第3話 ネットワーク
※直接的な性行為に関する描写が含まれますのでご注意願います。
ある年の桜が散ったあと新緑が芽吹く前の中途半端な季節。
1年というのは節目に立つと先が長いようで、いざ始まってみると次から次へとくる雑事でカレンダーが埋まってしまう。
俺の人生、どこからどこまでが自分のものなんだろう。
そんなことを思っていても仕方がないので、火のマークのアプリを右へ左へスワイプする。
そこに何か慰めを見出すかのように。
適当なメッセージをやりとりしただけですぐに会う約束を取り付けた。
同年代の女で、近くに住んでいるからファミレスでもいいから会いたいとのことだ。
ろくにやりとりもしないで会う予定を取り付けられる相手は黄色信号。
そんなことは関係ない。
危険を知らせる警告音が鳴り響き、ドクロが赤く点滅していたとしても嬉々として会いに行く。
*
ひめかというソープ嬢とただ無駄に豪勢な浴室でシャワーを浴びて、ベッドの上でLINE交換をしたあとのこと。
店を出るとLINEに通知があった。
>連絡遅くなってごめん!駅で待ってるから合流しよ!
ファミレスにいく予定だったけど、わざわざローカルな駅をご指定。
ちょうど知り合いの家に集まっているらしくて、せっかくだから一緒にどう?とのことだった。
へぇ。おもしろそうじゃん。
心からそう思った訳ではないけど暇なので遊びに行くことにする。
*
20時頃に私鉄の各駅停車しか停まらない駅の改札に到着。
駅からほど近いコンビニでご対面。
「はじめまして!突然なのに来てくれてありがとう」
愛佳、と名乗った。TinderだとAikaと表示されていたと思う。
AyakaとかAimiとかAlexsanderだとか字面が似ていてしょっちゅう呼び間違えそうになる(最後のは違うだろ)。
「今日はどういう会なんですか?」
若い子たちが集まっていてリーダーを中心にケーキ作りを行っているらしい。
へぇ。こんな夜遅くに。
適当に雑談しながら10分ほどあるくとアパートが密集している地帯があった。
そのうちのひとつ1階角部屋。インターホンを押さずに入る愛佳。
「おじゃましまーす」
おぉ。と思わず引いてしまう。男女7、8人がいる。
この狭い部屋に人数が想定より多いのも驚いたけど大半は10代後半かせいぜい二十歳くらい。サークルの新入生歓迎会みたいな風景に見えた。
遅れて参加したことになるので、隅の席に座る。
どうやらフルーツケーキを作っているみたいだ。
ケーキ作りを担当する年長っぽい女性が時折やたらと商品説明くさいことをするのが気になった。
ただ小麦粉とバターを混ぜて焼くだけなのにレクチャーもクソもないと思うが、説明する女性とアシスタントがいて後のほとんどはぼーっと眺めているだけだ。
ケーキをオーブンで焼いているあいだに「ラテアートをつくってみよう」ということになって、かわりばんこでワイワイする。
俺の描いたハートマークはフォームミルクに沈んで行った。
適当に周囲の人間と自己紹介して雑談していると、不安げな顔の大学生くらいの女の子が
「私も今日初めて連れてこられて、何の集まりなんですかね」と聞いてきた。
マッチングアプリ経由かどうかは聞かなかったけど、古参と新規がいそうな雰囲気があったのはそういうことか。
この会のリーダーらしき30代くらいの男がスピーチを始める。
健康についてとか体を作る大事な要素についてとかなんとか。
起業セミナーとか情報商材を生業にしている人っぽい胡散臭さといえば伝わるだろうか。
黒のUネックシャツに明るいネイビーのジャケットを羽織って、七部丈の白パンツ。
清潔感を感じさせるといえば聞こえはいいけど、人相とか全体の雰囲気をファッションで誤魔化すことはできない。
コイツはあんまり信用したくねぇな、という印象だけが残った。
結論からいえば何かを売りつけられたり、美人局的な展開があったり、怖いお兄さんたちが現れたりしたわけでもなく
ふつうにケーキとラテを食べて解散した(味はほんとうにふつう。コンビニスイーツの方が若干美味いかなってくらいのレベル)。
大学生くらいの子がけっこうしつこく次の予定を聞かれててちょっとかわいそうだった。
俺は特にノーマーク。愛佳がついてるから泳がせておいて、っていう感じだろうか。
*
ひめか嬢と江ノ島デートして部屋に泊まって連絡を取らなくなった後だったかな。
また愛佳と連絡して今度はふたりで会うことにした。
仕事終わりにお互いの家の中間地点のファミレス。
今回は先に俺が到着していたので、メニューを見て時間を潰す。
「仕事終わりにごめん、待ちました?」
今来たところだよ、何食べる?とメニューを適当に開く。
すると眉間に皺を寄せて「私、ほとんど外食で食べれるものないんですよね」とのたまう。
ファミレスで良いって言ったじゃねぇかよ。
俺は八宝菜定食、愛佳はドリンクバーだけ注文。なんやこのミスマッチ。
「私、食品アレルギーでアトピーもあって。
でもAさんの商品に出会ってから結構よくなってきて、良いものは良いってみんなに広めたいって思ってるんです」
お、キタキタ。Aさんっていうのはこの間の会の主催者っぽい胡散臭い兄ちゃん。
その商品っていうのはウォータサーバだか浄水器だかそういうものらしい。
「色々細かい説明はAさんが詳しいんですけど。お水にはこだわっていたりしますか?」
「まぁ竹炭とか青瓶に太陽光を晒した水を長年飲んでいる。
元も子もないこというけど、好きな人と一緒に楽しむことが食事をしっかりと体に吸収する助けになるって思うよ」
「気持ちの持ちようも大事ですよね。
でもその浄水器を使い始めてほんと今よりもっと肌がひどかったんですけどマシになったんですよ。
今では飲み水だけじゃなくてお風呂もぜんぶそれを使ってます」
「へぇ、やけに推すね。どういう機構なのかな?」
「うーん、ビタミンのボールが使われていたり…それこそ細かく砕いた炭が使われていたり」
「じゃあ炭ぶち込んでおけばいいんじゃない?笑
竹炭は1gあたりテニスコート1面分だかの表面積があってすごく細かい穴が空いている。
そこで不純物を吸着・濾過して水の分子を飲みやすくまろやかにしてくれる。
ここの行政の水は家庭に届く段階でかなり綺麗にされているから、高い金だして”浄化”するほどの必要はないと思うよ」
この話はこれで終わり、と適当なでっちあげの知識でそれっぽいことをいう。
ちょうど届いた八宝菜定食にありつくとする。
その後も食品添加物がどうとか色々話していた気もするけど、半分は聞き流した。
ファミレスの中華定食はおいしいはずだけどその話のせいで味があまりしなかった。
もう満腹だと落ち着いていると「この後どうします?」と愛佳が尋ねてきた。
「どうしますも何も。もう22時まわってるし帰るよ。明日も仕事だし」
愛佳は少しぽっちゃりだけど、小柄でいまどきっぽいキュートなルックス。
LINEのアイコンは人生楽しんでます系女子っぽい多幸感を放っている。
実際に会ってふたりで時間をともにするとエネルギーを少しずつ奪われる様な感じがあった。
上手く表現できないけど、一回沈んでから這い上がっていこうとする回りくどさ。
とても不幸な境遇をなんとか克服することに光を見出す姿勢。
それについてはわからなくもなかった。
何かコンプレックスや欠乏感に端を発した願望があって、
それを試行錯誤の末乗り越えた経験って何事にも変え難くて貴重なものだと思う。
でもそれはあくまで当人にとってだけの話だ。
他人の成功体験が適用されるかどうかはわからない。
著名人の伝記とか成功者になるための12の習慣、そんなもの読んだことがなかった。
他人の境遇を、他人のやり方で、他人がやり遂げたことはとてもすばらしいことだけど。
自分の人生とはほとんど関係がない話。
もちろんこの話も愛佳の話とほとんど関係がないので進めますね。
「で、けっきょくなんの会だったの?」
「アムウ⚪️イって知ってます?」
「アムウ⚪️イかよ」
そこで思考停止して、目の前の人を全否定することまではしなかった。
最初から知らせずに謎の会合に巻き込まれたことによる不信感は募ったけど。
あーはいはい、っていう雰囲気をなるべく出さない様にしてお会計。
ドリンクバー代くらい俺がおごりましたよ。
「私車できてるんで、送っていきますよ」
愛佳は少し含みのある言い方をした。
今更女の色香を出されても…。
愛佳の戦略を頭の中で再構築してみる。
最初にヤれそうでヤれないムードの色仕掛けで、男を連れ出す。
何度目かのデートで「友達もきてるんだ」と誘い出して楽しいサークルに参加したとしたら、
あるいはウォータサーバくらい買ってしまうかもしれないな。
「歩いて帰れるからいいよ。今の季節は夜風が涼しくて気持ちがいいし」
あくまで好意を無下にしないように、しかしできるだけ足早にその場を立ち去る。
そして二度と会うことはなかった。
*
マッチングアプリをやっていると普段出会わない人々に遭遇する。
意識高めの社会人サークル風で実は商品を買って売る、という行為を軸につながるネットワークの一員が一定数存在する。
別に否定はしない。
非営利目的の団体が全てクリーンな訳ではないし、新興宗教団体だって至って真面目で向上心があるかもしれない。
会社組織だって営業利益を追求するだけでなく、生涯共にする友人や伴侶を得ることだってあるだろう。
周波数が一致する人と共鳴し合う。
自分だけの道を歩こうとすると自然と周りから人が少なくなっていく。
馴れ合って共に連れ立って歩くのも悪くはない。孤独に酔っている訳じゃないけど、少し羨ましい。
志を同じくする人と何かに一生懸命になれるのはいいだろうな。
出会いや別れを無数に繰り返していくことで、けっきょく他人は他人だということを再確認し続けるだけなのかもしれない。
春の夜の生ぬるい風が肌をまとわりつくように撫でていく。
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