第2話『人殺しの礼儀』

ラジオから流れるピアノ・クラシック。その旋律をハンドルを握る指で手遊びながら、陽だまりの午後、ゆったりと瞼へ降りてくる眠気を誤魔化し、オレは車の運転席にいた。

助手席にいらっしゃるは"女王陛下"──オレとそっくりな顔に青い髪を結った、オレの双子の姉であるレファ……彼女もオレと同じく「スイーパー」であり、その仕事の帰り、迎えの車を寄越せと電話があった。彼女の機嫌を損ねることは死ぬことよりも恐ろしいとばかりに、オレは自分の仕事を急いで片付けて、彼女のもとへと駆け付けたわけだ。


当の彼女はというと、今日も憂鬱そうな表情で俯き、長い睫毛を伏せている。彼女にとって憂鬱は身に纏うドレスのようなもので、だからいつもそれと共に在ったし、……だから、青が好きだった。「それだけで美しい、ということ。そう思うことに、理由がいる?」、彼女は、憂鬱と青が自分と共にあることについて、そう話していた。おそらくそれが彼女にとっての美学で、故に彼女は自身が美しいと思うものに対しては貪欲で我儘だったし、そうでないものに対してはあまりに薄情で、容赦がなかった。……なんとも、気難しそうな女の子でしょ?隣にいるオレは、いつもハラハラしてるってこと。


……さて。そうして、車が大通りに入ったころだろうか。その姉が助手席に乗る車だ。信号待ちで、反動を起こさないよう細心の注意を払って車を停止させていたとき。一発の銃声が、リヤガラスにヒビを入れた。


「……豚の餌にでもされたいの?」


恐ろしく低い声でそう呟いた姉の横で、オレは咄嗟にサイドミラーへ目をやり、後ろにつけた車の運転席に乗る"ソイツ"の姿を確認した。トレモント・ハットを目深に被り、鬼のような形相でこちらを睨みつけ、……お約束通り、といったところか。銃を構えるソイツの体はうっすらと透けていて……、間違いない。奴は──"ゴースト"だ。


「アクセルを踏んで」


丁度よく青に変わった信号を合図に、了解(ラジャー)、と姉の指示に応え、オレはアクセルを思い切り踏み込む。タイヤが音を鳴らし、車は勢いよくスピードを上げた。他の車を次々に追い越しながら、道路を疾走するさなか、オレは姉に言葉を投げかける。


「ずいぶんお気に入りみたいネ。姉さんの客?」


「とぼけないで、ピピリ。今すぐナイフで切り刻んで欲しいのね」


「ヒェッ、怒らないでよマイシスター。……そういえば、行きの車でも散々追われたね」


その時はうまく撒いたけど、やっぱりあそこで仕留めておくべきだったかな?、そうやってオレがまたとぼけたように言っていると、マシンガンの銃声が鳴り響く。オレは思わず後ろを振り返り、リヤガラスが割れていないことを確認する。ヒュウ、高いガラスに変えて正解だ!口笛をふいて、冷や汗をうかべながら前を見れば、交差点が目前に迫っていた。

姉は舌打ちをして助手席の窓を開け、空砲を撃ち上げる。真昼間の暢気な街に響き渡った明らかな威嚇音に、曲がろうとしていた車はみな、怯んで道を開けた。


「スピードを落としたら殺すわよ」


姉はそう言いながら、鞄からシガレットケースを取り出し、ひとつ咥えると、オレに火をねだる仕草をした。オレは片手で胸ポケットからライターを取り出し、それに火をつける。


「アリガト、姉さん」


「次の路地を左に曲がって。……あたしが、カタをつけるわ」


お気に入りのバブル・シガレットから泡を吐きながら、彼女はそう告げた。オレは道路を走る他の車の間を縫って、猛スピードで車を走らせ、次に見えた路地へ思い切り急カーブをかける。路地はちょうど車が二台並べるほどの広さで、……案の定、ヤツの車はこちらに並ぼうとした。


「……チャンスは一瞬ね」


アンティーク調のデザイン、その金色の銃口を口元に当て、姉は甘い笑みを浮かべる。オレたちスイーパーがゴーストを掃除(スイープ)するとき、"実弾"を使うことはない。使うのは"言葉"──ゴーストをあの世へみちびくために贈る、弔いの言葉。それはゴーストを撃ち抜く"弾丸"となって銃に込められ、オレたちはその引き金を引くわけだ。寂しさと街を彷徨うだけとなった彼らへ、安息を。……それはかれらの胸をうつ、とっておきのメッセージでなければならない。

ゴーストの乗った車はこちらの車に距離を詰め、窓から見えるのは黒い銃口を構えるヤツの姿──その手前、一瞬のチャンスに、姉は銃を構えてかれを迎え、ゴーストへ手向けるメッセージ……「キリングコール」と呼ばれるそれを、贈る。


「……待っていたの。なんて、言えたらよかったかしら。残念ね、あたしはスイーパー。出会ったときからの運命よ。but, I’ll miss you. 次に目を覚ますときがきたら、……あたしを迎えに来てくれる?」


あたしの白い手を汚したあなたのこと、一生忘れないから。恨みにも似た愛しさを込めて、姉は引き金を引く。その"弾丸"はゴーストの額を的確に撃ち抜き、ソイツは握っていた銃を取り落とす。スリップしていく車、その間際、「My sweet」と寂しげに呟いたその声を聞いて──。

ラジオはいつのまにか別の曲に切り替わっており、その甘くスローなテンポをバックに、ゴーストが運転していた車はコンクリートの壁に衝突し……、今や、無残な姿で灰色の煙を上げている。"私を月まで連れてって"──オレの姉、レファは、機嫌を直した様子でそう口ずさんでいた。


「あの世から見る愛車の姿はどうかしらね」


「同情するよ。ありゃ、年代物の高級車だ」


オレは"何事もなかったかのように"……車のスピードを徐々に落とす。窓辺に見えるのはいつもどおりの、穏やかで退屈な午後の風景だ。

──『人殺しの礼儀』。スイーパーたちの、冗談のように奇妙で、しかし絶対のルール。そのルールに縛られながらも、オレたちは"もてなし"の衣装であるスーツやドレスをまとい、ゴーストたちへ銃弾を贈る。それは、死人の最期に贈る"パーティー"、人生の散り際に捧ぐ、最上の"パフォーマンス"。それでも。だからこそ。……オレたちは、"人殺し"であることに変わりないのだ。

このまま月までドライブする?、そんなふうにオレがおどけてみせると、姉は「悪く無いわね」と珍しく、わずかな微笑みとともにそう応える。ゴーストの最期の言葉、寂しくも愛しげにつぶやいたあの言葉が、まだ耳に残ったまま……、


『バースネーム・都城 玲樹(トジョウ・レイキ)、コールネーム・スタン、DEAD完了。……人殺しの君たちから、何か一言?』


電話のベルが鳴る、スイープを完了したことを示す着信、「デッドコール」。告げられた名前の人物へ、はなむけを贈るためのその一言を、姉は電話口に伝える。


「そうね……、あなたの寂しさに寄り添える日なんて、……きっと来ないのだろうけど。いつも最上の愛情をこめて、もてなしの銃弾を贈る。それが──『人殺しの礼儀』よ」


なんて、少し窮屈な話。姉がそう言って肩をすくめると、"OK,My dear fxxking killers!! 人殺しの君たちへ、幸あれ!"と、景気の良い声でコールガールが応える。……この通り。「人殺し」であるオレたちには、しんみりしている時間なんて無い。いつもいつでも、とっておきの"口説き文句"をもってして、華やかに彼らのその最期を飾るのだ。別れに寂しさはつきものだ、……けれど、これが彷徨うかれらへの救いであってほしい。

「人殺し」らしくはない、そんな思いを抱えながら。この街が、この日々が、この銃弾が、……離れがたいものとして、オレの心の中に居座っていた。

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