ビターチョコレート
※直接的な性行為に関する描写が含まれますのでご注意願います。
梅の蕾の先端がまだ色づく前。
首都圏でも有名な歓楽街の外れにある看板のない自動ドアをくぐった。
受付で感じの良さそうな初老の男性がにこやかに出迎えてくれる。
「お見受けしたところお若い方ですね。当店はやや落ち着いた年齢の女性が在籍しておりますが、お客様にはこちらの方がよろしいかもしれません」
ホームページにあるボカシをとった状態のパネル写真の中から、一枚を選んで差し出してくれる。
すみれという女性で28歳という記載があった。
「お淑やかな性格で申し分がないと思います。料金は前払い制になっております」
恭しくそう告げられる。俺も特に指名したい女性はいなかったので承諾して、事前に12,000円を支払う。
「では女性の準備が整うまで、奥のソファでお待ちください。ホテル代の方はご負担をお願いいたします」
奥の待合室は中年の男性が二人既に呼ばれるのを待っていた。
一人は雑誌を読んでいて、もう一人はTVのバラエティ番組を見ていた。
自動販売機で缶コーヒーを二つ買って、俺はそんな二人の様子を交互に見つめていた。
「お客様、準備が整いました」
最初に俺が呼ばれたので席を立つ。
後ろを振り返ると二人は無言でまだ雑誌とTVをじっと見ていた。
*
自動ドアをくぐると緑色のニット・ワンピースを上品に着こなしている女性が立っていた。
「はじめまして、すみれといいます。それじゃ行きましょっか」
腕を絡めてくれて、さっと歓楽街の方へと歩き出す。
右腕に押し付けられる乳房の感触を感じた。
「まだ寒いですね」
「ほんとうに、春が待ち遠しいです」
そういえば、と思い出してカバンから先ほど自販機で買ったホットの缶コーヒーを1本、すみれに手渡す。
あからさまにとってつけたような手土産なのに、嬉しそうにそれを受け取ってくれる。
「実は今日、こういうお店初めて利用するんです」
ホテルの受付でキーを受け取って、エレベータで上の階に向かう途中に思い切って告げる。
さっきから緊張で心臓が変なリズムになっている。
「そうなんですね。若いから色々経験しなくちゃですね」
爽やかにすみれは受け入れる。エスコートされる形で部屋へと入って、ふたりきりになる。
ドアを開けるとすぐにユニットバスとトイレが右手にあって、そこから大きなベッド見えるような簡単な作りのホテルだった。
「お湯を溜めておきますから、先に部屋で寛いでいてください」
言われるがままに奥の部屋へと進む。
くつろぐにもソファすらないから、ベッドの端に腰掛けるしかない。
すぐにすみれがバスルームから出てきて、隣に腰掛ける。
いつの間にか羽織っていた薄手のカーディガンを脱いでいて、胸の形が一目でよくわかった。
「今日だけは恋人になったつもりになっちゃってくださいね」
耳元で甘い声でそう囁かれる。すみれの左手が、俺の右手をそっと彼女の胸に押し当てられる。
麻痺して思考停止した頭で、なんとか腕を肩に回して頬へ口付けをする。
すみれはくすぐったそうに笑う。
「そうだバレンタインはちょっと過ぎちゃったけれど」
カバンの中からチョコレートを取り出す。黒い小さな箱から金の包装紙を取り出す。ひとつ口に入れる。
そのまま両手が俺の首に回される。ゆっくりと激しい口付け。
すみれの舌の上で溶けたチョコレート。それを口から口に移すように舐める。
あまったるい快感で脳の回路がショート寸前になる。
バスタブのお湯が溢れる音がしたので中断する。
「続きはまたあとですね」
小悪魔的な笑顔でそう告げる。ロボットみたいに手を引かれるまま脱衣所で、最後の一枚を残して全部の衣服を脱がされる。
すみれは自分でニットのワンピースを脱いで、後ろを向いた。
「取れないから外してください」
またいわれるがままそれに従うと洗面台に取り付けてある鏡に、すみれの形のいい大きな胸が映し出されるのが目に入った。
「二人でいっしょに脱がしましょ」
お互いの最後の一枚を引き剥がす。生まれたままの姿でシャワールームへ。
ただ体を洗い流すだけではなくて、すみれは艶かしい手つきで体を撫で、お互いの秘部を押し付け合うように触れ合った。嬌声が狭いバスルームにこだまする。
シャワールームを出てお互いの体を拭いて、バスローブを身につけてベッドへ。
終始すみれのリードに身を任せっぱなし。
きらりと光るリップに酔った頭。爪の先が触れる。口の中の暖かい感触が奥まで絡めとる。
さっきのチョコレートキスの味がフラッシュバックする。
あっという間にすみれの口の中に全てを出し切ってしまう。
ごめん、と謝るまもなく彼女はそれを全て飲み干して笑って見せた。
思わずその唇にもう一度キスをする。
「出したあと飲んだばかりなのにキスしてくれるひとって優しいんですよね」
すみれはにっこりと笑う。しばらくベッドでくっつきあう。
ねぇもう一度チョコレートを食べたい。
いいですよ。もうひとつ開けましょう。黒い小さな箱から金の包装をもうひとつ取り出す。
甘くて苦い刹那を貪って、もう一度取り戻してきた。
「わたしこうするのも好きなの」
硬くなった部分を湿り気を帯びた部分へそっと誘う。
その瞬間にタイマーが鳴る。
すみれの手が反射的にそれを止める。
「ほんとにあなたと一つになりたかったな」
また来ますよ。俺もほとんど反射的にそう答える。
すみれは笑って、一緒にシャワー浴びましょうと言って立ち上がった。
*
家に帰る電車の中でその日の僅かな時間の出来事を何十回も思い出した。
街角にあった輸入菓子のお店で、すみれが持っていたものとは違ったけれどビターチョコレートを一つ買った。
ファミリーマートに寄ってコーヒーを買う。
舌の上でチョコレートを溶かしながらあたたかいコーヒーを飲んだ。
しばらく経って出勤表を確認するとすみれの名前はなかった。
お店に電話して確認すると「先日、残念ながら退店してしまいました。お気に召していただいていたようで、残念です」と回答をもらった。
それから同じお店には何度か足を運んだ。
いつも丁寧な受付で、お淑やかな女性と腕を組んでホテルの一室に向かった。
皆いい女性たちで不快な思い出は何ひとつなかったけれど、あの脳内の神経回路が全て開くような快楽の洪水体験はなかった。
そして先日、確認してみるとついにそのお店は閉店していた。
十年以上、あるいは二十年近くは同じ場所で業態を変えずに営業していたと思う。
非常に残念であると同時に思い出がついにほんとうに思い出になった気がする。
二度と手に入らない美しい時間をありがとう。そう思うのだった。
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