第8話『サンキュー、オーディエンス』

怪しげにそびえ立つ黒い塔。街の中心部からかなり離れたこの場所への来訪には、本来、立派な馬車のお迎えが行くらしい。(俺はあんまりキョーミなくてパスしてたけど、)そんな道楽に興じるおカネ持ちの方々の夜会の舞台となっちゃ、太陽の下コイツはどうにも眠たげなカンジだ。


塔を見上げたその拍子、こちらを睨んだ警備員にへらりと笑って返す。そして胸のポケットから取り出した『切り札』――俺の父親の名刺に、自身の身分を証明するものを添え、支配人に用件がある旨を伝えた。

確認した警備員は少々訝し気ながらもインカムで連絡を行う。返答を聞いたそののち、彼は短く謝罪を述べた。そうして、閉ざしていた扉の先へ、俺を案内する。

エントランスホールで数分待つと、螺旋階段から慌てた様子で小太りの男が降りてきた。子供の時、よく顔をあわせていた記憶が蘇るようで、ナツカシ。この塔で行われた件のオークション、アレはその支配人サンだ。


男は俺の姿をみとめてすぐ、パスくん、久しぶりだね、どうしたんだい急に、などと高そうなハンカチで汗をぬぐいながら、"いかにも親し気に"言葉を並べた。

ナルホド、面倒ごとが転がり込んだと苛立っているのは明らかだ。アンタも大変だねえ、カケラも同情する気ないけど。内心で嘲笑しながらいざ対面して早速、切り出す。


「死者の門の契約書をあのマジックショーのスポンサーが落札したって話じゃないッスか!」


「ええ?ど、どこでその話を……」


「へ~!やっぱマジだったんだ」


「パ、パス君……!困るよ……!」


図々しいぐらいケロッとしたの態度の"パスくん"を、オジサンはよく可愛がってくれてたもんで。オジサン昔から分かりやすいよね~!、とふざけた振る舞いを間に挟みつつ、俺はさらに攻めの手をとる。


「あのぉ~、ちなみに"買戻し"ってのができたりしない?や、モノをどーしてもこっちに寄こしてほしくって」


「無理に決まって………、ううん」


「え、なになに?」


支配人は言いかけて、なにか思い出したように眉間を指で挟んで唸る。俺は待ちきれない!と言った具合に、彼の顔を覗き込んだ。……へえ。なかなかの収穫の予感じゃん?


「方法が無い訳じゃあない。あまりオススメはしないがね……それでも、どうしても欲しいって言うなら――」


◆◆◆


案外に穏やかな午後3時。事務所に設置された小さなキッチンスペースの戸棚を開け、クラシカルな絵柄で装飾されたクッキー缶を取り出す。


「魔女のため息」という、巷で評判の菓子屋で売られているものだ。先ほど淹れた2人分のミルクティーと共にテーブルに運び、席に着く。


ティータイムの相手はジョンだ。彼の理性をみとめるのなら、たとえ仮初のものであろうと、協力関係の構築のためにこういった時間は作るべきだろう、とオレは考えるようになっていた。

ジョンは軽く礼をしてティーカップに口をつけたあと、話始める。


「ともかく、君の親友を救うには契約書が必要とみていい。どうやって手に入れる?」


「正直、厳しいとは思うけどね。ダメで元々ってことで、パスに調査・兼・交渉に向かってもらったよ」


「へえ。彼にどんなカードが?」


「支配人の得意先だ。パスの父親の会社がね」


偽の名義によって"既知関係を捏造して"近づくことも考えたが、一対一で顔を合わせた交渉であることを考えると、あまり良い手とは言えない。

相手が違和感を覚え、疑いを向けられてしまえば、"仮面"は一切の意味を為さなくなる。

さてどうするかとパスのコネクションを探ったところ(困ったときの奥の手だ)、前述の件がヒットしたってこと。いやぁ、持つべきものは部下……と言うより、大企業の社長を務める父親だネ。


「果たしてうまくいくかな。できれば私に回してほしい仕事だったよ。今回の状況じゃあ難しいのは理解した上でね?」


スリル、スリルだよフランツ。ジョンはいつも演劇のような調子で喋る。この大仰な仕草も見慣れてきたが、どうも若干拗ねているらしいのを感じ取り、オレは呆れ混じりに仕方ねーだろ、と返す。……ジョンも万能じゃあないってことだ。フルールの事故の真相を知らないかと尋ねたとき、ジョンはこう返した。秘密を持つことに慣れているかどうか。そうでなくとも、本当に知られたくないと、固く鍵をかけた心は読み取れない。"あの子"やリリィのことをジョンが読み取れたのは、とにかく手がかりを見つけたかったことのあらわれ――オレが自分の外の世界にそれを求めていたからだ――と。


「このままでは満足できないね。すっかり傷心の私のために、聴かせてくれたっていいんじゃあないか?"母親殺し"のあだ名についてさ」


「なんでンなことアンタに話さなきゃなんないの……」


ジョンが言う、"母親殺し”とは、オレについているあだ名の一つだ。誰が呼び始めたんだかは知らないが、まあともかく、オレと姉のレファを産んだ女は死んでいる。それ以上のことは、誰にも明かすつもりはない。必要がない。だから、今オレを覗き込む、悪意に満ちた青い瞳が、これを探り当てることもない。オレは素知らぬ顔でクッキーを齧っていた。愉悦の材料に使われるのはゴメンというのは勿論だが、そもそもの話、死んでほしいと願っていた女について、好んで話そうなんて少なくともオレは思わな、――


「デッドリーサインだ」


「なんだい?」


「デッドリーサインだよ、何で気づかなかったんだ」


眉をひそめ、ティーカップを手にしたままなにがなんだかさっぱりだよと漏らすジョン。オレは構わずに捲し立てる。デッドリーサインだ、ほら、デッドコールと同じようなもの、『死の証明』だ、ああ本当になんでもっと早く気づかなかったんだ、――


「分かったから落ち着いてくれ、デッドリーサインのことは私だって知っているよ。話題が飛躍した上にその様子じゃ訳がわからない。一体何に気付いたって言うのさ」


スイープの後に電話口でゴーストの名を読み上げるあのデッドコールは、『死の照合』だ。"名無しの誰か"になってしまったゴーストたちは、スイープを受けることで、自身の名を、存在を照合される。この街の住人達が彼らのことをこれから一生思いだすことがなくとも、彼らはそうやってやっと、"確かな死”を迎えることが出来るのだ。

そして、デッドリーサイン。こちらは、”ゴーストになっていない死者”のための『死の証明』。名前の主が"確かに在った過去"だということを残し、忘れ去られる存在・ゴーストになりにくくするためのサインだ。


……あの女がゴーストになっちまえばいいのに、それが叶わないのなら、”確かに死んだ”ことになるというなら、あの女が過去になって、あの女から逃れられるならどんなにいいか、だから母親のデッドリーサインを書いてくれ、と幼いオレはアンリに訴えた。眼差しに、わずかに憐みを滲ませながらも、アンリは首を横に振った。サインの代金は、とても子供ひとりに支払える額ではない。それに、もっと重大なこと。何故高額の対価を必要とするか、その理由のひとつでもある……、生きている人間のデッドリーサインを書いて、"既に死んでいる"と証明した場合、何が起こるか――


「"死んだ"ことが"処理されなくなる"――あのとき、アンリはそう言ってた!」


「つまり?」


「死なない、不死身になっちまうってことだよ、アンリは、リリィのデッドリーサインを書いたんだ!」


「……成程ね。どうりで、彼を読みとることができなかった訳だ」


ジョンは指先で顎に触れ、感心したように薄く笑む。――秘密を持つことに、慣れているかどうか。アンリは、そちら側の人間であるに違いない。尤も、彼らネームメーカーは人々の名前――人の真実に触れるといっても過言ではない生業をしているのだから、備えていて当然の能力ではある。デッドリーサインを書くのは、「ライター」を請け負うアンリにしかできないことだ。この推理が正しいのだとしたら、……アンリはあのマジックショーの裏側と、深い繋がりがあるということになる。


「何故そうしたか。ふむ、さまざま仮説を立てることはできるが……」


「ああ、確かめる必要があるぜ。もちろん、タダで話してくれるワケもないだろうけど」


折角だしね。ゆっくり味わいたかったけれど、こうしちゃいられないと残りのミルクティーをあおりながら、オレはジョンのティーカップを指さした。ジョンは視線を一度やってからやれやれといった仕草ののち、同じくそれを飲み干す。そのままテーブルをさっと片付け、オレとジョンは慌ただしく事務所を出ることになった。


「ネームメーカーの家へようこそ。コールネームのあと、用件をどうぞ」


「ピピリだ。ちょっとした確認に来たよ」


「ジョン、ジョン・ドゥだ。まあ軽く世間話がてらね?」


辿り着いたネームメーカーの家で、オレ達はアンリの"安全確認”を受ける。少々訝し気な表情をみせたが、そこは付き合いの長さだろう。のぞき窓を閉め、アンリはオレ達を家の中へと招き入れた。オレたちにソファを勧め、タブレットでの作業に戻りながら、彼は口を開く。


「”確認”に、”世間話"ね。何か言いづらい用件でも?」


「流石はネームメーカー!話が速くて助かるよ」


生き生きとそう返すジョンの隣で、さてどこから問うたものかとオレは考えていた。「リリィのデッドリーサインを書いてアイツを不死身にしたのか?」……なんて、真正面から聞いて答えてくれるものか?いや、だからといって回りくどい問い方をしたって、アンリを騙くらかせるとは思えない。いきなりここへ乗り込んだのはさすがに早計だったかな……、と、さっそく弱腰になるオレを構いもしないジョンの、高らかな声が室内に響いた。


「ネームメーカー、貴方なんだろう?リリィを不死身にしたのは!」


「あはは、また突拍子もないことを言うね。……どうしてそう思うの?」


ジョンの問いかけに対し、アンリは気楽に笑って返す。作業を続ける手つきに動揺は見えない。


「まあまあ、隠し立ては止せ。フランツの立場を思えば、貴方には正直に話す責務があると思うがね」


「……デッドリーサインのことを思い出したんだ。どう考えたって、そんなことができるのはアンリ、君ぐらいだって」


オレがやっと言葉をこぼすと、アンリの作業の手が一度止まる。トントン、とペン先で軽く液晶を叩いたのち、また淀みなくそれを走らせる。


「つまり、おれが彼のデッドリーサインを書いた、って?」


「……違うのか?」


「いいや、違いない。だから先に言っておくけれど、君にそれ以上踏み込んで欲しくない」


「承知の上だ。オレはリリィを助けたい」


アンリは振り返り、オレと目を合わせる。幾ばくかの間のあと、まずは、君が何処までわかっているか、かな。そう言って、オレの方へ言葉を促す。オレはジョンから得た契約書についてのこと、リリィと再会したとき彼が言い残したことを話した。アイツは『撃て』と言った、リリィはオレを巻き込むつもりでいる、それは明白だ。そして、それはあいつからのSOSだとオレは確信している。


「だから、事情を聴く道理はあるはずだ。アンリ、――君も、あいつを助けたいって思ってるなら尚更ね」


オレの話を聞き終え、思案するようにペンの頭で自分の顎をつつきながら、アンリはつぶやく。――それで、『責務』か。確かにね、と頷くと、彼にはめずらしく迷いのある表情をみせた。


「……正直、おれも判断に困っていてね。スポンサーの意向に反したタイミングで告げれば、言うまでもなく大きなリスクを被ることになる。……ピピリ。君は一度決めたことにはがむしゃらになるところがあるし……、不用意に伝えるべきじゃあないと考えていたんだ」


けれど、君の決心の前では、すべて言い訳以上のものにはならないだろうね。アンリはため息をひとつ落とし、作業の手を止める。そうしてオレ達の向かいに腰かけ身を少し屈め、立てた人差し指を口元に添える。オレが勿論?と頷くと、姿勢を戻したアンリも同じように頷きを返し、自身の握っている"真相”について語りはじめた。


「おれは、確かに彼の、……リリィのデッドリーサインを書いた。それも、君たちの言う”死者の門の契約書”へのサインとしてね。万が一があっても、ネームメーカーの手以外で”消す手立てがとれないように”というのが理由だ、おれはやむを得ず応じた、……そうしなければ、彼の命の保証がなかったんだ」


彼は副次的に不死身になったというわけだ。やむを得ないとは言ったが、自分のしたことが正しかったとは思えない。どのみちその選択で、彼を苦しめる行為におれは加担してしまったのだから――、アンリはそう続けたのち、「これはおれのエゴだ」と前置きした。


「彼が自ら君を選んだのなら、救い出せるのはきっと君一人だ。おれが君にこれを話した以上、君はもう後戻りできない。けれど、どうか臆さずに、手を伸ばすのをやめないでいてほしい」


オレは頷いた。彼への親愛、そして彼の普段の誠実さを知っているが故、アンリを責めるつもりはこれっぽっちもなかった。だから今願いを託されたことも、オレにとってはむしろ嬉しいことだった。隣で「陳腐だなあ」などと漏らすジョンの足を踏みつけ、改めて握手の手を差し出す。アンリは少し驚いたようにしたあと、わずかに眉を下げてそれに応じた。


――この街で秘密を抱えているのは、何も君一人ってわけじゃない――いつかの彼の言葉を思い出す。……今回は、オレからのフォローになっただろうか。


とにかく、契約書を手に入れ、記されたデッドリーサインを「イレーサー」のノアに託して消せば、リリィの死者をよみがえらせる能力と不死身という特性を失わせ、あのショーから解放することができるはずだ。


……事態に進展が見えたか。あちらの進捗はどうかな?とポケットフォンを取り出し、通知の確認をしたまさにそのとき、着信音が鳴りだす。少々面食らったが、画面を素早くスワイプする。収穫は?というオレの第一声に、パスはいつもどおり気だるげな様子で答えた。


「なかなか。いい土産ができたわ」


「へえ、そりゃ上出来。……土産って?」


「アンタをしっかり指名した”招待状”」


招待状?とオレが聞き返すと、パスは揶揄うような声色で告げた。


「例の契約書を『再出品』するオークションよ。ど~やらこのミエミエの罠、ノるしか道はねえんじゃねえの?」


俺は高みの見物してるわ、とぬかすソイツの軽薄な笑みが目に浮かぶ。いい気なもんだと呆れながら、オレは「サンキュー、オーディエンス」と返す。リリィを救うカギとなる『死者の門の契約書』の再出品、それもオレを名指しとなれば、パスの言う通りリスクを負ってでも出る以外の選択肢はない――『進展』どころじゃない、とんだ『急展開』だ!詳細をパスから聞き出すさなか、オレは祈るような気持ちで再び決心する。


――リリィ。お前のこと、絶対迎えに行くよ。白馬の王子サマなんて、オレには似合いっこないけどさ。

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