第5話 友だちを削除
※直接的な性行為に関する描写が含まれますのでご注意願います。
だいぶ寝過ごしたようで既に日は高く上がっている。
最近はスマホの電源を切って放置しているから目覚ましも鳴らない。
目を覚ますために水を一杯飲む。コーヒーを淹れるためにやかんを火にかける。
同時に冷蔵庫から卵とベーコンを取り出す。パンをトースターに放り込む。
洗面台で顔を洗う。iPhoneからシャッフル再生で音楽を流す。
不規則な生活にリズムが与えられる。
切り取って貼り付けたような日常の回廊。
リビングからベランダの向こう側の景色を眺めるともなく眺める。
「あれは、ちょうど今くらいの季節だっただろうか…」
たいていはそんな脳内の独り言から回想が始まる。
トースタが鳴ってパンが焼き上がったことを伝える。やかんはカタカタと沸騰している。
幾分感傷的で、だいぶ意図的に美化された記憶の奔流を中断して朝食の準備を進める。
それらを両手に持って、書斎として使っている部屋に入ってデスクトップPCと向かい合う。
Google、Bing、DuckDuckGo。
デジタルタトゥは一生消すことができないというけれど、サーバ上から消えたサイトはその足跡を辿ることは叶わない。
いつか見たflashの動画を何処かで誰かが保存して公開してはいないだろうか。
そんな淡い期待を抱いてあてもなく適当な文字列を打ち込んではインターネットを放浪する。
数分で切り上げて定期的に覗いているブログを開く。
20年近く更新を続けている息の長い日記をスクロールする。何ヶ月かかけて、ほとんどすべてを遡って読んだ。
“俺がいつまでも俺のブログの一番のファンでいる”
この文言がけっきょく一番心に刺さっている。
いつかはそう宣言したいと願うかのように、後生大事にそのセンテンスを抱えている。
そしてそれは、あるいはこう言い換えることもできるのではないだろうか。
”俺がいつまでも俺の人生の一番のファンでいる”
自己承認欲求と自己顕示欲求が渦巻く世界に対するアンサー。
誰に強要するでも、強制されるでもない時空間を回遊。
その足でもう一つのブログをハシゴする。
開設から12周年を記念する記事に目が止まる。しかしどの人も長く走り続けてすごいな。
“どうせなら一人の人生に深く突き刺さるものを作り出したい”
なるほど、確かにこの人は人生そのものが文学ですねと納得する。
その後塵を拝しながら自分にしか書けない線を書き足したい。
まるで子供が与えられたばかりの真新しいえんぴつで、意味もなく落書きをするみたいに。
Web上の寄り道をやめて、本格的にデスクトップに向き合うことにする。
テーマなんてもんはない。
まるでミルフィーユみたいに幾重にも折り重なったストーリーライン。
手繰り寄せて照らし合わせて、できれば新しい何かを作り出したい。
一人の人生に深く突き刺さるものを。
*
GWの渋谷は混み合っていた。
本当だったらわざわざこんな混んでいる時期に、日本一混雑してそうな渋谷駅なんて願い下げ。
何年経っても人混みには慣れねぇ。
昨夜、といっても日付が変わっていたから今日。
午前1時にアプリでマッチして通話。そのまま意気投合してデートしようということになった。
俺より7つくらい歳下。美しく優しいと書いてみゆと読むらしい。
誰しもその二つがあればと思う素晴らしい特性。
何を話そうか何処へ行こうとかそんなこと考えてもしょうがない。
東横線に揺られてハチ公前へ。
「はじめまして!」
元気よく手を振る美優が駆けてくる。
改札口から通話で今いる場所をお互い確認して待ち合わせた。
美優はつい最近まで高校に通っていたような年頃とは思えないくらいしっかりとした雰囲気。
ある競技のセミプロ選手らしく、活発で小麦色の肌が眩しいようなスポーツ少女。
大体がインドアで本かCDかDVDと過ごしている俺とはまったく逆のタイプ。
小柄でショートカット。
ライダースでボーイッシュにまとめている。
そのジャケットの間から、服の上からでも分かるくらいの豊満なバスト。
昨夜の通話で散々世間話をしていたから、初対面とは思えないくらい打ち解ける。
Francfrancでウィンドウショッピングのあとはセンター街のゲームセンターでプリントシール。
背丈も年齢も離れているのも忘れるくらい、付き合い立てのカップルみたいな午前を過ごした。
道玄坂の隠れ家的なレストランでランチ。
店は意外にも空いていた。しかもテラス席に通してもらえた。
予約するタイミングがなかったけど結果オーライ。
「こんなとこあるの初めて知りました」
美優は目を丸くしてあたりを観察する。
そこには、イメージと違ってというニュアンスが強く含まれてて
真面目そうなのになんでこんなチャラそうなお店を知ってるの?と言いたげだった。
「学生時代に友達に連れてこられてさ」
と正直に答える。
しょっちゅう店舗を貸し切って飲み会だのパーティだの開いている知り合いがいて、時々そこに俺も呼ばれたものだった。
そういう繋がりって卒業したらあっという間になくなる。
なくなって困るものでもないから、聞かれるまで忘れていたくらいだ。
俺はランチのパスタセットをオーダー。優美はロコモコ丼セットにしたようだ。
「コーヒーとか先にもらう?」
「ん~。お酒飲みたい」
サングリアワインとジントニックを追加で注文。
平日昼間から飲むカクテルは美味い。
ふだんは飲まないお酒でぼんやりしながら、
俺は彼女の指先から肩、ふくよかな胸元とそして唇が上下する様を見つめていた。
お互いにリラックスしてのんびりとしていると、雲行きが怪しくなってきた。
テラス席にいたらゲリラ豪雨の洗礼を受けることになる。
会計を済ませて連れ立って駅の方へと歩く。
自然にどちらともなく手を繋いで。歩幅はお互いの調子に合わせて。
来た時と同じハチ公前の改札。
今度近いうちに、スカイツリーに遊びに行こうねと約束してバイバイ。
好きとか付き合いたいとか抱きたいとか、感情と衝動は揺れ動く。
そのどれでもない場合だってある。
お互いが何を必要としているかわからないから、それを共通項にして繋がる。
何も必要としていない人を必要としているだなんて、言葉遊びみたいだけどそういうことってある。
また必ず電話するから、とその姿が見えなくなるまで手を振る。
美優はもう一度振り返って手を振り返してくれた。
*
今日も寝過ごした。
日はまた既に高く上がっている。
かといって目覚ましに起こされるくらいなら、一生眠っていたいくらいだ。
水を二杯飲む。洗面台で顔を洗う。
冷蔵庫に入れておいたコーヒーに、ベランダで摘んだミントと製氷機の氷を放り込んで撹拌する。
大脳辺縁系が処理エラーでフリーズしたみたいに頭痛がする。
洗濯機をまわす。脱水された衣類を物干し竿にかける。
不規則な生活が転調する。
コピーして貼り付けたような日常から脱線。
ベランダの向こう側から子ども達がはしゃいでいる声が聞こえる。
スマホの通知を確認すると、寝ている間に山岸くんから着信があったようだ。
あとでコールバックしなきゃな。
話すことなんて特に何もないけれど。
たいして重要じゃないことのために、我々は大量の文字を使う。
俺とお前は友人なんだと、だからいいじゃないかと。
馬鹿馬鹿しいけど素晴らしい、これぞ求めていた人生。
*
渋谷駅での短いデートのあと美優とは毎日のようにLINEと通話をしていた。
何を食べたとか街の匂いとか、全部教えて。
もうほとんど何も思い出すことができない。
交わした言葉の数々とか受話器越しに聞いた悩みや楽しみのあれこれ。
思い出せるのはこの年頃の女の子特有の「あれも欲しい、あの場所にも行きたい」というリストが延々と連なって、
ウェイティングリストがとんでもなく長いものになっていったということだ。
まるでエルメスとかフェラーリの待ち客リスト。
育たない未来の種をいくら蒔いても、ひとつも芽吹かない。
首都圏の5月終盤ともなればもはや夏。
今日は都営浅草線、浅草駅で待ち合わせ。
小柄な美優を見つけ出して「久しぶり」と手を振る。
可愛い花柄のワンピースで涼しげなおでかけコーデ。
彼女は熊谷にあるアパートから2時間弱かけて来てくれた。
ここは観光客で年中ごった返しているし、3回に1回はメディアの取材カメラに出くわすような気がする。
早々に駅から離れて目的の方へと向かう。
お洒落なカフェとか街ブラを楽しみたければ、蔵前の方が落ち着ける。
仲見世通りで観光客っぽいことをやりたいわけじゃなくて、大人な休日を過ごしたい人は特に。
俺は数週間ぶりに会う随分と歳下の女の子と歩いて、雑踏から外れて東京スカイツリーを目指す。
国民的人気の男性アイドルユニットが大好きでドームコンサートに行ったという話を聞きながら散歩。
デビューしたときから知っているからきっと俺の方が詳しい。
彼らが出ていた歌番組とかドラマで印象的なエピソードを交えて話す。
無理に背伸びして大人の話題に合わせたり、流行をわかっているふりをしたりはお互い苦痛。
幅広い世代に訴求する最大公約数をテーマに話を広げた方が手っ取り早いし楽しい。
歩いて到着した東京スカイツリー。
いつ見ても冗談としか思えないフォルムだ。
単に見慣れているからかもしれないけれど、東京タワーの方が街並みに溶け込んでいる気がする。
その日はたまたま知っているシンガーソングライターが広場でライブをやっていた。
立ち止まって美優と二人で並んで観る。演奏が終わると多くの人々が拍手を送る。
その中でハンカチで涙を拭くおばさんが目に入ったが、横顔をじっと見ていると演技だとわかる。
溜息をついて、もう行こうかと告げて水族館へと向かう。
すみだ水族館は東京スカイツリータウン内にある。
ペンギンとかクラゲとか眺めて適当な感想を言い合う。
薄暗くてひんやりとした空間にいるだけで眠くなってくる。
適当にランチにしたかったけれど、お昼時でお店はどこも満席。
押上駅から一気に横浜まで行って遅めのランチをとることにする。
着く頃には空いているだろう。
*
横浜駅の東口から徒歩10分圏内の瀟洒なカフェ・レストランに向かう。
店は思った通り空いていた。一番奥の窓際の席に通してもらえた。
このお店はデートや会食で使うと、その相手とは疎遠になるという個人的なジンクスがある。
気に入っているんだけどな。
ゆるいハワイアン。無害なバックグラウンドミュージック。水の流れる音に重なる。
ランチタイムが終わった中途半端な時間だったけど、ディナーのメニューを頼んでもいいという。
ご厚意に甘えて早めの夕食も兼ねることにする。
俺はロコモコセットをオーダー。美優は海鮮パスタセットにしたようだ。
「何か飲む?」
「カクテルがいい」
チャイナブルーとジントニックを注文。
先にテーブルまで運んでもらって乾杯する。
料理が運ばれてきたあたりからふたりとも無口になって、それこそ食事に夢中になった。
なにしろ飢えてたし、特に気を使う間柄でもなくなっていたし。
食事の後俺はエスプレッソ。彼女は飲み続け、デザートのケーキを頬張った。
彼女がテーブルにだらっと、でも心地よさげに投げ出した手を握った。
「今日は帰りたくないです」
大人になったら忘れてしまう幼い頃の口約束。
名前も顔も声も思い出すことがなくなって追憶の彼方。
打ち寄せる波音。指切りをした光景。走馬灯みたいにフラッシュバックする。
会計を済ませて連れ立って駅の方へと歩く。
手を繋いだまま。歩幅はお互いの調子に合わせて。
来た時とは反対方向へ向かう横浜線に乗って数駅。
ラブホテルが群立するエリアがその近くにある。
直行するだけだと情緒がないから、ちょっとみなとの夜景を見て歩こうと提案。
変なテンションでふざけている様子をお互いスマホで撮影。
こうしてみると本当のカップルみたいだ。
お互いが何を必要としているのかがわかるから、それを共通項にして繋がる。
「夜景きれいですね」
「その多くは働くおっさんの街灯りだけどね」
「それを言ったら」
山下公園から歩いて山下橋を渡って5分。
丘を登り始めたあたりの中途半端な場所のホテル。
何か足りないものがあればフロントに言えばいい。そのままチェックイン。
*
夕空晴れて、夏風が吹き、月影落ちて、嬌声が響く。
どちらかと言えばスタイリッシュな装いのホテルだ。
気の利いた壁紙と控えめなBGM。
女子会プランとしてもビジネスユースとしても違和感なく楽しめそうだ。
優しくて美しい女の子とふたりでチェックイン。
ソファに座ってどちらからともなくキスをする。
「わたしのこと好きですか?」
「一緒にいられて嬉しいよ」
答えになっていない答え。
指先で首筋を辿って肩から鎖骨へと降りていく。
甘酸っぱくて弾けそうな匂いと豊満なバストの感覚に泥酔しそう。
無我夢中で、気づいたら押し倒していて、ソファの上でお互い裸になっていた。
ベッドの傍に膝立ちしてもらって、乳房で挟んでもらう。
物理的な刺激を視覚的な刺激が超えていく。まるで放物線を描くみたいに。
ピークに達する前に攻守交代。
手と指と舌で刺激する。上も下も全部。あっという間に手首まで愛液が滴ってくる。
「こんなにいじめられたのはじめて」
美優の男性経験が何人なのか聞いてなかったので尋ねてみる。
「5人くらいかな。でも割とすぐ付き合っては別れて、みたいな感じなんです」
確かに一度彼氏ができたら途切れないんだろうな。
人好きのする容貌と明るい性格。
こういうと失礼なのかもしれないけれど、傍目にもわかる美女より
「ちょうどいい感」「隙がある感じ」が漂う女の子って圧倒的にモテてる気がする。
お互いちょっと疲れてベッドで小休止。
話の流れから今までで一番長く続いた恋愛の話になる。
「いままで最長でどれくらいですか?」
「わからないな」
正直に答える。
目に見えない関係性の一体どこからがスタートで、どこがゴールなのか見当がつかない。
「付き合ってから別れるまで便宜的に区切るとするなら1年ちょっとかな。
定期的に会っている関係性とか、ふつうに仲良く出かけるだけの期間とか入れると正直言ってよくわからない」
美優はいちおう納得した様子で、一番思い出に残っている人は誰かと尋ねる。
「今ここでいうことほど場違いなことはないけれど。
体を重ねることも手を繋ぐこともなかった人のことは、記憶から薄れずいつまでも憶えている気がする」
「そういうものですかねぇ」
遠くを見るような目は何もとらえていない。
たぶん生きているうちに色々なすれ違いを経験できると思う。
単に気持ちが離れたとかそういうのだったら健全で時間が解決してくれる。
問題はその時間が主な原因で、すれ違った距離を取り戻すことが難しいか、あるいは全く叶わないことがあるってこと。
*
気づいたら俺は眠っていて、夜が明けていた。
身じろぎすると美優も目を覚ましていたらしい。
「もう朝になっちゃいましたね」
夜の欲望は夜の間に解放しておかないと溶けて消えていってしまう。まるで魔法が解けたみたいに。
「まだ時間あるからしよう」
唐突にそう告げる。手と指と舌で愛撫して濡れてきたのを見計らって正常位で挿入。
数分間であっけなく射精する。
10時になる前にチェックアウト。初夏の日差しが鬱陶しいくらいに眩しい。
喉が渇いたキオスクに立ち寄って、石川町駅のプラットフォームで手を振ってバイバイ。
そして美優とは二度と会うことはなかった、と言いたいところだけど後日談がある。
あれからもたまに連絡を交わしてて、1ヶ月後彼氏ができたと教えてくれた。
Instagramに幸せそうな投稿が続いていて「いいね」を押した。2ヶ月後、彼氏と別れたと教えてくれた。Instagramの元カレとの写真は全てきれいに消されていた。
10ヶ月くらい経ったころLINEで
>元気ですか?
とだけ連絡があったから電話した。
「イチャイチャしたい気分です」と言うからまた渋谷で待ち合わせしてホテルに行った。
それからはもう会うことはなかった。LINEのトーク履歴を消して、友だちから削除した。
文字にするとうんざりするくらい退屈。蒔いた種は一つとして芽吹かず枯れていった。
死ぬほどどうでもいいことなのに、忘れたくはない何かがあって、それを一つずつ紐解いてみる。
その度にその綻びから見えてくる別の側面がある。
いくつもの織り重なった世界。
朝と昼と夜を繰り返して、また一つ線を書き足していく。
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