第2話 Fake Love

※直接的な性行為に関する描写が含まれますのでご注意願います。



その日は暗くなるまで図書館で調べ物をしていた。

都内某所にある図書館には、来館者用のパソコンが常設してある。

別のエリアに持ち込みのパソコンを操作できるスペースがある。

僕はそこでNet Bookを開いてUSBメモリを読み込んでレポートをまとめていた。

一通り作業が終わったので一息入れる。

スマホで今日の逢引きの相手からEメールの着信があるかどうかチェックした。

ふと隣に見たことのある横顔があった。


「伊東さん?」


福祉系の地域コミュニティ。

意識高い系とは少し違う実践的な学習サークルのようなもの。そこで何度か話したことがあった。

伊東さんはまさに大和撫子といった趣の女性。女優やモデルといっても疑わないレベルの黒髪美人。温和で、誰にでも明るく接する非の打ち所のない性格。


「おひさしぶりです。お仕事ですか?」


作業を中断されたのにも関わらず柔らかい笑顔の対応。

いつもしかめ面で応対する職場のお局様に、伊東さんの爪の垢でも煎じて飲ませたい。

ちょっと調べ物ですと答える。逢引きのメール確認のことは口に出さない。


適当な雑談をしつつまじまじと顔を見る。

伊東さんとまともに会話をするのは初めてだった。

美人であるのは知っていたが、あらためて近くで見ると老若男女を惹きつける人間的な魅力があるように思えた。

美女や男前に普遍的な悩みとして、無表情でいると顔の造形的な美しさのせいで「冷たい人だ」と思われてしまうという悲しき誤解がある。


彼女はそれを補うかのように完璧で無害な笑顔を表情筋がメモリーしている。

微笑むと目尻に皺が寄ってチャーミングな印象を相手に与える。


「遅くまで大変ですね。今日はこの後ご飯食べて帰るんですか?」


僕の予定なんて聞いても面白いことはなんにもない。

このあとは109シネマズMM横浜でありきたりな映画を観る予定です、と答える。

逢引きの部分は編集の都合でカットする。


「いいですね!もしかしてデート?」


「まさか。男一人でポップコーン片手にレイトショウです」


文字にするだけで退屈なスケジュール。

楽しんでくださいね、という言葉を合図に席を立つ。

可愛いキーホルダがついている携帯電話を握りしめていることに気づいた。もしよかったらと声をかけて、赤外線で連絡先を交換する。


個人情報が目に見えない光になって飛び交うようすを想像する。

手を振ってバイバイする。

自分から連絡先を聞くことって珍しいな、と他人事のように思う。

都営地下鉄線の駅のホームで


>さっきはお邪魔してすみません。またよろしくお願いいたします


というような中身のない短いメールを送信する。


>こちらこそ。映画楽しんでくださいね(^^)!


美人が送るメールってそれだけで可愛く見えるからズルいよな。

都営線で吊り革につかまりながら、伊東さんの笑顔と声を反芻していた。



横浜駅はサグラダ・ファミリアと揶揄されるくらい永遠に未完成。

新しい線が増えると蟻の巣のように地下街がつながって広がる。

その度に地上に這い出る人々の動線を変化させる。


今日はJRから東口を目指して、新高島方面から歩いて映画館へ向かう。

高速道路と高層ビルが立体的に交差する景色を眺めながら歩く。

灰色のビルディングが夜の闇に溶け込んで、残業しているのかセキュリティ上の理由か定かではないが、明るいオフィスの窓が星空のようにあたりを照らす。

星に願いを。街明かりが誰かの願いを叶えていく。夜を徹して。


平日夜の映画館はがら空きで、席は選び放題だった。

ポップコーンとジンジャエールを注文して真ん中の席に座る。

意外にも映画は退屈ではなくて、矢のように時間が過ぎていった。

ありきたりではない人生の教訓になりそうな名句が並んでいた。後になってみるとさっぱり覚えてないんだけどね。


25時の逢引きまであと2時間。

深夜になっても何か食べさせてもらえる店といえばファミレスかファストフード。

チェーン店でプラスティックの安い椅子に座って時間をつぶす。

口に運ぶチーズバーガーと同じ国の出身であるミュージシャンのリーク音源を聞く。


「なんだ、今回もやっぱり銘曲か」


良い意味で期待通り。

本物のいい楽曲はたとえ音質がボロボロで、著作権対策で後半部分のキーを半音いじられていても名曲だとわかる。

本物って明らかにそれとわかるんだよな。

昨今はアレンジや凝ったミュージックビデオでヒットチャートを席巻する楽曲も少なくない。

それらがぜんぶ偽物だとは言わないけれど。

本物を前にすると残酷なまでに実力差というものが現れてしまうことに心地よさと虚しさを同時に覚える。


バッテリは充電しておいたにも関わらず残量があとわずか。

約束の15分前にメールの着信。


>車で近くまで行きますね


よかった、ドタキャンじゃない。ひとまず胸をなでおろす。

連絡もなく一方的に音信不通になることすら日常茶飯事の中、到着前に連絡が来るだけで好印象。

マッチングアプリ全盛になる前の方が健全なネチケットで秩序が保たれていた気がする。

不健全な目的で掲示板を使っている僕がいえたことじゃないか。


「はじめまして、和葉です」


事前にもらっていたプリクラとは印象がかなり違う女が立っていた。

もちろん加工された写真と違うというのは予測していた。

送られた写真からはリア充的な開放感のある、人生楽しんでる系女子っていう感じが伝わってきた。

ところが今目の前に立っている女からは中堅どころのガールズバーで、ランキング圏外に落ちてしまったようなスレた悲壮感が漂ってきている。

本当に和葉さんですよね、と確認したい気持ちをグッと抑える。


彼女は初対面なりの明るさと丁寧さで車内に誘ってくれる。

初めての対面がまさかの助手席。子供用の玩具が散らばっている。

もしかしたらバツイチかシングルかもしれない。


何かそれについて一言かけるべきだろうけど、女の持つ雰囲気とこれからホテルに向かう車内という状況がそれを阻んだ。

代わりに車内のオーナメントがかわいいですね、と話を振る。

アゲハ蝶に宝石をあしらったデザインのプレートがバックミラーにぶら下がっている。


「かわいいでしょ?スワロフスキーなんだ」


ニセモノだけどね、と笑う和葉。

ダイヤモンドを模したガラスのニセモノか。

イミテーションラブという言葉が浮かんで消える。

それだとオリジナルに忠実に、本物に似せようとしているようで違和感があるな。

僕ら二人にはフェイクラブという言葉がお似合いだ。

最初から目的ありき。似せる気なんてさらさらない。


車で移動すること5分。

予約をとっておいた部屋を指さして案内する。

きれい。こんなところ初めて、という嘘を聞き流す。

深夜チェックインでロングコースも安くなっていて、1泊で6,800円くらいだった。

エレベータで上階に上がって、極彩色の廊下を渡ってルームのドアを開く。


あらためてよろしく、とお互いの身の上話を少しだけする。

掲示板では寂しさを手っ取り早く埋めたい女性が少しだけ存在している。

それに群がる男性は大量に溢れかえっていた。

なぜかその掲示板に集まる女性たちとは意気投合することが多く、

それまでにも何人かと出会ってはさようならを繰り返していた。

今回もそうなるんだろうな。


「仕事で遅くなっちゃって、こんな時間でごめんね」


和葉さんの仕事は何ですか?とは聞かずお疲れ様ですと言って冷蔵庫のビールをあける。

ムードもなにもなく抱き寄せて首筋にキスをする。

ドン・キホーテで1,980円で買えそうな香水の奥に女の匂いが込み上げてきている。

無機質な間を埋めるためにしたキスを皮切りに、性的な行為が始まった。


洋服を剥ぎ取ると黒いセクシーな下着が露わになった。

早々にそれも脱がすと鎖骨から乳房、臍周りから腰、足の付け根から秘部へとリズミカルに下っていく。和葉の吐息が荒くなる。

手と指と舌で責めること数分。女は短く声を上げる。

ゴムつけた方がいい?と念の為確認すると


「好きにしていいよ」


と浅く息をしながら答える。

女の子なんだから自分を大事にして。ちゃんと断りなよ。

聞いておいてうざいな、と自分でも思う。そのようなことを口にして備え付けのスキンを根本まで下ろす。

挿れて突くだけの儀礼的な行為。

演技という範疇ですらなく、SEXしてるから喘ぐという条件反射みたいな和葉。

ほどなくあっけなく放精。


引き抜くと薄いグリーンのゴムの先に大切にチャージした数十日分の精液が溜まっている。

時計を見ると深夜2時を回ったくらい。出会ってから1時間と少し経過していた。

急速に足先が冷たくなっていくのがわかり、会陰部から力が抜けていった。

ほんの5秒前の熱は消えて、ひたすらに後悔に似た罪悪感が襲ってきた。


「ちょっとトイレに行ってくる」

返事を待たずにバスルームへ向かう。

残骸を処理しながら排尿するとわずかに精液が混ざった白濁色をしていた。



数時間前に連絡先を交換した伊東さんは今頃眠っているだろうか。

便座の上でボケっとしながら考える。

今日の夜の相手が彼女だったら今ほどの虚しさは感じないという確信があった。

そのあとの時間は、別々にシャワーを浴びたり、スマホの画面はどうして指で反応するのだとか。

本当にどうでもいい話を聞いて過ごした。射精後のダルさと長い1日の疲れで何もかもがどうでもよかった。


明け方過ぎに始発が動き出したあたりでチェックアウト。

真夏の太陽はもう昇っていて、既に蒸し暑くすらあった。

朝の光はディティールを浮かび上がらせて、夜の魅力を跡形もなく消し去る。


僕らは正しくあるべきところへ帰る。

また元通りの日常に戻るように決定づけられている。

逢引きの幕引きはいつだって後を引かない。


女を駐車場まで送る。

和葉はパワーウィンドウを開いてバイバイと手を振ってくれた。

イミテーションのスワロフスキーがダッシュボードにキラキラと光を反射する。

ニセモノがつくりだすホンモノの光に手を伸ばすかのように、さっと手を振り返す。


そして二度と会うことはなかった。



と、言いたいところだけど後日談がある。

別のデートで薄暗い、大して高級じゃないバーで飲んだ時。

ちょうど隣のテーブルでホストらしき男と同伴している和葉を見かけた。

横目で眺めているとホスト男が胸を揉んだり、キスをせがんだりしていた。

一応拒む様子をしながらこの後はホテルにでも行くんだろうなって雰囲気。

他人の性的な行為なんて心底どうでもよかったけど、

一夜を共にした相手がたまたま他の男とイチャついているところが見られるなんて

神様も随分とロマンチストなんだなと関心した。


話は戻って逢引きの翌日(正確には日付跨いでるから当日だが)。

その日の予定はすべてキャンセルして、旧友を呼び出した。

今日はファストフードじゃなくてファミレス。

覚えていないほどくだらないことを話した。

初めての相手とともに一夜を過ごした直後って、周りの男より少し大人びた気になる。

ひじょうに小さな優越感と自己満足。

その頃はそんなことが僕にとってのすべてで、

それからいくつもの選択を間違えていくことになる。







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