第10話『愛は呪い』

オレたちスイープ・ツインズには、月に1回は2人で過ごす日をつくる、という決まりごとがある。スイーパーの仕事にも少し慣れてきた16歳のあるとき、訪れたのはハニー・パンプキン通り。どこを歩いても甘~い香りのする、色とりどりのお菓子屋がつどう場所。姉のレファは「ブルゥ・エトワル」という店の、イルカの形をしたチョコを欲しがった。雑誌に載せられた写真を見て、ホワイトチョコレートにブルーのマーブル模様が入るのが綺麗だと、いたく気に入っていたのだ。


目当てのモノを手に入れ、店から通りへ出る。とりわけ、この日は親子連れで賑わっていた。ここはいつも人が多いから、できれば今日来るのは避けたかった……が、件のチョコレートが休日限定販売となっては仕方がない。姉は、上機嫌で鼻歌を歌っていた。


通りをゆく人々が、視界を流れていく。アレ買って、コレ欲しい!とパパやママにお願いする子供たち。そんな光景を何度めか目にしたとき、オレは何気なく呟いた。ねえ、オレたち、いつから2人だけなんだろう。姉は鼻歌をやめ、伏せた瞳でこちらを見やったあと、返す。


「さあね。今更、パパもママもいらないわ。

 あたしたちを捨てたひとに会ったって、みじめな気持ちになるだけじゃない」


「でも、いつか、どこかには、いたってことだろ?」


「どうかしらね。あたしたち、ホムンクルスかもしれないわ」


「……アハ!姉さんにも、フラスコの中が恋しい時がある?」


「時々ね」


親愛なる我らが魔女、ミス・エヴァーなら、錬金術師の知り合いがいたっておかしくないぜ。子供のころ、アンリが一緒に読んでくれた本を思い出して、そんなことを言いあった。施設で出会い、友人となった彼は、いつもオレ達を気にかけてくれて、優しかった。……でも、それは、"みんなにそうだった"。それが悪いってわけじゃもちろんないけれど、幼いオレは、いつもなんとなく寂しかった。声も姿も覚えていないママやパパに、思いを馳せていたはずだ。姉さんはみじめになるだけって言うけど、オレは、……、どうかな。わからないけれど。でも、きっと、恋しいって言うのは、――ああいうことを、言うんじゃないかな、と、そう思っていた。


スイーパーに選ばれたのは、去年、15歳の誕生日。届いたのは、銀色の封蝋でとじられた真っ黒な封筒だ。ひらけば、「誠に残念だが、君たちは名誉ある人殺し、スイーパーに選ばれてしまった」という一文。オレたちは差出人であるミス・エヴァーのお屋敷を訪れ、それぞれ相棒となる銃と、コールネームと生まれた星に所以があるサソリになぞらえた二つ名(ハサミと、シッポだね)を受け取った。報酬が高額であることは有名なハナシだったし、スイーパーという仕事に対しての抵抗はそれほどなかった。身寄りもなく、施設の保護を受けながらつつましく暮らしていたオレたちには、むしろ魅力的にうつることばかりだった。


けれど、住人から罵声を浴びたり、そうじゃなくてもすれ違いざまイヤな目で見られたり、死人たちの呪いのような感情にあてられては銃弾で終止符を打ち、そのすべての解決は金で成される……といった日々を過ごしていて、心はすり減らないわけじゃない。そんなとき、姉は言った。ありったけのお金でファッションもメイクも好きなだけ楽しめるんだから、ヒトゴロシも悪くないわ。オレはこう返す。そうかな。オレはまだちょっと、つらい時があるよ。


「よく言うわ。最近お気に入りのあの子にいくら貢いだの?」


「げ、なんでバレてんの……」


「あたしたち、何も持っていなかった。きっともう、失うものだってひとつもなかったわ」


「一理ある。そうして手に入れたのが、この銃か」


「いいじゃない。だったら思い切り、欲望のために生きてやるわ。――ヒトゴロシ、らしくね」


そうしてオレたちは、16歳も終わる頃のとある夜、街外れの小さな古い城を訪れた。このくらいの時刻になると、一番高い塔から女の歌声が聴こえるらしい。しかし、生きている人間によるものなのかどうも怪しい。あの城は封鎖されていて、女一人の手で侵入するのは難しく、くわえて損壊の形跡もない――というのがその根拠で、ともかくゴーストかもしれないから、スイーパーに調査へ向ってほしい、と、近隣住民から今回依頼が出たわけだ。


なるほど。ハナシ通り、ドリーミーなウィスパーボイス。耳をくすぐる、甘い少女性。オレは背後にいる姉を振り返ると「まるでお姫様だね」とかるくおどけて、城の管理者から受け取った鍵を手にし、門を開いた。

歌声をたどるうち、奇妙な懐かしさがこみ上げてきていた。同時に、じわじわと心臓を蝕んでいく嫌悪感。それが何を示しているのかわからなかったが、姉もやや顔色が悪かった。先に述べたとおり、ゴーストの感情にあてられることは経験としてある。きっとそれだけのことだろうと、オレは考えていた。


螺旋階段を昇り切れば、小部屋へと辿り着く。扉は半開きだ。中を伺えば、大きな窓からさす月の光に透け、ぼうっと浮かび上がる少女の姿があった。……ゴーストだ。

彼女は振り返る。微笑む。微笑みながら涙を流す。「私の王子さまはあなた?」

「ごめんね、オレはスイーパー」何故か、そうだよとは言えなかった。「でも、君を助けたくて」だから、間に合わせのように笑った。


彼女は逆上する。「スイーパー?どうしてスイーパーが!私はずっと、ひとりぼっちなのに!」

こんなにつらいだけなのに、どうして私が怪物なの。両手で顔を覆う彼女の痛切な叫びが、やたらと胸に刺さる。言葉が、出てこない。

見かねた姉が背後から銃を構えた。「戻らない時があることを、貴方は知っている」いつまでも少女でいたかった。夢をみていたかった。ずっと愛されていたかった。

彼女の胸の底にすまう絶望を、姉は撃ち抜いた。銃弾が暴いた自らの真実に、泣くこともできなくなったお姫様は、虚ろな瞳で窓の外を見つめながら消えていく。ああ、きっと誰か、迎えに来てくれるって信じていた。……甘い夢の残り香に、胸やけがした。


訪れた夜の静寂のなか、デッドコールが鳴り響く。『バースネーム・双尾ゆりえ(フタオ・ユリエ)、コールネーム・ヘル、DEAD完了。人殺しの君たちから、何か一言?』

その名が呼び起こした記憶は、強い痛みを伴った。あの歌声を聴いて覚えた、懐かしさと嫌悪感。その正体を、意味を、理解した。オレは彼女に向けることがなかった銃を取り落とす。姉はデッドコールに応答する。「さよなら、ママ」


ママの声は甘すぎて、腐っているみたいだった。ママがささやくたびに、耳がぞわぞわとした。オレはこんなことしたくなかった。だから、何度めかでやめて、と言った。そのときママは泣いて喚いて、姉さんのことを引っ掻いて、ぶった。あなたがいるから、あなたが邪魔してる、あの子を私から奪うつもりね、私にはもうあの子しかいないのに。姉さんの首を絞めようとするママをとめるために、ママ愛してるよオレをみて、と、ハグと、うなじにキスをした。ママは姉さんを投げ捨てて、オレを抱きしめる。私も大好きよ、あなただけがわたしのすべて。


その頃には姉さんはもう泣くこともしなくなっていて、ただママの向こう側でオレのことをずっと睨んでいた。ママがいないときは、今度はオレが姉さんにぶたれる。痛いし、つらかったけど、当然だと思うしかなかった。姉さんのことを抱きしめてあげてといったとき、ママはくだらない冗談を聞いたみたいに、かるく笑っただけだった。愛されるのはあなただけと姉さんはオレをぶったりつねったりした。姉さんはそのときだけ泣いていた。


愛される。オレはあいされているの?愛する子供にだったら、あんなことをしても普通なの?気持ち悪いと思うオレが、おかしいのかな。わからなかった。でももう、姉さんが泣くのも、ママが叫ぶのもつらかった。だからオレは考えた。ママにへんなふうに体を触られたりしなくて、姉さんが投げ捨てられたりしないで、これからを生きていける方法を、考えた。


ママのようすは、近所のひとからみてもおかしかったみたいで、オレたちのことを心配して、施設に連絡してくれるひともいた。姉さんはだんだん、家にいるときが少なくなった。オレもうまく抜け出せたときはそっちへお世話になった。月日がたつなかで、施設のひとはオレたちとママを引き離そうと頑張ってくれていた。アンリとの出会いもあった。ネームメーカーの弟子になったアンリに、ママのデッドリーサインを書いて欲しいとお願いをしたこともあった。面会にやってくるママの喚くのを聴くと体が動かなくなる。このひとがいなくなるまで、ずっとこんな思いをしなきゃならないのか。無視するのがつらかった。でも、優しく耳をふさいでくれたアンリの手を、オレははらった。施設のひとたちにはもちろん反対されたけど、無理を言ってオレはママと面会した。


必死なママはオレのバースネームを知りたがった。バースネームを知られることは、支配されること。この街にいる人間なら、子供でも知っていることだ。バースネームは、親でも知らない。親が決められるのはコールネームだけで、バースネームは、この街みんなのママである、ミス・エヴァーが名付ける。苗字は、パパとママ、どっちの血が濃いかで決まるらしい。バースネームは心臓そのものみたいなものだから、身体にきちんと馴染むほうじゃないと駄目みたい。オレと姉さんは、ママの苗字をもらったんだと思う。どんなにいやでも、ママから離れることは苦しくて、むずしかった。それは、半分を支配されているからに違いなかった。愛なんてものじゃなかった。もしこれが愛なら、オレにとって、愛というものは、――。


ともかく、ママがオレのバースネームを知りたがっていたことが大事だ。ママはオレのすべてが欲しかった。でもオレは教えなかった。ううん、教えた。嘘の名前を。交換しよう、二人だけの秘密にしようとオレは言った。ママは喜んできいた。オレが教えた誰でもない名前を、恋するみたいに囁いた。だから、オレもママに夢中みたいにして、ママのバースネームを来る日も来る日も呼んだ。無理が通るうちに。付き添いの人には気づかれないように。ゆりえ、聞いて、ゆりえには、つばさがあるんだ。たとえ迎えに来てもらえなくたって、父さんのところへ、きっとこの街のどこかにいる父さんのところへ、羽ばたいていけるつばさがあるんだよ。


そうして、ママは羽ばたいた。

ママのあたまは、潰れたトマトみたいになった。


ママはゴーストになって、オレたちはママを忘れた。"思いを馳せていたはずだ”――なんて想像は、あまりに甘すぎた。デッドコールが読み上げた名前からその全てを思い出して、オレは冷たい石の床に膝をついて嘔吐いていた。正気じゃなかった。生きていくために、自分の母親を殺した。あのとき、死体を見下して、オレはひどく安堵していた。怪物が死んだ。オレを侵害する怪物が、今やっと死んだんだ。


胃液を吐き出しながら涙を流すオレを心配する素振りもなく眺め、姉は呟く。


「揺り籠で眠れたあなたのこと、とっても羨ましかったわ」


「……それ、今言う?」


「ええ。あなたが一番傷つくタイミングで言うつもりだったから」


「ああ、……そう」


脳裏にちらちらと光がまたたいた。シャボン玉が陽の光をかえしている。青空の下、公園のベンチに座って、幼い姉と母が語らう。とびきり大きなやつを作ったオレは、二人に自慢げにそれを見せる。二人は笑い合う。手を繋いで。オレも一緒に笑った。幻のような、ある昼下がり。こんなふうに想うことが、手に届かないものが、けれど一度得られてしまえばそれしか飲み込めなくなるようなものが、愛なら、愛なんてものは、


──呪いだ。呪いに等しい。……愛は、呪いだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る