤルの発信履歴を埋めても覆らない事実は無常。

自分の半身を失ったような喪失感。また同じことの繰り返しだ。

どうでもいいことに法則性を見出す症候群。


どうでもいいことを考えていても地球は廻るだけだから、切り替えてこう。



また季節は巡りめぐって真夏。摂氏三十六度。

今はないマッチングアプリで女と知り合った。


マリンちゃんは21歳、保育士。

フェミニンでゆるふわ系の男が好きな女子のど真ん中のタイプ。


「社会人になってから出会いがなくて」


単純にそう考えている人は多いし、実際にそう口にもする。

”学生時代に出会いがあった”っていうのは単なる錯覚に過ぎない。


学区や偏差値で輪切りにされて、番号順に詰め込まれた狭い箱庭の中。

その囲いの中で、たまたま好みの異性が見つかった。

あるいは相対的に”好きな人”という概念を作っただけ。


マリンはあまりに絵に描いたゆるふわ系。

数枚の自撮り写真を見る限りホンモノ。サクラじゃない。

出会い系でプロフィールに自撮り写真しかない場合は、避けて通るのが無難だ。

当時はそんなことは気にせずトントン拍子で連絡先交換をして、デートの約束をとりつけた。



やがて彼女とは、夜家に帰ったらどちらかが寝落ちするまで通話する仲になった。


>どこか行きたいところある?


>平塚のららぽーととかどうかな?


>へーよさそう


>よかった。デート楽しみ


平塚エリアは土地勘がない。近辺に詳しい女友達に情報を聞いておいた。

デートの予定まで連絡先交換してから1ヶ月くらいだったかな。

あと1週間ある。

ウィンドウショッピングした後はビーチで散歩とか悪くないかも。

呑気に幸せな初デートを思い描いていた。


>新しいプロフィール写真のエクボがかわいい


>今日パンケーキ食べに行ってきたよー!


お互いの距離を詰め過ぎず、かつ離れていかないように。

毎日往復するやりとりと夜の通話。今日あったこととか他愛のない話。

何を食べたとか、街の匂いとか、全部教えて。



約束の3日前に連絡が途絶えた。


「連勤だから疲れてるのかな?」


と放っておいたけど前日になっても返信なし。

おかしいと思って確認。


…LINEブロックされている。

何かの間違いかと思ってアプリのマッチ履歴を確認する。そこからも消えていた。

まじかよ。この1ヶ月ずっと好きだったんだぜ?


だがその1ヶ月は長過ぎた。

マッチングアプリはスピードが大切な要素だ。

翌日か、遅くてもその週末に会うくらいの速度感。

これが達成されない場合は、自然と気持ちが薄らいでいく場合が多い。


「直前になってなんかメンドクサくなっちゃった。ブロックしよ」


なんて本当によくあることだ。


しかし、俺は東京に住んでいるとマリンは知っていた。

当日、待ちぼうけになってしまうとは考えなかったのだろうか?

見た目だけじゃなくて、頭の中までゆるふわなのだろうか?



はっきり言ってマリンみたいな子はたくさんいる。

同時並行でデートの予定を組んでいくのはこの業界では常識だ。


さ、次々。


次に約束を取り付けたのは、玲美さんという事務職の27歳。

イエローのオフショルが眩しくて、揺れながら踊る黒髪が嫋やかでした。

すらりと身長が高くて、170くらいあったかな。

大人っぽい色香と子供っぽい仕草が素敵だった。

かといって妙ないやらしさはなくて、鎖骨にかけて流れるラインが神聖さを帯びていた。


玲美さんとのやりとりはルーティンできまっていた。

19時頃に一通のメッセージを往復する。それを律儀に繰り返す1ヶ月だった。


8月某日待ち合わせ。炎天下の竹下通りの入口。

きれいな鎖骨が眩しい玲美さんがそこにいた。

その端麗な容姿とは裏腹に向かったのはザ・ゆるふわ系。


サンリオのキャラを模った料理。パスタやオムライスを注文。

え、全然イケる。むしろ美味しい。キャラクタ系だと侮ってた。


「玲美さんはどうしてマッチングアプリやってるの」


「前の彼氏と別れて寂しくて」


「じゃあ今は募集中?」


「うーん、お休みしたい期間かも」


いやいや、アイドルグループの充電期間じゃねぇんだから。

これを聞いた私はリアルにどんなフェイスしてただろう。


「付き合い始めて気持ちが動き始めることもあるかもよ」


「あるいはそうかもしれないですね」


食事が終わって会計。ふたりで2,500円くらいだったかな。

ぶらぶらと街をあるく。

表参道から入った裏原でサンリオのグッズを見つける。


「はいこれ。来月誕生日なんでしょ」


「え、わ、ありがとう!」


安物のポムポムプリンのステーショナリーセット。

この日はじめてほんとの笑顔を見た気がした。

その光景は、荒んでいた俺の心をほんの少しだけ癒してくれた。

まるで真夏の木陰で揺れるひまわりみたいに。


そのあとクソ暑い中、次の駅まで歩いた。渋谷のFrancfrancで店内を眺めて過ごす。


「あたし今日、帰りのバスが時間きまってて」


「何時?」


「4時に帰らないといけなくて」


はやくね?夜はどこでご飯にしようか考え始めてた。

メトロの改札まで送る。いつでもごった返している。

何か言いたげな様子だから尋ねてみる。


「記念にいっしょに写真とりましょう」


玲美さんらしくないような申し出に驚いたけど、快諾する。

スマホで撮った、ふたりの記念写真。

改札越しに手を振ってバイバイ。


振り返って手を振ってくれた。

手を振り続けた。エスカレータから姿が見えなくなるまで。


そして二度と会うことはなかった。



>今日はありがとうございました。プレゼントまで

>こちらこそ。次はもっとゆっくり話したいね


そして玲美さんとの連絡は途絶えた。

次の日、アプリのマッチングが解除されていて、戸惑ってLINEを送ると


>ごめんなさい!!


その一言を最後にメッセージが送れなくなった。


なんの確証もないことだけれど。

始まりのどこかの段階で玲美さんは嘘をついていて、それに耐えきれなくなった。

そんなふうにいまは考えている。かなりの好意的な尺度で。


今まででもっとも美しい時間のひとつをもらって。

残酷に一方的に切断されて、かなしく空虚だった。


「いったい何がいけなかったんだろう」


そう問答を繰り返した。

この出会いがそもそもの誤りだと結論づける他なかった。


ごめんなさいなんて要らないからさ。

ありがとうをせめて言わせてくれよ。

さようならすらも言えてないんだぜ。


重く、深く、暗い気持ちへと身を沈めていく。

前後左右、見渡す限り真っ暗な闇。

それがとても懐かしい気持ちすらする。


出会いと別れに伴う痛みをぜんぶ、忘れたふりをして日常を繰り返す。


夏の終わりの勿忘草色の空は夕闇へと変わる。

それは星も光も飲み込む重力のような妖しい魅力を秘めていた。


手に入れてもないものを失った気分になる繰り返しの中。

何が欲しいかもわからないまま、ただ闇雲に手を伸ばす。

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Dirty Innocent as @suisei_as

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