番外編

番外編/双子編『ブラックウィッチ通りのお掃除』

ぴゅうと木枯らし吹く街角、人気が無いのにはワケがある。近頃ここらを歩いていると、くすくすと笑う女の子の声が聴こえてくるんだって。心惹かれるように誘われ、そのまま囚われてしまえば、その人はもう二度と帰ってこれないって噂。人々は口を揃えて言っていた。まるで背筋が凍るようだ、おっかなくて仕方ない。あの通りには、絶対に近づいちゃならねぇ、なんてね。


裏通りに張った巣にぶらさがるクモ、ゴミ捨て場でエサを漁る痩せたカラス。古き良きレンガ造りの趣を残した街に並ぶ店たちは、軒並みシャッターを下げてしまっている。冬本番が近づくこの頃合いじゃ、余計に寒々しい街並みだ。――ここはブラックウィッチ通り。少し前までは人通りも多くにぎやかな通りだったが、ゴーストに憑りつかれて以来、ずいぶんと寂れた場所になってしまった。どよんとした陰鬱な曇り空のした、黒猫がふらりと通りをうろついていた。活気があったころには看板役だったそいつも、今じゃ一匹、孤独に暮らしているみたいだ。


「あーあ。寂しいねえ、こりゃ」

「ふぅん。依頼にあったとおり、ってところね」


ゴースト退治の依頼を受けて、スイーパーとしての仕事着、スーツとドレスを身に纏いこの通りに降り立ったオレと姉は、その入り口で依頼人の店を探す。見つけるのは苦労しなかった、一軒だけシャッターを上げている店がある。あの店だ、とオレは隣の姉に一声かけて、共にその店の前へと足を運ぶ。


「妻の首を誰がはねた? そりゃあまぎれもねぇ、俺のしわざだ! よう、いらっしゃい。いい肉が揃ってるぜ!」


店の前につくなり、店主はそんな文句を言ってオレたちを歓迎した。肉屋のジョニィ。彼が今回の依頼人だ。愛してやまない妻を事故で亡くして以来、「美味しいお肉ジョニィの店」という店名を、どういうわけか「妻の首をだれがはねた」という恐ろしい名前に改名し、「俺の店の肉が美味いのは当たり前、そりゃあ妻の肉だからな!」と、少々ブラックなジョークで客を怯えさせている、ちょっと変わったオジサンだ。


そして、客からの評判はというと……、「あの悪趣味な売り文句はどうにかならんのか」「ジョニィはキチガイになっちまった」と散々な様子である。しかし、肉の味は変わらずに美味いもので、「こんなに美味い肉が、本当にジョニィの妻の肉だったら……」 と、客の肝を冷やしているとかいないとか。通りがこうなってしまってからは当然客足も無く、店は大赤字ということだが、いくら商売仲間に店を閉めろと言われても、ジョニィは聞く耳を持たずに、再びこの通りに活気があふれることを願って、店を開いたままでいるそうだ。俺が愛したこの街が、まだ思い出になってほしくない――依頼文の最後の一行には、なんとも切ない気持ちになるような、そんな言葉が綴られていた。


「やあ、ジョニィ。アンタが依頼人だろ? 人呼んでスイープツインズ、ピピリとレファのご到着だぜ」

「おおっ、待ってたぜ! あんたら、スイーパーさん達だな!」

「そうよ、オジサマ。改めて依頼の内容を聞いてもいいかしら」


ジョニィはオレたちの到着に意気揚々として、改めて依頼の内容を話す。今現在、この通りに憑りついているゴーストは三体いるそうだ。

一体目は、表通りをうろついている太っちょの少年のゴースト。ジョニィの話によれば、彼は地獄を何より恐れており、"Go to Hell!!(地獄行き!)"と脅してやれば、すぐに追っ払うことができるそうだ。(と言っても、スイーパーでない人間が退治できるわけではないけれど。)

二体目は、裏通りにいるらしい、こちらも少年のゴースト。どうやらゴーストでありながら子供たちの人気者らしく、その周辺に秘密基地なんかをつくる子らもいるらしい。相手は危険なゴーストであることに変わりないうえ、今は決して治安のいい場所ではないので、退治してもらえれば大人たちは安心するだろう、という話だ。

三体目は、通りに響く囁き声の正体。ころころと可愛らしい声で人を惹きつけては貶め名前を奪う、したたかな性格をした少女のゴースト。この通りのゴーストたちの中の、言わば主犯格だ。通りのいたるところに現れては消え、その居場所を特定することはできていないとのこと。


「……そんなワケだ。一体でも退治してくれりゃあ大助かりってもんだが、全部退治してくれるってぇなら報酬はふるってやるぜ、どうだ?」

「任せて、ジョニィ。アンタの願い、叶えてやりたいからね」

「おう、おう……。すまねぇが、頼んだぜ。仕事が終わったら、分厚いステーキを焼いてやる。おれの妻の肉だ、まずいわけはないぜ!」

「そうね、たんと味わわせてもらうわ」


ジョニィお馴染みのジョークに微笑みながらそう返した姉は、ひらりと手を振って、行きましょう、とオレに声をかけ店を後にする。オレもへらりと笑いを浮かべながらジョニィに手を振ってそれに続く。いやしかし。もちろん本当に"そう"だなんて思っちゃいないが、……


「……ホントに奥さんの肉だったらどうしよう?」

「あら、いいじゃない。愛した人の肉を捌いて売るなんて、ロマンチックで」

「ロ、ロマンチック……?」


哀しく奇妙なものを愛する姉にとってはどうやら好ましいエピソードなようで、機嫌が良さそうにそう語る彼女にやれやれと思いながらも、オレたちは表通りに向かい、一体目のゴーストを探すことにした。

表通りには、通りの景観を壊さない程度に統一された、洒落た看板を掲げた店が並んでいるが、どの店も閉まっているんじゃ、やはり寂しい眺めだった。

聞いた話、バスもここに停まるのをやめちまったってことらしいし、ジョニィの痛切なあの願いを叶えられるかは、オレ達の仕事ぶりにかかっているってことだ。

そのためにはまずゴーストを見つけ出さなくてはいけないが……、景色を眺め、それらを通り過ぎながら注意深く様子をうかがっていた、そのときだ。歩いていたオレたちの目の前に、ひゅっとなにかが横切って行った。


「う、うわああ!スイーパーだ、スイーパーが来た!」


そう声が上がった方向を見れば、真ん丸太っちょの少年が、こちらを指さして怯えていた。その少年の体はうっすらと透けていて――、ジョニィが言っていた特徴とも一致する、彼は目当てのはゴーストだろう。ゴーストは丸い体と短い手足をわたわたと動かしながら、必死になって叫んでいる。


「やだ、やだ! お姉ちゃんの居場所なんて、絶対に教えないぞっ!」


おや。"お姉ちゃん"……というのは例の居場所のわからない少女のゴーストのことだろうか。わざわざ自分からそれを知っていると示すような事を言うなんて、この子はちょっぴりばかしおバカなのか、それとも……?まあ、事情はともかくだ。迷えるゴーストたちを、あの世へエスコートするのがオレたちの仕事。銃を取り出し、くるりとひと回しして構える。スイープ開始の前に……まずはご挨拶といこうか。


「こんにちは、子豚ちゃん。スイーパーの"シザーハンズ"が君をお迎えに来たよ」

「ご機嫌よう、あたしは"ブルーテール"。怯えて転がる貴方を踏みつけてあげたいわね、可愛い子」


ひぃっ、と震えながら声を漏らしていたのもつかの間。ゴーストはきっ、とこちらを睨みつけると、その体はぶくぶくと大きく膨れ上がり……、なんてこった!彼はもじゃもじゃの毛並みに牙のたくさん生えた、恐ろしい姿の怪物に変身した!彼は体を揺り動かしながら、咆哮を響かせる。それはびりびりと空気を震わせこちらを圧倒したが、けれどどこか嘆くように哀しげで、心の痛みを訴えようとする声にも、聞こえる。……チクリと胸を指すものを感じながらも、どすどすと巨大な足が繰り出す地団駄をかいくぐり、オレは姉に投げかけた。


「ジョニィが言ってたね、"Go to Hell!(地獄行き!)"だっけ」

「仕留めるならその言葉でしょうね。地獄を恐れているって言うなら……、」

「お、姉さんにはなにか策がある?」

「そうね。ここはあたしに手柄を頂戴」

「オーケイ、それじゃオレが上手く隙を作るよ」


オレは軽やかに姉へそう返すと、銃を空に向け空砲を三発放つ。彼の咆哮にも負けじと鳴り響く発砲音、そうしてこちらを向いたゴーストへ、さらに気を引いてみせようと、オレは挑発の言葉を並べ声を張る。


「ヘイ、臆病な子豚ちゃん! 怯えてばかりじゃ仕方ないぜ、腰抜け野郎って呼んでやろうか!」


ゴーストの眼はぎらりと光り、すさまじい勢いでこちらへ突進してきた。地響きと共に迫ってくる彼の姿を見て、オレは少し焦る。そ、そこまで怒るとは思ってなかった……。なにか彼の琴線に触れることをオレは言ったのだろうか。ひとまず気を引くことは成功したしよしとするか。踏みつぶされないよう、必死に逃げ回るオレをオトリに、姉は彼の背後で静かに銃を構えた。


「可哀そうな子豚ちゃん。罰を受けるのが怖いのかしら。安心して頂戴? 門番は貴方を歓迎するわ。悪魔はあなたを手招いて、責め苦の炎はあなたを焼く。晩餐に選ばれたその肉の味に、サタンは舌を舐めずり微笑むでしょう。待ち遠しくて、たまらない? 永遠の罰のなか、きっとあなたは安堵する。あなたの罪に答えをあげる、真っ逆さまに堕ちなさい。哀れな最期に"Go to Hell."と。――どうぞ地獄へ、さようなら」


冷えた海のような声でそう告げた姉は引き金を引く。スイーパーからゴーストへの最上のもてなしを、別れの弾丸を。

弾丸はゴーストの体を撃ち抜く。叫ぶようにその巨体は弾け、しゅるしゅると元の少年の姿へと戻る。膝をついた彼は虚ろな目で呟いた。"僕は誰も救えなかった"。彼の体は透けていく。消えゆく最中にひとすじ涙を流しては、……手紙を一枚、残して。


「姉さん、お見事。……地獄を恐れているってこと、つまりは"罪の意識がある"って狙いをつけたんだね」

「ええ、どうやら正解だったみたいね。……この手紙は?」


さあ、なんだろう。オレの返事を聞きながら、姉は封筒を開き、その中身を読む。姉は「遺書ね」とだけ呟いて、それをオレに手渡した。手紙を読む。ところどころ、涙……だろうか。濡れて滲んだ文字を追って、オレは彼があの挑発に激怒した理由を、……彼の背負っていた哀しみを、理解する。内容はこうだ。


心が落ち着いているうちに、この手紙を書きます。

またいつ我を失ってしまうか、わからないから。

僕は、お母さんと一緒に行きました。

あの人は、一人では×ねなかったから。


僕は怖かった。怖かっただけ。

でも、何を理由にしたって許されない過ちを、止めることができなかった。

僕を救おうとする手は、何度も差しのべられていました。

けれど、それをとるのは、僕にはもう遅すぎる。

彼らに今、何か言うならば、ありがとう、を。そして、ごめんなさい。


この手紙を読むのは、きっと僕を退治したスイーパーの人たちだよね。

僕はすごく暴れたと思います。どうか、許してほしいです。

ゴーストになってしまった以上、どうしても抑えられないものだから。


そして、僕からお願いがあります。

僕と同じようにゴーストになってしまった、

僕の親友を救ってあげてください。

彼には愛しい子がいました。なのに、あんな終わり方はあんまりだよ。

彼にもらった、最後の勇気を出して、 僕から言い残すことがあります。


お姉ちゃん、なんて呼ばせやがって。アンタ、最低の母親だ!

あの女がいるのは表通りを抜けた屋敷の前だ。

こき使っている僕と彼がいなくなれば、怒って姿を現すだろう。

あのあばずれは、「Fxxk」や「shit」、汚い言葉が大嫌い。

自分ではさんざん、汚いことをしておいて。

目一杯浴びせてやればいいさ、滑稽だぜ、

あいつ何より嫌いなクソにまみれて死ぬんだ!


……彼みたいに、言えたかな?

僕も、すこしすっきりしたよ。それじゃあ、さようなら。


丁度読み終えたころ、ポケットフォンのベルが鳴った。スイープ完了を知らせる「デッドコール」だ。それに応答すれば、コールガールは陽気な声で告げる。


『バースネーム・有栖川 明(アリスガワ・アキラ)、コールネーム・エルマー、DEAD完了。人殺しの君たちから、何か一言?』

「地獄でおやすみなさい、臆病な子豚ちゃん」

「彼の気持ちは無駄にはできないね」

『OK,My dear fxxking killers! 人殺しの君たちに、幸あれ!』


お決まりのその文句を聴き終えると、ポケットフォンの通話が切れる。彼の最期を想う。彼は、幼い憧れのまま怪物に、あの姿になったのだろうか。彼の抱える弱い心には、怪物のその獰猛さが、勇気あるもののように、映ったのだろうか。

ゴーストがとる姿は、その当人の強い思いや、"そう在りたい"という願いを表している場合もある。彼が居場所を教えた少女のゴースト……、彼の母親も、きっとそうなのだ。花のように可憐だった頃の自分。汚れた過ちなど知らず、罵声を浴びるようなこともなかった、あの頃の姿。彼女もまた、哀しみを抱えるその一人なのだろう。過ぎ去ってしまった時間。愛しかった思い出。人々に忘れ去られようと、それらに縋りついて離れられないから、ゴーストがいる。そして、彷徨うかれらに安息をもたらすために。……オレ達スイーパーが、いるんだ。


……さて。エルマーの手紙の内容に従うなら、次に向かうべきは彼が"僕の親友"だと言ったその少年――おそらくはその子のことだろう――二体目のゴーストの元だ。けれど、オレは思案した。スイープの手がかりを得るためにも、一度この手紙をジョニィに見せて、事情を聴いてみるのがいいかもしれない。


ゴーストたちは、"誰かの大事だった人"であり"忘れ去られた思い出"だ。エルマーをはじめ、他の二体のゴーストについても、生前の様子を覚えている住人はいないだろう。……しかし、なんらかのきっかけがあれば、感化されるように思い出す、という事例もある。

きっかけ。もしかすると、この手紙の内容がそれになる。そうオレが提案すると、姉はしばし目を伏せて考えるようなそぶりをしたあと、頷いて了承した。

臆病なエルマー。彼が振り絞った勇気に敬意を贈って。オレ達は、再びジョニィの店へと足を運んだ。


ジョニィはオレたちの姿をみとめると、「どうした、進展はあったか?」と陽気な笑顔でオレ達を迎える。オレはスーツのポケットからエルマーの手紙を取り出し、それをジョニィに渡す。

ジョニィは不思議そうな表情をしたが、オレが読んで欲しい、と一言告げると、戸惑いながらも応じ、それを読み始めた。

……ジョニィの表情は、徐々に苦々しいものへと変わっていく。手紙を読み終えると、彼は落胆したようすで、ひとつ大きなため息をつく。何か知らないか、とオレが問うた後も、しばらくそのまま沈黙していたが、やがて顔を上げ、重々しい声で語りだす。エルマー達が関わった一連の事件。その悲劇の全貌を。


「エルマーの父親は富豪でな。その妻、今は先に説明した子供の女の姿のゴーストだが、あれはエルマーの母親だ。表通りの先にある屋敷で、三人仲良く暮らしていた。


……だが、父親は重病にかかり、ずいぶん弱っちまって、そのまま死んじまったのさ。エルマーの母親は夫に首ったけでよ、そいつが死んじまったもんで、気をおかしくしちまった。夫の遺産で貧しい子供を買い漁っては、それはそれは酷い仕打ちをしていたよ。父親に似てハンサムだったエルマーも、ストレスだろうな。ぶくぶくと太っちまって、外に出るのを怖がるようになってよ、時々癇癪を起しては、母親の買った子供たちを虐めてたんだ。


……そんなある日のことだ。屋敷に新たに連れて来られた身売りの子供のひとりが、状況を変えた。腕っぷしの強かったそいつは、虐めようとしたエルマーを返り討ちにして、エルマーを改心させたのさ。年が近いのも、あったんだろう。二人はみるみるうちに友情を深めて、母親を変えてやろう、なんて意気込んでな。俺に話にくることもあったんだ。


……懐かしい、もんだな。あの二人の言葉を聞きながら、きっと今より、いい結果になるんだろうと、俺だって信じたかったよ。でも、そうはならなかった。あの母親は、……エルマーの親友になったそいつを、虐待の末に殺しちまった。抵抗、できたはずなんだけどな。それが、逆にあの母親を刺激しちまったんだろう。事故だった、と母親は喚いたが、やっちまったもんは、もう元には戻らねえ。……もう、全てが遅かったのさ。


結局、自分の行いが世間に知れ渡ることへの恐怖に狂ったまま、母親は息子のエルマーを道連れに自殺した。……ああ、思い出した。それがあの三人に起こった、事の顛末だ……」


ちくしょう、ちくしょう。ジョニィは絞り出すような声でそう漏らしながら、涙をこぼしていた。

悔しい、とジョニィは言った。二人の子供を見守っていながら、助けられなかったこと。歪んでしまった運命は、もう元には戻らないこと。……そして、何より。それだけのことを、大切に想っていたはずの彼らのことを、忘れてしまっていたこと。


「現場を目撃した子供たちの証言で、屋敷に捜査が入った。その結果、母親はエルマーを銃殺し、そのまま母親も自分の頭を撃ち抜いて自殺したのだとわかった。俺はそれを聞いた時、あの子供たちはどんなに辛かったろうと、こんなに酷いことがあるかと、絶望したんだ。


なのに、なのによ。俺はそれを綺麗さっぱり忘れて、ゴーストになったあいつらを邪魔もの扱いして、あまつさえ憎んですら、いたんだ。俺は、俺は許せねぇよ。そんな自分を許せるはずがねぇ。こんなことをアンタたちに訴えたって、今更何かが変わるわけじゃあ、ねぇのに。ちくしょう、俺は、……俺は……」


死んだ人間が全てゴーストに成り果てるわけではない。その理由は様々ある。今回の場合は、「その死に多くの者が関係したこと」「悲惨な事件だったこと」が原因として挙げられる。多くの者が彼ら三人の死を認識し、多くの者がそれを「痛ましく、忘れたい記憶」として扱った……、つまりは、その結果だ。そうやって過去に追いやられた彼らは、名前を失くし、墓石に刻まれたそれも魔法のように消え失せ、ついには忘れ去られた思い出――ゴーストになってしまった。


成程ね。だいたいの事情を把握したオレは、ジョニィの様子が落ち着くのを黙って待っていた。……何度も、見てきた光景だ。もう戻らないものへの、懺悔。しかし、オレ達は所詮、人殺しだ。今、彼が思いを向けているそれらを、オレ達はこれから殺しに行くっていうのに、同情して慰めの言葉をかけるのも可笑しな話だとオレは思った。


もっと言えば、これは"当人の問題"だ。彼らを大事に想ったのも、それを忘れて彼らを憎んだのも、今悔やんでいるのも。失くした思い出を見つめ直すこと。過去に別れを告げること。どれも、ジョニィ本人が向き合うべき問題であり、オレたちがどうこう言うことでも、言えることでもない。……それは、オレの思う、スイーパーとしての線引きのつもりだ。……まあ、実際にあの手紙がきっかけとしてはたらいてくれたのはラッキーだ。さらなる情報を引き出すために、頃合いをみてオレはジョニィに問いかける。


「ジョニィ、傷心のところ悪いけれど。……エルマーの親友の愛しい子、って。心当たりはある?」

「ん、いや……、気にするな、こっちこそ悪かった」


ジョニィは鼻をずず、とすすり、赤くなった目を太い腕でごしごしと擦ったあと、オレの質問に答えてくれた。


「通りの花屋に、アンジェリカって娘がいる。生前のアイツと、幸せそうに笑いあっていたのをよく見てたよ。思い当たるとすれば、その子だ。店の二階で両親と暮らしてる。事情を伝えれば、話を聞くこともできると思うぜ」


今思えば、あの子はずっと覚えていたのかもしれない。記憶を思い返すようにジョニィは言った。

……先ほど、生前のかれらのことを覚えている住人はいないだろう、とオレは言ったが、「例外」はあるにはある。ここまでの事情を聞けば、もしかするとそれに当てはまる可能性は無きにしも非ずだ。「オーケイ、ありがとう」とオレはジョニィに返して、姉とともに店を離れようとする。すると、ジョニィはそれを引き止めて、言った。


「なぁ、あの子たちは、あの二人は。……幸せに、なれるのか?」


振り向いて、ひとつ笑う。オレは言葉を返さずに、手を振ってその場を離れた。


通りを歩き、アンジェリカという子のいる花屋を探す。ジョニィが軽く教えてくれたあたりの場所をあたれば、その店を見つけることができた。店の脇の階段を上がり、ドアをノックする。少しの間を置いたあと、中から出てきたのは……、胸のあたりまで伸ばしたふわふわの金髪、淡く色づく頬と小さな唇に、たっぷりとした睫毛に縁どられた桃色の丸い瞳。成程これは「天使のような」という名に相応しい女の子だ。君がアンジェリカ?とオレが問うと、彼女は戸惑いながらも頷いて、オレ達に用件を尋ねた。


「突然ごめんね。オレ達はジョニィに依頼されてここに訪れたスイーパーだ。裏通りにいるゴーストについて知っているかな? 彼について、君から話を聞ければと思ったのだけど」

「ああ!スイーパーさんだったの。……そう、彼の事……」

「うん。……なにか、覚えてる?」


アンジェリカは小さく、頷く。胸をときめかせる恋心を、分け合ったひと。私の、かけがえのないひと。あの事件のあとしばらくして、彼の存在を、みんなは忘れてしまっていた。それらを見て、彼がゴーストになってしまったと知った。私も、彼の名前を思い出せなくなってしまった。それでも彼の姿を求めて、会いに行ったこともあった。けれど彼は言った。もう、ここへ来てはいけないと。


「私のことを、想えば想うほど。それと同じだけ、わたしの名前を食べてしまいたくなるから。ゴーストとしての、衝動が抑えきれなくなってしまう。だから、自分の事は忘れて、幸せに生きてほしいと。……彼と、そう約束したの。私はそれを、守るつもりでいた。それは他でもない、彼自身の願いだったから」


例外があると言ったね。それはつまるところ、残された人々とゴーストを繋ぐ、「愛」によってもたらされるものだ。生者からの強い愛があれば、ゴーストの姿は生前の姿に近い状態で保たれ、名前を食べたいという衝動もいくらか抑えられる。また生者の記憶も、その対象についての限られたものだけ、僅かに胸の内へ残る。

けれど、その「愛」と「衝動」は、ゴーストにとっては紙一重のものだ。彼が彼女に告げた通り。それは、彼女を想う心があるのならば当然の言葉だったのだろう。

彼女の声は震えていた。彼を失うことが怖いと言った。彼がそう望んでいるとわかっていても、私は彼を忘れることはできない。二人で過ごした、幸せだった時間。抱いた淡い想い。彼が私にくれたものの、すべて。それらが、まぼろしのように消えてしまうとしても。未だ私の心には、彼への想いが残ったままだ、と。彼がまだ、この街のどこかにいる。それはたしかに私の心を救うものでもあった。でも、それでも。


「スイーパーさん。彼がこのままでいたら、きっと苦しいだけなのよね?」

「……そうだろうね」

「お願い。彼を、解放してあげて。今の私に願えることは、……たった、それだけなの」


涙を、堪えているのがわかった。けれど、アンジェリカは笑っていた。過去の哀しみに別れを告げ、彼の背中を見送ること。彼女はその覚悟をしたように、見えた。オレ達がその言葉に頷いたとき、彼女の背後から母親のものらしき声が聞こえ、彼女ははーい、とそれに答える。


「ごめんなさい、スイーパーさん。ご飯の支度の途中だったの。もう、行かなくちゃ」

「いいえ、気にしないで。お話ありがとう、アンジェリカ」


そう言って姉は微笑み、オレと二人で軽く頭を下げて、アンジェリカの姿を見送った。彼のことを想い続けて、そうして決断した彼女。彼女の言葉のいくらを、オレ達は彼に伝えることができるだろう。そんなことを思いながら店の階段を降りた帰り道の途中、オレは呟いた。


「エルマーとその親友の彼には、想ってくれるひとがいる。けれど、あの母親には、……どうなんだろうね」

「さあね。やったことを思えば当然のことだけれど」


だからこそ、あたし達はあの人の孤独を理解すべきなのでしょうね。姉はそう言った。たしかに、それがオレ達の役目だ。彷徨い苦しむかれらゴーストの、叫びそうに痛むのだろうその心と、孤独。スイープの際オレ達が彼らに捧げるキリングコールは、その慰めの言葉でもある。失ってしまった日々たちを、せめて最期に愛せるように。「人殺し」と呼ばれてなお、オレは、……そう願うことを、やめられないでいるんだ。


それからの間、オレと姉はエルマーの親友がいる裏通りを探して回ったが、彼の居場所を見つけることができずにいた。通りを二、三週ほどしたあとの、ゴミ捨て場へついた頃だ。

姉の機嫌は目に見えて悪くなっており、オレはなんとかして見つけないとと焦り始める。藁にも縋る思いで手がかりを探し回っていると、通りに辿り着いたときに見かけた黒猫が、丁度行き止まりの壁の僅かな隙間へ滑り込んでいくのを見た。駄目で元々だ。その隙間から奥を覗き込んでみると――子供たちの秘密基地らしきものがその先にあった。ビンゴ、こいつだ!オレが思わずそう声をあげると、呆れたようにひとつため息をつきながらも姉もその場所を確認する。


「ココで正解だといいけれど。あたし、これ以上歩き回るのはうんざりよ」

「これだけ探したんだ、そうじゃないと困るぜ」


一人ずつ慎重に、オレと姉はその隙間を通り、奥へと入る。そこは崩れかけの壁に囲まれた、子供が走り回れる程度の広さの空き地になっていて、辺りを見回せば壁一面に落書きされたメッセージと似顔絵、子供が乗れそうなポニーのおもちゃや、ぼろぼろのソファ、それに段ボールで出来たカラフルで小さな家などがあった。

ひとまず、ここにあるものを調べてみよう。まずは、壁一面の落書きたちに目をやると、「またケンカしようぜ!」「あなたに夢中!生きている男の子たちの、誰よりかっこいいもの」「大人たちは分かってない!お前みたいにいいゴーストもいるって!」といったメッセージとともに、金髪碧眼の男の子の似顔絵が描かれていた。ふむ……、ジョニィの話に聞いた通り、彼は子供たちの人気者みたいだ。ソファやおもちゃたちには特に変わった点は無かった。……ゴミ捨て場から盗って来たのかな?


そして、クレヨンや絵の具で塗られたカラフルなダンボールの家。身を屈めて中を覗けば、ふわふわの金髪に桃色の目の少女――アンジェリカの写真が貼ってある。

ぺらりとそれをめくってみると、その裏に彼のものと思しきメッセージが書かれていた。「ああ、大好きなあの子。いつも心配させてごめんな。おそろいの金髪に、俺とは違うピンク色の瞳、何より、愛しくてたまらないんだ」……へぇ、これまた実に熱烈だね。立ち上がりながらオレはそうこぼす。この周辺で間違いはなさそうだ。彼――二体目のゴーストの姿を探そうと再び辺りを見回した時、背後から声がかかる。


「ヘイ、そのツラよく見せてみろよ。……スーツとドレスに銃なんて、いかにもスイーパーだな」


振り返れば、そこにいたのは金髪碧眼の男の子――エルマーとそう年齢も変わらないぐらいの見た目だ。程よく整った顔立ちに、やんちゃそうな笑みを浮かべてこちらを挑発している。彼がゴーストである可能性は高いが、体は透けておらず、見ただけでは判断できない。オレは念のため確認した。


「やあ、はじめまして。お察しの通りオレ達はスイーパーだ。君の名前は?」

「は、ご名答。答えられる名前を俺は持っちゃいねぇよ。アンタらの目当てのゴーストさ」


君の名前は?、そう聞かれたゴーストは、返答する以外の手段を選べない。俺の思い出に気安く触っておいて、タダで帰れると思うんじゃねぇぜ。彼はそう言ってまた、にやりとしてみせる。どんな事情を抱えていても、ゴーストはスイーパーへの敵意を抑えられないそうだ。いわば、ゴーストとしての生存本能のようなもの。彼もそれに突き動かされるように、手にした木の棒をぶん、と一振りし、こちらへ襲い掛かろうとする。


「ケンカなら、抜群にノっていこうぜ? なぁ、スイーパーさん!」

「アハ! もちろん付き合うさ、やんちゃなプリンス!」


そう答えながらも、彼の身のこなしの素早さに翻弄される。ゴースト、かれらの意志を持ってする攻撃には名前を奪う力がある。そうは言っても、オレたちはスイーパーだ。さすがに一発アウトってコトにゃならないが、オレは必死に彼の攻撃をかいくぐる。見かねた姉は彼の足元へ、二、三発の威嚇射撃をする。あたしは混ぜてくれないのかしら?と、そんなふうに笑って。


「悪いねお姉さん。女に手を上げるのはちょっとな」

「あら。そう言っていられるのも今のうちじゃあない?」


姉はそのまま、木の棒を持った彼の腕を狙う。言葉を込めていない銃弾でも、それがスイーパーが撃ったものであれば、ゴーストを負傷させることはできる。姉は動き回る彼へ容赦なく銃弾を撃ち込む。スレスレのところでどうにか逃れながら、彼は一言文句を言う。


「二対一はフェアじゃねぇなぁ!」

「悪いわね、プリンス。手段は選んでいられないの」


それでも彼はどこか楽し気だった。多少のピンチも笑顔で切り抜ける彼に、子供たちの人気者であるその理由を知るようだ。彼が姉に標的を変えるような動きをしたとき、オレはふっと気を抜いてしまった。一瞬の油断。彼はさながら獣のカンとでも言うがごとく、その隙を逃さなかった。……彼が大きく振った木の棒が、オレの肩のあたりへ直撃する。


「やべ、……いって!」

「は、油断し……、」


油断したな。そう言おうとした彼の動きが、明らかに鈍った。動揺。した、ように見える。オレはその理由を察する。彼の奪おうとする名前に、宿るのは思い出だ。オレのその欠片のようなものに、彼は触れたのだろう。オレは笑った。そうだよ。君と同じ哀しみを、オレは知っている。姉はそのチャンスを捉え――、戸惑う彼の肩を撃ち抜いた。ぐあ、と呻きながら彼は木の棒を取り落とし、肩を抑えて地面に膝をつく。はあ、はあ、と息をしながら、彼はオレを見上げていた。


「……どんどん、思い出せなくなっちまってるんだ、あの子の名前も、その姿も。確かめようと写真を見たって、俺の目にはぼんやり映るだけで。あの子の元へ飛んでいきたかった。それでも想えば想う程、あの子の名前を食べちまいたくなって。どうしてあの子を置いて死ななきゃならなかったんだ?何よりも愛しいあの子と、どうして、」


どうして、もう二度と、並んで歩くことができないんだ。彼の青い瞳から、ぼろぼろと涙がこぼれおちた。


「君の親友は言ってたよ。君を救って欲しい、ってさ」

「……は、アイツ、なんにも変わっちゃいねぇ」


苦しいのは、お前だって同じだろうに。アイツはいつだって、他人の心配ばかりをして。……でも、そんなふうにアイツを変えられたのは、俺にとっての誇りだった。今となっては戻らないそれらが。そのすべてが愛おしくて、寂しくて、たまらないままでいるだけなんだ。嗚咽を漏らしながら、オレに訴える。アンタも同じ哀しみを知っているなら。それなら、俺が聞きたい言葉、ただひとつその名前を。最期に、贈ってくれるのなら。アンタの弾なら受け入れられるよ。誰よりも愛しい人に、さよならと告げなくちゃいけなかった、俺と、アンタなら。……そう言って力なく笑った彼の額へ、オレは銃口を寄せて。


「愛しかった思い出が、二度と戻らないものと知っていても。君を忘れて生きる彼女の幸せを祈れるのなら、その背中に名を呼ぶくらい、許されたっていいさ、さあ。――アンジェリカ。それが君の大事な人」


アンジェリカ。確かにそう呼んだ彼に向けた銃の、引き金を引く。額を打ち抜かれた彼の体は、ぐらりと倒れていく。地に伏せたその表情は、……酷く安らかなもので。せめて最期には思い出せただろうか。……天使のような、女の子。そう呼ばれた彼女の姿を、声を、言葉を。彼がオレの中に見た、哀しい思い出を想いながら。――さよなら、なんて。オレは未だに言えないままでいるよ。


彼を撃った銃をくるりと回してスーツのポケットへ。彼の親友、エルマーの頼みを、これで果たせただろうか。どんよりと曇った空がオレたちを見下ろしていた。この秘密基地、主役の去った舞台には、寂しさだけが佇んでいて。発する言葉を選べないまま沈黙していると、背後から子供の喚き声が上がった。振り向いたオレ達へ、かれらは悲痛な声で訴える。


「なんてこった、スイーパーだ!」

「うそだろ、アイツを殺っちまったのか!」

「うそ、うそよ。あなたが、そんな!」


あーあ、こいつはご立腹だ。まぁまぁ、とオレが軽くなだめるような仕草をすると、子供たちは構わず石を投げてくる。


「おまえらが死んじまったらよかったのに!」

「あいつは、俺たちのヒーローだった!」

「そうよ!あんたたち、やっぱりただのヒトゴロシよ!」


憎しみのこもった非難の声。ヒトゴロシ、と呼ばれること。この仕事をしていれば、幾度となく浴びせられるもの。今更怒りを覚えるわけでもないが。まして相手は純粋なだけの子供だ。しかし、……多少、空しい気持ちにはなる。オレがはぁ、とため息をついている間に、姉は無言で空砲を撃ちあげた。その音に怯えた子供たちは散り散りになって去っていく。その遠くで、わんわんと泣き喚く声が聞こえる。……デッドコールが鳴り響く。オレ達はそれに応答する。


『バースネーム・坂下 日向(サカシタ・ヒュウガ)、コールネーム・クレイグ、DEAD完了。人殺しの君たちから、何か一言?』

「他人事には思えないね。……少し、昔の事を思い出したよ」

「思い出の中の彼女は永遠のままよ。だから過去は離れがたいの」

『OK,My dear fxxking killers! 人殺しの君たちに、幸あれ!』


さて。この通りに潜むゴーストは残すところあと一体……、この悲劇の発端と言える彼女、目標はエルマーの母親だ。エルマーとクレイグのスイープが終わった今、呪いのような重く恐ろしい気配が通りに漂っていた。エルマーの手紙の内容を思い返し、視線を合わせて頷いたオレ達は、大通りの先にある屋敷へと向かう。慌てないでよ、すぐ迎えに行くからさ。その気配に急かされるように、オレ達は彼女のもとへと駆け足で向かった。


表通りを歩き、ほどなくしてその屋敷が見えてきた。広い敷地に建てられたそれは、かつては仲の良い家族の住む幸福の象徴だったのだろうに……、今では割れた窓ガラスに朽ちた庭の草木、薄汚れた煉瓦の壁、立ち入り禁止と書かれた柵に囲まれ、がらんどうの姿で佇んでいる。……どうにも、不気味としか言いようがなかった。

その前で、こちらに背を向けて立っている一人の少女がいる。オレ達の到着に気づいたのか、くすくす、くすくすと、蝶が舞うように耳をくすぐる声を転がして笑っていた。……そうして、スカートの裾を揺らし、少女はこちらへ振り向く。


「あら、あらあら。悪い子たちね。私の可愛い子供たちを、どこへやってしまったのかしら」

「話は聞いてるよ、マダム。もうお芝居はやめにしない?」

「いや、いやね。なんのことだっていうのかしら。私が、一体、なにをしたって?」

「アンタの罪をここで裁こう。今更言い訳も見苦しいぜ、アバズレ女」


小さな白い手を口元にやり、それはそれは淑やかに微笑む彼女へ、オレは得物を構え、一発の銃弾を放つ。銃弾が頬をかすめる。傷から流れ落ちた赤を指ですくい、それを眺め沈黙する彼女。微笑みが消えていく。……やがて、幸せな夢が悪夢へと変貌するかのように、彼女の表情は満ち満ちる憎しみに歪む。そして狂気のにじむ声で、張り裂けんばかりに叫んだ。


「なんてこと、なんてこと、なんてこと! なんてことを、したのッ! 返して、返して頂戴! 私から奪ったもの、すべてを!」


耳をつんざくような声とともに彼女の身体が引き裂かれ、膨れ上がり、巨大な醜い女の姿があらわになった。今にもオレ達を握りつぶそうと、ごてごてと嵌められた宝石まみれの指を広げ、――襲い掛かって来る。


「さぁて、これで最後の仕事だけど。姉さん、勝算はある?」

「とびっきり汚い言葉で罵らなくちゃならないんでしょう? どんな台詞がいいか考えてるところ」

「オーケイ、ミンチにされる前にカタをつけよう。まずは二、三発様子見かな」


弾丸を放つオレ達に怒り狂って暴れる彼女は、ときおり頭を掻きむしりながら、「私たちは罰を受ける、神よ、神よ、」と口走る。こんな母親の姿を、息子のエルマーは毎日のように見ていたのだ。だから彼は、罪を、地獄を、恐れたのだ。幼い心が感じる恐怖は、それこそ怪物のようであっただろうに。そう思うと、胸が痛んで仕方がなかった。しかし、……今は、傷心している場合でもないか。その彼が残した手がかりに倣って、オレは銃を構える。……キリングコールだ。


「子供のアソコをオモチャにして、あげく寂しいPussyはシクシク泣いてたっての?ファッキンビッチ、程々にしなよ。それじゃ汚ねえゴミの中でウヨウヨしてるウジムシを眺めてるほうが、オレにとっちゃはるかにマシだぜ」


巨体のあまり機敏な動きができない彼女を見て(エルマーは元気いっぱいだったけどね、)オレはその足元を狙い、見事に弾丸は命中した。彼女が野太い声を上げながら傷を押さえる様子をちらりと目に入れた姉は、「へぇ、やるじゃない。やっぱりそういうシゴトは貴方に任せるべきね」とオレを褒めた。……喜んでいいのかわからないんだけどまあいいか。痛みに悶えるあの母親を眺め、言葉を込めた分見た目の傷以上にキいてると見た。さてここからどう料理したものか。


これまでのスイープで消耗しているこちらとしては、できれば長期戦は避けたい。このまま一気に畳みかけるのがベストだ。彼女のしたことは許されない。けれど、だからこそ、彼女のその孤独をオレ達は理解すべきだと語った、姉の言葉を思い出す。どんな言葉が、銃弾が、彼女の胸を貫き、……そして安息を与えることができるか。考える、……、


「……姉さんなら、この悲劇をどうやって終わらせる?」

「亡くした夫、殺したあの子と息子……、彼女は愛に飢えて、飢えるまま罪を犯した。それなら、……」

「"愛ならば、愛を以って"?」

「そう言う事。あたしたちだってロクなそれを知らないけれど、だからこそ寄り添える言葉があるはずよ」

「成程。姉さんにしちゃ、ずいぶん親切だ」


だって、それがあたし達の仕事でしょう?そう微笑んだ姉は、標的を見据えて銃を構える。哀れなものを見る、瞳だった。愛を欲し、愛に飢え、求めたものの先がこんな結末だなんてね、と肩をすくめて。そう、けれど。姉の欲っするものは悲劇だ。冷たい海に独り沈んでいくような悲劇。すすり泣くその涙と、青。


「ねぇ、ママ。貴方うつくしいわ、今でも。愛するひとを失って嘆く貴方。その寂しさから沢山の過ちを犯した貴方。哀しい傷はひとをうつくしく見せるわ。ママ、きっと貴方が終わりを迎えるのならば今なのよ。貴方は可憐でいたかった。夫の愛した美しい女でいたかった。それならば、この悲劇の舞台があなたを"そう"みせている、そのうちに。――エンドロールはすぐそこよ、ママ。目を閉じて。あなたの愛しいすべてを、思い浮かべていて」


姉は慈愛に満ちたその声を弾丸に込め、放つ。それはあの母親へ命中する。もがき苦しみながら弾痕を押さえ、彼女は祈る。神よ、神よ、私は。そう並びたてられる懺悔の言葉。彼女は頭を掻きむしり、目を見開く。そうして叫んだ。すべてを失ってしまったことを、未だ信じられないとでも言うように。


「ああ、ああ、なんてこと。私の子たち。私がいないと生きていけないでしょう、そうでしょう。かつて、私があの人にそう言ったように。かつて、あの人が私にそう言ったように。そうでしょう、そうだと言って。そうだと言いなさいッ! ああ、神よ、私は……」


その姿を見つめ、オレと姉は並ぶ。並んで、銃を構える。……ピリオドを打つならば、ここだ。オレ達は息を合わせる。


「あのさ、ママ」

「ねぇ、ママ」

「信じなくてもいいよ」

「けれど、貴方の為に言うの」


貴方にそう言ってあげられるのは、もう世界でオレ達ふたりっきりだから。


『――きっと誰もが、貴方を愛していた』


二人同時に放った弾丸は彼女の胸を貫く。彼女の身体は崩れ落ち、そして光に透けていく。その最中揺らいだのは、頬に涙を伝わせる、いつかの彼女の姿だ。何もかもを遠くに感じるような声で、最期に「私も、愛していた」、と。――すべてが終わったことを、デッドコールが知らせる。鳴り響くベルに、オレ達は応答する。


『バースネーム・有栖川 梓(アリスガワ・アズサ)、コールネーム・エイミー、DEAD完了。人殺しの君たちから、何か一言?』

「……地獄ではせめて、淑女らしくね?」

「愛を信じる純真さのまま、悲劇の舞台を降りた貴方へ。ねぇ、貴方やっぱり、かわいいひとよ」

『OK,My dear fxxking killers! 人殺しの君たちに、幸あれ!』


……気が付けば、通りを覆っていた陰鬱な気配は晴れ、この街に平穏が戻ってきたことを示していた。遠くから興奮した様子で駆けてくるジョニィの姿が見える。オレ達は手を振ってそれに応え、彼からの感謝を、その喜びを受け止め、笑っていた。


願わくばこの街の未来が、少しでも明るいものであるように。彼の願いを叶えてやりたいと言った、その言葉に嘘はなかったから。


さて。ここからは後日談だ。無事に依頼を達成したオレ達は、ジョニィとの約束通り、それはそれは分厚いステーキをご馳走になった。こんなの胃に入らないよと漏らすオレの背を、勢いよく叩いてはガハハと笑うジョニィに、あの日の憂いはもう無いように見えた。それも、そのはずだ。スイープされたゴーストについての記憶は、人々の記憶から消え去っていくものだから。


通りで悪さをしていた奴らが、オレ達が退治したことでいなくなって万々歳。今の彼の記憶に残っているのはその程度のことだ。姉は小さな口にこれまた小さく切り分けたステーキを運びながら、オレをちらりと一瞥する。「いい加減慣れたら?」とでも言いたげに。それはまあ、その通りなんだけど。でもあのゴーストたちを、その別れを悼むことができるのがオレ達だけだというのなら、……少しぐらいは、哀愁を感じたっていいだろうとオレは思うわけで。


そしてまた、後日の事。スイーパーたちの管轄を務める、ミッドナイトグレイヴタウンの"母"と慕われるミス・エヴァーから、オレ達に届け物があると連絡が入った。なんだろうと受け取りに向かえば、届いていたのは花束とメッセージカードだ。ふわりと花の香りをまとったそれを読めば、……差出人は、花屋の娘アンジェリカだった。


『通りのゴーストを退治してくれてありがとう! これでみんな、安心して暮らせます。人殺しに花束なんて贈るものじゃない、なんて怒られたけれど、私はこの感謝をどうしても伝えたかった。受け取ってください アンジェリカ』


ゴーストとなった死者の記憶は、人々の思い出から消え去っていく。それでも「誰かにとって大事な人」を殺す「人殺し」としての、スイーパーへの世間の認識が変わらないのは、記憶は失われるものであっても、空いた穴を塞ぐことはできないからだ。その寂しさをぶつける先が、オレたちスイーパーしかいない、ということ。周りの人に怒られてまで、オレ達に花束を贈った彼女の心に、何が残っていたのかはわからない。けれど、「これで安心して暮らせます」、そう言い切れる彼女なのだから、きっとこの先も、彼――クレイグと交わした約束の通り、彼を忘れて、幸せに生きていくことができるのだろう。


ああ、ハッピーエンドさ。……そう、自分に言い聞かせて。帰りがけに可愛い花瓶でも買っていこう。なんて思いながら、車を走らせた。


誰かが思い出に別れを告げなきゃ、この街の時間は止まっちまう。いつか自分が言った言葉に頷けないでいるのは、……他でもない、オレ自身なのかもしれないや。

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