第5話『透明人間は名前を持たない(中編)』

……過ぎ去った過去にしがみついているのは紛れもなく、このオレだ。そうやって明日を拒むオレを、この街は「臆病者」と呼ぶんだ。


会員制ホテル「ブラック・キャット・フォーチュン」、ゴースト(と思われる人物、だね)の

主催するダンスパーティーの会場は、その地下にあるホールだった。ドアマンが開ける重そうな硝子扉を抜け、オレの到着を歓迎し一礼するスタッフたちに会釈を返す。まずは思惑通りだ──、ネームメーカーお手製の住民票、"架空"の名前が宛名に記された招待状を受付に差し出す。


「フランツ様。お待ちしておりました」


「ああ、どうも。会場まで案内を頼めるかな」


「承知いたしました。恐縮ですが、安全のため、会場に入る前にボディチェックを行っておりますので、少々お時間を頂きます」


構わないよ、とオレは返事を返し、両手を軽く上げてボディチェックを受ける。さて、今回このダンスパーティーにオレが潜入する目的は、主催者の正体を突き止め、それがゴーストであった場合スイープし、可能であれば名前を盗んだその対象に"成り替わる"トリックを見破るというもの。そして、スイープを目的に含むということは、当然、愛銃を会場に持ち込まなければならないということだ。


そのまま持ち込むことはもちろんできないだろうが……、ここで役に立つのが、「レッテル」という代物。ネームメーカー秘蔵のこいつは、見てくれはただの付箋だが、そこに"物"の名前を筆記し、べつの"物"に貼りつけることで、そいつは筆記された"物"にすっかり変わってしまうという、いやいやネームメーカーの手腕に拍手を!と賛辞を贈りたくなるほどの便利グッズだ。「レッテル」によるこの変身は、持ち主の意思で自由に解くことができる。愛銃はシルクのハンカチに──、雑用係との通信機器は一輪の赤薔薇に──、スタッフは笑顔でGOサインを出して、……ホラね、何の問題もなくかわせたでしょ?


ボディチェックを終え、スーツの前留めを直し、案内されるまま地下へ向かうエレベーターへと乗り込む。エレベーターガールの合図のあと、低い駆動音とともに、エレベーターは地下三階で止まった。扉が開けば、会場だ。シックな内装の照明は暗めに落とされ、ワインレッドの幕が艶やかに揺れている。既に多くの招待客が集まっており、彼らはグラスを片手に、談笑を楽しんでいた。

招待客たちの間を縫い、エレベーターの裏側に階段があること、そこへ警備員二名が立っているのをちらりと確認し(脱出経路は確保しておかないとね、)ちょうど傍を通ったウェイターからロゼ・シャンパンを受け取り、オレは比較的人の少ない壁際へ移動した。胸に挿した赤薔薇──通信機だ、これでホテルの入口近くで待機している雑用係へ連絡を取る。


「ヘイ、パスクァーレ。難なく会場には入れたよ、そっちの様子はどうだ?」


『いやー、相当胡散臭いわ、これは』


通信機の先のパスクァーレは、実のところあのナリで"いいトコのお坊っちゃん"だ。社交界にも顔を出すことがある彼が言うには、今日このホテルに「顔なじみ」の連中がぞろぞろ出入りしているってことらしい。


「成程ねぇ……。噂に聞いていたとおり、ってコトか。まあ、なんにせよココにオレを招待したんだ。その目的を考えれば……、例のゴースト──このパーティーの主自らコンタクトをとってくるハズだ。そのまま車を待機させておいてくれ。もしもの時は頼むぜ」


『ラジャー、ボス。俺たちも危なくなったらとっとと逃げるんで、精々生き延びてネ』


はぁ、まったく薄情なこと。オーケィ、とパスクァーレの台詞に返事をしたころ、こちらに向かって歩いてくる人影を見つけ、オレは慌てて通信を切った。その人影は、ドレスの色と揃いの燃える炎の色をのせた唇に微笑みをたたえ、オレの目の前で歩みを止める。……ワーオ、息をのむほどの美女ってヤツだ──、彼女はオレの胸の赤薔薇へ意味ありげな視線を向けたあと、首をかるく傾げ目を細めながら、耳をくすぐるような囁き声で尋ねた。


「……フランツさん、で間違いないかしら?」


「ああ、どうも。僕がフランツです」


彼女は「そう」とオレの返答へ満足げな表情を浮かべ、オレの頭の先からつまさきまでをじっくりと品定めするように見やり、人差し指を唇にあてながら、ひとつ頷く。その一挙一動に目を奪われてしまいそうになるほど、彼女は魅惑的だった。


「私はエレノア。このパーティーの招待客のひとり。主催から貴方のことを聞いてね、一目会ってみたかったの」


「おや、貴方のような美しい人にそう言って頂けるとは。とても光栄だ」


「そう?それなら私の誘いを断る理由もないでしょう。主催の挨拶が終わったら、一曲いかが?」


「もちろん、お受けしますよ」


彼女はくすくすと笑いながら、オレの胸の赤薔薇に手を伸ばす。その花に細くなめらかな白い指を這わせ、ゆっくりと力を込めてその首を手折った。まるで悪戯を隠し惑わす少女のように、無邪気な声を転がして彼女は言う。


「ごめんなさい。私より美しいものって、嫌いなの」


……へぇ、残酷な女。オレがそう感心した丁度、放送で主催からの挨拶がホールに流れる。なるほど、招待客として複数人の姿……その名前を借りるほうが、"主催"としての姿を見せるより身動きがとりやすく、ゴーストにとっては都合がいい。そして彼女の行動を鑑みれば、……彼女、エレノア──の名を借りた誰か──がそのゴーストである可能性は高いだろう。

レッテルは通用しなかったということか、と手折られた赤薔薇をながめていると、彼女はまたくすくすとしながら、ダンスの輪へとオレの手を引き込んだ。


……こんな仕事じゃなければ、大喜びってところなんだけど。ステージの上の楽団が奏でる曲に合わせてステップを踏みながら、彼女はオレの耳元へ唇を寄せ、挑発するような声で囁きかける。


「どうやって忍び込んだのかわからないけれど……、フランツ、貴方その名前、偽物ね?」


「いやあ、なんのことやら」


「とぼけないで頂戴。そのポケットの中のハンカチ、銃ね──、何故此処へ来たか聞いてもいいかしら?スイーパーさん」


「僕はフランツ。貴方が知る通りの、資産家の息子ですよ」


「あら、今すぐ警備員に言いつけたっていいのよ」


「……、貴方こそ、どうして自ら正体がわかるような事を?」


「認めるのね?私がしたいのは、──取引よ」


ゆるやかなワルツに乗せてくるりとターンした彼女の体を受け止め、一曲が終わる。"取引"──そう言った彼女の腹の内にあるものがどんなものであるかはわからないが──彼女をスイープするにしろ、本来の名前の持ち主への影響を考えると、"化けた"状態では手出しがしにくい。

ここではひとまず彼女の持ちかけを聞くしかなさそうだ……、頬にかかったブロンドを耳にかけこちらを伺う彼女の言葉に、"資産家の息子"としての顔を保ったまま、オレは答える。


「実に素敵なお誘いだね。貴方がどうカードを切るのか楽しみだよ」


「悪い気にはさせないわ、フランツ」


「エレノアさん、貴方は本当に魅力的なひとだ」


それだけは本心ですよ、と抜かすオレに「ばかなひと」と微笑む彼女に導かれるまま、ダンスの輪を抜け、ワインレッドの幕の向こう、プライベートルームへと足を踏み入れる。その入り口に立つ警備員は、彼女の合図ひとつで道を開けたのを見て、彼女がゴーストであると知りながら抱き込まれているのかもしれないと推察する。……ならば、確かにこの状況では彼女の方が大いに優位な立場にいる。既に彼女の手中にあることを感じながら、……しかし、焦ってしまえばすべてが終わりだ。油断の許されない状況に気を改めると、オレは椅子に腰かける彼女へ話を切り出した。


「……。取引、とは?」


「せっかちね。……貴方、リリィのショーのトリックを探っているんでしょう?」


「ふうん。どうしてそう思うんです?」


「誤魔化すのが下手ね、……"解る"わ。貴方に触れれば、私は貴方を覗き込める」


名もなき亡霊の、その存在は無地のカードだ。だからこそ彼女は何人にも成れて、何人にも成れない。生者の身体に触れれば、インクのようにその者の思い出や心が流れ込むのだと彼女は言った。それで"ダンスパーティー"ということらしい。……とすれば、彼女はどれだけの思い出……その"情報"を抱えているのか……、オレは恐ろしいものを感じ、ひやりと背中に汗が伝った。しかし、そうだな……、「アタリ」か「ハズレ」かで言ったら、


「ビンゴ。大当たりだ」


「理解が早いこと。……でも、残念ね。あのショーのトリックについては、私も探ってる途中なの。でも、そう。こういう取引よ。私は貴方に協力したっていいの。"条件"を、飲んでくれればね」


「はは。貴方が勿体ぶると、なんだか妙に緊張しますね……、"条件"というのは?」


「ネームメーカーに言い伝えて欲しいの。フランツ、貴方のその名前のように……、私の"仮面"を贈ってくれるようにね。それを呑んでくれるなら、生者の名前を盗るのをやめてあげる。今まで盗った名前を、全部返してもいいわ。貴方にとっては都合のいい手駒が増えて、私はスイープされる必要はなくなるってこと。悪い話じゃないはずよ──貴方、手がかりが欲しくてたまらないって様子でしょう?」


……確かに。提示されたメリットは悪いものじゃない。むしろ待ち望んだといっていいほどの「アタリ」だ。けれど、スイーパーであるオレが、生者たちの安全を脅かす、……他でもない"ゴースト"に、片棒を担ぐような真似をしていいのか……、"いい子ちゃん"なんて呼ばれるオレが、簡単に頷けるハナシじゃあないわけだ。


「僕はスイーパー。貴方の持ちかけは悪く無いけれど、YESと言える身分じゃない」


「あら──、じゃあ、私を撃つの? ……本当の"エレノア"がどうなってもいいのね」


「貴方が手中に収めたいネームメーカーは優秀でね。彼の手を借りればなんとでもなりますよ」


「そう、……そう。じゃあね……、」


彼女は俯き、てのひらで目元を覆いながらくつくつと喉を鳴らす。他人を弄ぶのが、まるで愉快でたまらないといったように。そうだ、それが彼女の、いくつもの仮面を持つ「怪人」にとっての、どんなものにも代えがたい、──"愉悦"。そんなものを許していいはずがない。「人殺し」なんて呼ばれてまで、彼女に銃を向ける理由のあるオレが、それを許せるはずが、ない。


「貴方に手向ける花はもう無い。……引き際をわきまえないヴィランは、美しくはないでしょう?」


そう言葉を弾丸として込めて、固く誓うように彼女へ銃を向ける。終わりだ。「アタリ」だろうと「ハズレ」だろうと関係ない。終わらせるべきだ。幸せに生きてほしい誰かがいる。この手で息の根を止めた思い出がある。手にしたこの銃の、重みを忘れるべきじゃない。彼女は、その炎のような唇を歪め、……まだ笑っていた。オレが引き金を引こうとする、その一瞬に、彼女は顔を覆っていた手を翻す。そしてオレは、──目を、疑った。


"アタシのこと、忘れちゃった?"そう言って彼女は、──「あの子」は、オレの目の前で、寂しさを誤魔化すように、けらけらと、……、


「なァ、殺されるのは"二度目"だな。ピピリ」


「……ッ、××××!」


二度目。そうだ。彼女を殺すのは、"二度目"。もう名を呼べなくなってしまった、きっとこの街で呼ぼうとするのもオレだけになってしまった、彼女の、「あの子」の、……オレの一番大切な思い出が、そこに、あった。怯んだオレに、あの子はまた寂しそうな声で零す。"寒かったよ" "ずっと待ってたんだぜ"……やめろ、その声を二度と聞けないんだと、望むものを全部、全部失くしたオレの気持ちが、お前に、お前にわかってたまるか、……クソ、


「そらみろ、"臆病者"」


──揶揄うように笑うあの子があの子で無いことを解っていても、オレは引き金を引けなかった。

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