第6話 観賞用の陶器

※直接的な性行為に関する描写が含まれますのでご注意願います。



あれは確か愛佳と初めて会ってからソープ嬢ひめかと出会うまでの間くらいの出来事だったと思う。

3ヶ月プランでマッチングアプリを契約してほとんど常に稼働させる。

すると25%くらいの割合で連絡先交換、その中から20%くらいの女性と実際に対面で会うことになる。


とにかく分母を増やすこと。

そのような意気込みで、最低限の誠意と最大限の好奇心を携えてスワイプアンドタップを繰り返す日々だった。


路上で声かけをしたり旅先で偶然出会ったり、日常の間に不純な出会いのきっかけは満ちている。

学校の教室で、ガラス張りのオフィスで、満員列車の中で、風俗のプレイルームで。

どこにでもある♂と♀の交流。特別な話ではない。それが特別だと感じる人にとってはそうかもしれないけれど。


俺はインターネットを通じて得られる、ある程度匿名的な出会いといったささやかな非日常に心惹かれている。

それは『You've Got Mail』のトム・ハンクスとメグ・ライアンの出会いとすれ違いが美しいと感じたからかもしれないし、映画の筋書きとはまったく関係ないことかもしれない。



女とはアプリを通じて数回のやりとりを行った。

彼女はゆず、と名乗った。柚子でもユズでもなくただゆずと名乗った。

特に問題のない丁寧なやりとりで、アプリからLINEに移行した時にありがちな、ぎこちなさや連絡が途絶えることなどがなく数日が経過した。


同時にTwitterのアカウントも教えてくれた。

名前を検索すれば彼女は今でもその姿をネット上で見つけることができる。

フォロワー数は1000人を超えていて、ほとんどが楽器演奏者たちだった。

自身が耳コピした邦楽ロックの演奏を投稿していた。


動画も視聴した。

音の粒立ちが滑らかで率直な鳴り方をしていた。

比較的アップテンポな8ビートの女性ヴォーカリストのロックが主体で、俺の好みのバンドはなかったけれど、ゆずの鳴らす楽器には心惹かれるものがあった。


>よかったら今週会わない?

>楽器のこととか色々聞きたい


邦ロックの話をきっかけにあったまってきたので打診する。


>いいですよ

>横浜駅の西口改札あたりでいいですか?


平日の夕方、仕事終わりの時間にご飯でもいこうという曖昧な約束が取り付けられた。

きみがもし純粋な時系列主義者で、従順に飼い慣らされた羊を目指すのなら、我々は会うべきではないのかもしれない。

でも一緒に歴史の改竄に参加してくれるのなら、好き勝手に線をいくつも描き足していこうぜ。




西口改札前は初対面の待ち合わせには向かない。いうまでもないことだ。

池袋駅はいけふくろう、渋谷駅はハチ公前、新宿は・・アルタ前はよろしくないな。

ともかく首都圏の巨大な駅周辺には有名な待ち合わせ場所がある。横浜駅にはそれがない。


”世界の乗降客数が多い駅ランキング”を調べてみると、その上位は全て日本国内のもので占められている。

その5位の横浜駅は1日に約200万人が利用する。

国内にあるトップ10の駅は全て行ったことはあるけれど、横浜駅はわかりにくさナンバーワン。

サグラダ・ファミリアと揶揄されるほど終わらない工事。追加される通路。混乱する通行人。

駅員はもちろん構内を住処にするホームレスでさえ、駅全体の構造を把握できないのではないかと思う巨大な迷路。

それは我々の人生にも似ていて、俺はこの駅に観念的な愛着さえ抱いていた。


「はじめまして、こんにちは」


黒髪ショートボブにサロペット、小さな白いバッグの真鍮色のチェーンを斜めがけにして胸の大きさが強調されている。

サブカル女子のゆずとご対面。


歩いてすぐ近くにあるマイアミ・ガーデンに移動する。店内はまだそれほど混んでいなくて自由に席を選ぶことができた。


コカコーラとパスタをセットで注文する。やたらとパスタばかり食べている気がする。

それはなぜかと考えてみる。

和食は箸を使って繊細な料理を口へ運ぶのはあまり得意ではないし、人と会って話をするときはなおさら緊張する。

手を使って食べる料理は、あまり初対面では好まれないかもしれない。

焼肉は好まれるのかもしれないが、店内に満ちている煙の匂いが好きになれない。


そうすると予算3,000円から5,000円で手軽に食べられるイタリアンに。

スプーンとフォークで簡単に料理を運べるパスタに、消去法的に決定。

様々なソースから味を選ぶことができる点も気に入っている。

たぶんそのような理由から俺はパスタばかり食べることが多いのだろう。


「今度スタジオでセッションする様子を見学するか参加したい」


大して考えもなく、そのようなことを口にしたと思う。

その時点で俺にとってゆずは、マッチングアプリを介して出会った恋人候補ではなくネットで弾いてみた系の動画を公開してフォロワー数が多いサブカル女子という枠組みだった。

会ってみてもその印象は変化することがなく、むしろより一層補強された。


一方でゆずは次のデート先を決めるために熱心だった。


「わたしと一緒にアプリやめましょう」


これは「付き合ったら他の女と会わないでね。わたしも男漁りは当面の間はやめるから」という意味で、出会い系から恋活系、婚活系アプリで枕詞のように使われる。


了承するような返答をして、その日はそれで我々は別れた。

改札口で見送ったゆずは振り返らずに、人混みに消えていった。



梅雨入り前の中途半端な季節。

雨が降ったりやんだりを繰り返している週の終わり。


ゆずと横浜駅東口にあるドトールで待ち合わせ。

アイスコーヒーを頼んで、あまりそれに手をつけることなく文庫本を読んでいると彼女が現れた。


ゆずはどの角度が自分をすばらしく魅力的に見せるかの研究に熱心だ。

彼女はスマホで自身を何枚か撮影した。

俺もそれに倣って自撮りをしてみたけれど「恐ろしく下手」というお墨付きをもらった。

自分がどの角度でどう見えるかについて、人生で興味をもったことはないし今後もないと思う。


「こういう角度が一番盛れるよ」


2人で並んで彼女のスマホで写真を撮影する。

確かに見え方は違うかもしれない。静止画的な美意識についてしばらく考えをめぐらせる。

どちらかといえばビジネスライクな雰囲気の店内に、付き合い立てのデート感がただよう2人は不釣り合いだった。


「場所を変えない?ここから歩いたところにそれなりに素敵なお店を知っている」


音楽的な話題がほとんど上がらなくなり、かといって具体的なデートプランが決まらない俺とゆずの将来はあまり見込みがない。

”一緒に行った人とは必ず別れる”という俺的いわく付きのカフェレストランにゆずを誘う。


「それよりもっと長く一緒にいられる場所がいいな」


色々飛ばす訳か。まぁそれも悪くないな。

スマホ検索で週末料金を適用した場合でも比較的安価なラブホテルを見つけて電車で移動した。

横浜家庭裁判所の近くにあるホテルが乱立するエリア。

コンビニでお酒とおつまみを適当に買い込んで、その中のひとつにチェックインする。

空室はラストワン。滑り込みセーフ。料金は14,000円/一泊。


「安いですね。次からここにしよう」


ゆずは楽しそうにそう告げる。毎回同じホテルで逢引きする関係性って今以て想像できないのだけれど、そんなことってあるんだろうか。


文字だけで読むとうんざりするくらい退屈。

そんな簡単に、ほぼ初対面でとんとん拍子にホテルインするわけがない。

そんなふうに考えていた時期が俺にもありました。


我々はそのとき自分ともっとも波長が合う人と出会っているだけだ。

性的な関係性を刹那に結びたい同士。あるいは結んでもすぐに綻んでしまう人たち。

モテるテクニックとかスマートなホテルへの誘い方とか、時間やお金をどれだけつぎ込んだかとか、そういったことは関係がない。


一緒に寝たい人がそこにいて、それを阻む要因がない人たちがスムーズに現実化していく。

清潔感とか年齢とか顔の造形とか体型の良し悪しなども無関係に、それは全てを飲み込んでいく。


欲望で埋められる寂しさや喪失感を内包した全ての存在を。



くだらないワイドショウを備え付けのTVで見た。2人で並んでクイーンサイズのベッドの上。

ソファに無造作に投げ捨てられた上着やバッグ。ローテーブルに広げられた缶チューハイとおつまみ。


君とは手を伸ばせば触れ合えるくらいの距離を保っていた。

ベッドでゴロゴロしている様子をふざけて横から撮ってみた。びっくりするくらい不細工に撮れたのでゆずに見せてみる。


「ちょっと。ちゃんとあとで消してよね」


特定の文脈でだけ意味をなすセンテンスがあるのと同じように、特定の角度で劇的に美しくなる肖像というものも存在する。


顔面の美醜と人間同士の関係性ってあまり関係がないように思うのだけれど、美しい顔は幸せな未来(それは魅力的なパートナーや金銭。豊かな生活や満たされたセックスなどと関連づけられる)が待っていると信じて疑わない人は多い。


ゆずが俺を誘うので、シャワーを浴びてからゆっくりと彼女の服を脱がした。

そこにはすべすべでまっしろな肌があった。ややふくよかな体型で広めの腰幅や豊かな乳房、たっぷりとした臀部。

その時の俺はその肌の質感が感動的だったので、官能は昂ることなく下半身は鎮まっていた。

「とても肌が綺麗だ。年齢でいうとどう高く見積もっても21歳に満たない」


妙に具体的な年齢で表現してしまう。彼女の実年齢は20代後半の最後の方。

出会って肌を重ねた女性と年齢を紐づけて記憶してしまうよくない癖が当時の俺にはあった。

その肌の質感はそれまでに出会ったハタチ前後のものと比べてまったく遜色ないか、むしろ優れてさえいた。


「気に入ってくれてうれしい。付き合ったら毎回この肌が抱けるんだよ」


彼女はそのようなことを言って、脱ぎかけの下着を全て自ら剥ぎ取った。

脱毛処理がされていて首から下の体は完全に体毛がなかった。


愛撫を続けたけれど、ゆずの性器は湿り気を帯びることがなく沈黙していた。

彼女は僕の性器に強い興味を持ったようで、刺激を手と口とで繰り返したので硬く勃起した。

彼女はその時期、とても不安定だったように見えた。

その日の午前中も別のセフレに抱かれて、その彼に何度も射精をしてもらったと告げた。


「今は濡れてないけれど入れて欲しい」


そう懇願されて、彼女の中に入っていった。

締め付けが強くて気持ちいいのではなく、濡れていないことによる摩擦のなさが不快感すらあった。


「ごめん。痛いから抜くね」


そう伝えて引き抜いた性器は硬さを失っていた。

腕枕をしてゆずとしばらく横になっていると、彼女は眠りに落ちていった。


そっと起き上がって羽織っていたバスローブから服に着替えた。

ヒーターを中から強にセットしなおした。6月の夜はおもったより冷え込んでいて、服をはだけたままのゆずが風邪を引くかもしれない。


「ちょっと風に当たってくる」


眠そうな彼女は曖昧な返答を返した。それを了承の合図と受け取り、部屋の鍵をかけて外へ出かけた。



夜の港は風が心地よかった。

深夜3時でも人が何人か出歩いていて、道を歩いているとすれ違った。


ずっと港に打ち寄せる波の音を聞いていると、まるで過去生の記憶のように曖昧な情景が浮かび上がってきた。

新港に浮かぶテーマパークのような映画館。そこで過ごした女性との思い出。

脈絡のない出会いと別れよりもずっと一貫している続きのある物語の断片。


自販機で缶コーヒーを買う。匿名的で平板なブラックをホットで飲む。

バイクに跨り、タバコをふかして現れる悪友。まったく意味もない話ができる友人が現れないか期待したが、そんなことは起こらない。


港の写真を撮ってからInstagramのStoriesに投稿する。

ひどく退屈な夜です。このまま家に帰りたい。


ホテルに帰る道すがら、看板が出ていない事務所とアパートを兼ねている小さなビルが目に入った。

エレベータも階段も誰でも使えるようだ。

意味もなく最上階まで登ってみる。


みなとみらいの夜景は得体の知れないビルから眺めても変わらず綺麗だった。

無批判に美しいと思える光景は、文脈を離れて意味をなさなくなるくらい切り取られても相変わらず綺麗なままだ。

ここから飛び降りたらたぶんほとんど即死できる。

そのような想像を思い描くだけで妙な高揚感さえ覚える。


だめだ、疲れているな。ベッドへ帰ろう。

弾いてみた系サブカル女子と痛いだけの挿入行為をしたベッドが、帰るべき場所とも思えないけれど。


部屋は十分なあたたかさだった。

ベッドのシーツを引っ張って、大きな乳房と白くて滑らかな脚が剥き出しのゆずをそれでくるむ。

文脈を離れても成立する美が存在するのと同じように、官能的な妖艶さを離れても成り立つ身体的な美しさが存在する。

俺にとってゆずの体は性交や射精、欲望の対象ではなかった。鑑賞して、感嘆して、触れて、感動するだけの対象だった。


ベッドに横になると自然と眠りに落ちた。



脚に乗る体重を感じたと思うのと性器が擦られていく感触がほぼ同時だった。

目を開けるとゆずがバスローブをはだけた格好で騎乗位で跨っていた。

俺はぼんやりとした頭でそれを眺めるともなく眺める。


数秒後に会陰部に刺すような感覚が走り、何の前兆的な快感もなく達した。

1回、2回・・・7回を数える脈動感がゆずの奥に絡め取られていく。

不完全な勃起がキツく締め付けられている感覚が、それが射精であると告げていた。


「どうでした?」

妖しい笑顔でゆずはそう尋ねると、先を中から引き抜いた。白い液体がベッドに滴る様子が見えた。

彼女は小さくなった陰茎から残った液体を丁寧に舐めとった。くすぐったいやや不愉快な感覚。


「シャワー浴びてきますね」


そう告げるとバスローブを脱いでゆずは浴室に向かった。

何も考えられず時計を見ると時刻は6時をすぎていた。あたまがまわらない。


「洗い流すときアソコから流れてエロかった」


わたしの中ってとてもキツかったでしょ。エロい女なんです、わたし。

少し嬉しそうに告げるゆず。


でも彼女が生来の淫乱気質ではないのがよくわかる。

好きなオトコがいて、そいつに色々と仕込まれる。

欲望に全て応えることでそれが愛情に昇華されると願うかのように。

果たしてそれは叶わず、彼の本命枠に収まることはできない。もっと魅力的なら彼も振り向いてくれるかもしれない。

色々な欲望に応えていくうちに、わたしの体の美しさと求められることで満たされる心にも気づいていく。


その途中でたまたま出会ったのが俺だった、それだけかもしれない。

俺がもし女の心と体をもって生まれていたらきっと、ゆずとハルのちょうど中間をいくような女になっていたと思う。


望んだ人からは誰からも愛されず、乾いた欲望を満たすために色々な男と寝る。

だんだんと本当に欲しいものが何かわからなくなってくる。

それは男の心と体をもって生まれている、今世でも同じことかもしれないけれど。



モーニングメニューはサービスに含まれていて、和風と洋風から選ぶことができた。

だるい頭のまま、朝食を咀嚼していると味がしない。


「また連絡するね」


そう伝えると既に日が昇って眩しい街を改札方面に向かってゆずを見送った。

今回も彼女は振り返らなかった。

そして彼女とは二度と会うことはなかった。


特に印象に残っていないから、定期的に思い出しておかないと記憶から消えていってしまうような人との出会いがある。

彼女のその声や感触や表情は、もうほとんど思い出すことができない。

陶器のようなすべすべの肌が、見ていてただ美しいと思った。そのことだけ記憶に留まっている。


俺が彼女に求めているものは何もなく、彼女が俺に求めているものも何もない。

ただ体温と湿度を摩擦を通して感じたい。それだけが唯一の共通項となって♂と♀は引き合う。


それはきっと刹那的な快楽と遺伝子の継承のちょうど中間地点にある。

吊り橋を渡るように、息継ぎをするように、二度と繰り返さない今日を後生大事に抱えながら明日も繋いでいく。

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