第6話『透明人間は名前を持たない(後編)』

3年前、15歳。スイーパーになって、まだ間もない頃の事。その子に出会ったのは、先輩に連れられて行ったストリップ・バーでのことだった。丈の短いボンテージワンピースにネコのシッポを生やして、彼女は言う。「ヘイボーイ、ご注文は?」、くっきり引かれたキャットライン、その瞳の片方を細め、ニヒッと口の端を上げて。

一目惚れだった。多分、運命だった。小さめの背丈、細すぎるぐらいの体躯、ボーイッシュなハネた黒髪のショートカット、夜に映える銀色の瞳、濃いまつ毛に悪戯そうな表情、少しだけ低い声。なにもかもに確信できた。好きにならないワケがなかった。固まったままのオレの目の前で、聞いてる?と手をひらひらさせる彼女に、オレは一言こぼす。


「可愛いね」


「ン?あー、よく言われる。ドーモ?」


それで、ご注文は?、彼女は繰り返す。ないんなら他のお客のトコ行くぜ?とケラケラ笑うのを聞いて、オレは慌てて注文を口にした。ハーイを返事を返して去ろうとする彼女を、どうにか引きとめたくて言葉をつなぐ。


「……また会えるかな」


「あー、どーだろうなァ。あたし、ただのウェイターなんだよねェ」


適当にあしらわれる、ってこういうことを言うんだろうネ。手を振ってその場を去る彼女を、オレは成す術なく見送ることとなった。……それからのハナシをすると、オレは以降その店に通い詰めたし、デートの約束を取り付けるために土下座もしたし金も積んだ。一緒にいられるんだったらなんでもよかった。なりふり構わないオレに彼女はちょっとダルそうに応じていたけれど、時々からかい気味に笑ってくれたりすることがあって、そのうち、土下座をしなくても名前を呼んでくれて、お金を払わなくてもチューしてくれるようになった。


可愛かった。大好きだった。どうやったって運命だった。そうに違いなかった。だからなんであの日、喧嘩になったのか覚えてなくて。もう出会って2年がたった、寒い、雪の日だった。会って顔見たら、謝ろうって思ってた。待ち合わせ場所にあの子がいなかった。足跡と、黒い傘だけ残して。消えてしまった、その日から、一度も、あの子に、………


「──それで、撃てなかった、と」


ところ変わって、ネームメーカーの家。アンリの一言に、オレは返す言葉もなく俯いて黙りこくっていた。代わりに口を開いたのはソイツ──今は"エレノア"ではない、名無しの"誰か"……なんでコイツをここに連れてきちまったんだろう。顔を覆うオレを鼻で笑い、ソイツは至極上機嫌な様子でいた。


「感謝するよ、ネームメーカー。実に見事な腕前だ、私の理想はここで叶ったと言ってもいいほどにね」


「それはどうも。ええと……仮に、こう呼ぼうか。名無しのジョン・ドゥ。事情が事情だ、君には満足してもらわないと困るからね」


なんてことないことみたくそう返すアンリに、彼の冷静さを見てとり信頼は増したが、互いの間に築き上げられていたはずのそれを裏切ってしまったのはここにいる自分であるわけで、オレはさらに気まずい思いをして身を縮めていた。


事の、流れを話そう。オレの記憶から掬い取った"あの子"の姿を借り、涙を浮かべて微笑んだジョンを、オレは撃つことができなかった。──ねえ、つらいでしょう?言うことを聞いてくれたら、この子の手掛かりを探すのを手伝ってあげる──断れないわ、あなたは。囁くかれの言葉には確信があった。オレはそれを否定できない。術中だ、わかっていながらも、従うほかに手段をとれなかった。そうしてネームメーカーの家までかれを連れて来て、アンリに頭を下げた後ここで項垂れているのが、今だ。


アンリは"フランツ"のときと同様の偽の名義をいくつか作成し、ジョンの要求どおりに「仮面」としてそれをかれに与えた。代わりにジョンは"盗んだ"名前を自ら手放し──これで元通りとなるなら、一件落着……では、あるのだが。明確に悪であるかれと、協力関係になる。……こんなことが、許されるだろうか。己の行いを責める一方で、オレはわずかな希望を抱いてもいた。何も知れない今よりは、あの子に手が届くかもしれない。つまり、それが余計にアンリへの罪悪感を湧き起こし……、情けない話、ここで何も言えずにいるというわけだ。オレのその様子を見て取りながら、ひとつ息をついて。それでも朗らかな態度は崩さずに、アンリは語る。


「しかし、ジョン。君はレアケースだ。普通のゴーストとはちょっと違う。……そうだな、これもまた仮に、"ネームレス"とでも呼ぼうか」


"ことに対して自分が主導権を握るかどうかの話"、だと彼は言った。ジョンはゴーストに襲われる、人々に忘れ去られるなどの「外的な」要因ではなく、「自分から」手放すことによって名前を失った。それが恐らく大きな意味を持ち、ジョンの「名前を借りて姿を変えられる」「自身の行動をある程度コントロールできる」理由なのだろう、と。ただ、通常のゴーストとの共通点として、生前の自分にとって"強い意味を持つ感情"は、名前を失ったあと──"壊れた心の怪物"──に変化した今でも性質として残っているのではないか。多くの場合、それはゴーストの名前を奪おうとする衝動……「飢え」の原因となるものだ。ジョンの場合、それが「愉悦」である。その考察を聴けば、成程合点がいく部分は多々ある。感心してようやっと顔をあげたオレに、アンリはいつもの調子で親し気に笑いかけた。


「そんなものと取引した君に協力するなんてまっぴらごめん……なんてことは、言わないさ。自分で言うのもなんだけど、おれは結構柔軟な人間なんだ。"フランツ"のときの5倍。それで手を打つよ」


手数料で+2倍、口止め料でさらに+3倍といったところか。オレは問題ないよ、と返した。対価は、その物事の重みをはかるひとつの指標だ。それはアンリの説く信条のひとつだったし、……今回は内容が内容だ。どんな値段だろうと安すぎるぐらいだと思っていたぐらいで、やはり彼には感謝が尽きない。契約書にサインをして、前金として手持ちからいくらかを払った。金額を確かめたアンリは、オレにその手を差し出す。


「この街で秘密を抱えて生きているのは、なにも君一人ってわけじゃない。おれは決して口外することはないと約束するよ。それはつまり、おれはこの件について一切の関与を否定するってことだ。責任の所在はピピリ、君にある。それだけ理解しておいてね」


「オーケイ、肝に銘じておくよ」


応じたオレは、笑顔でいるように努めた。彼とのシンライカンケイってやつが、これ以上危うくなるのが怖かったし、……多分、この握手はアンリからのフォローだろうから。


「さて、話はまとまったかい?想定していたよりずいぶんスムーズにコトが進んでくれて助かったよ」


白髪のボブヘア、青い瞳。仕立てのよいシャツにブレザー、サスペンダーとショートパンツ、低い背丈──といった、お決まりのスタイルで身を包む少年。彼自身がアンリにオーダーし、ジョン・ドゥという名前と共に与えられたその姿でいるのは、自分なりの"誠意"だと彼は語った。曰く、彼がネームレスとなる前、小説の登場人物に憧れるただの少年だったころ、つまりは彼の「本当の姿」……に、近い姿だということらしい。どのみちその「本当の姿」をオレは知りはしないのだが。……誠意、ねぇ。オレたちから一応の信用は得たいというところだろう。それがそういう態度なのだと説明されれば、まあ……、と、まだ不服さはあるものの頷いておいた。


「アンタに関しては、まだ納得してないブブンもあるんだけど……。今突き詰めったって、あんまり意味ないし。……ひとまず、本題といこうか」


本題。今現在この街を席巻している、ホワイト・リリィのマジックショーについて、オレは話を切り出す。……そもそもの話。人々がゴーストになってしまった場合、ほかの人々から忘れ去られてしまうだけではなく、墓石に刻まれた名前も、埋められた死体も消えうせる、というのが定例だ。しかし、あのショーで"帰ってきた"ミス・フルールは、人々の記憶の上に存在したままであり、かつ死体も残っていた状態だった。すべての死者がゴーストになるわけではない。彼女は、「ゴーストにならなかった死者」であるのは確かだろう。つまり、「ゴーストになった死者」をよみがえらせることはできなくとも、「ゴーストにならなかった死者」をよみがえらせることができるなんらかのカラクリを、ショーの主催者は保持しているとみていい。


「さらに言えば、だ。"失われた人を取り戻す"というショーの主旨、多くの支持者を集めてここまでの熱狂を生み出すために、記憶や死体が残っていることが必要だったともとれる」


「確かに。認知度の高い死者ばかりをショーのメインに据えていることからしても納得できる話だね」


そう返したジョンに、オレは一度頷き、結論に続ける。つまるところ、ショーの仕組み自体は、ゴーストやそれに対してのスイーパーたちの仕事には、"厳密にいえば関係がない。"……が、「失われた人を取り戻してくれる」リリィへのヒーロー視は、「誰かの思い出を撃ち殺すヒトゴロシ」である"スイーパーへの敵意を高める"ものであると言える。


スイーパーへの敵意。「ヒトゴロシ」というその認識が変わらずにあるのは、ゴーストに関しての記憶は失われるものであっても、空いてしまったその穴を埋めることはできないから……、だから、その寂しさをぶつける先がオレ達しかいないということ。それが、スイーパーの間での通説だ。


「成程。何故そうするか──という理由までは現状わからないにしろ、住人を扇動し、スイーパーの立場を危うくすることで、何か大きな目的を果たそうとしているようには見えるね」


「ああ。なんにせよ、そのカラクリだな。アンタの情報網には、本当になにもかかっていないワケ?」


信頼度の低さを隠さない態度でオレが問うと、ジョンはアッハ!、と声を上げて笑い、やれやれと肩をすくめた後、聞くって言うならもうちょっと態度があるんじゃあないの、などと軽い文句を吐きながらも応答する。


「しかしまあ、そうだね。眉唾モノではあるが……、"死者の門の契約書"というものについてはご存じかな?」


「死者の門、はそりゃあわかるけどよ……。契約書?」


「死者の門」というのは、その名の通り死者達の世界へと繋がる門のことだ。といっても、実在するものとして扱われているわけではない。ではないが、その存在はこの街の住人であればみな普遍的に信じているもの、だと言って違いないだろう。例えば、ハロウィンの話。その日になると、一度スイープしたゴーストたちがわんさか帰ってきて、街はゴーストとそれをもう一度退治するスイーパーとのお祭り騒ぎになる。何故そうなるかはハッキリはわかっていないけれど、「ハロウィンの日には死者の門がひらく」という認識で、みな一致している。そういう、昔からある言い伝えみたいなものってことだ。


「ショーが流行るより以前、それが骨董品のオークションで落札されたってハナシだ。門の番人と契約し、死者の世界への干渉を可能にする……と言っても、オカルトの域を出ないシロモノのはずだがね」


「で、その落札者は?」


「あのショーのスポンサーだ」


「……、そりゃ驚きだ」


「もし実際に運用できるものだというなら、あのショーとの関わりは深いと見えるね」


そう。あくまで、"言い伝え"だ。しかし、この街の陰に潜んでいたそれが、今実体をもってオレ達の日常を脅かそうとしている……、そう考えると、触れてはいけないものに触れようとしているような恐ろしさで一瞬、指先がしびれた。……いや、タブーであることは百も承知のはずだ。死者に、過去に囚われて、時間を止めてしまうことは、過ちであると言い切らなければ、オレは、──、オレの内心の葛藤を見透かしてか、ジョンは薄く笑みを浮かべ、こちらに問いかけてきた。


「キミが助けたいのは、あの女の子だけじゃないね?」


「………」


楽し気な声色だった。まるで弄ぶような。……"エレノア"の姿でオレに触れた時、きっと彼は知ったのだろう。目の前の人間がどんな不幸ともつれて転がっていくかだけに期待する、愉悦。とっくに、オレは彼の獲物なのだ。零れ落ちる言葉を制止できない。抗えない。先の言葉を借りるのなら、……"主導権"は、今、彼にある。


「リリィは、……あいつは、オレの親友だ」


トントン、と資料の束を整える音が部屋に響く。ちらりとこちらを伺ったアンリの視線には、友人としての気遣いの色が浮かんでいて、……それだけが唯一、この胸の重苦しさからオレを救ってくれるものだったんだ。

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