第13話 解決

 赤澤龍子の死を巡る捜査は進展を見せ、次第に事件の真相が浮かび上がってきた。捜査官たちは、龍子が最後に接触した人物や遺体発見現場の手がかりを丹念に調べていく中で、次第に真犯人の姿が明らかになっていった。


 ある日、捜査を指揮していた刑事の一人、北島は、龍子が失踪前に撮影したとされる写真を手に入れた。その写真には、龍子が知らない男と並んで写っていた。その男の顔には冷酷な表情が浮かび、何か不穏な空気を感じさせた。捜査チームは、その男が誰であるかを調査し始めた。


 一方で、龍子の遺体発見現場で見つかった吹き矢の矢じりに注目が集まった。鑑識結果によれば、その矢じりは、現代の技術では再現できない古代の製法で作られていたことが判明した。さらに、矢じりには龍子の血液だけでなく、他人のDNAも検出された。そのDNAは、古くから草薙市に住む古賀家の一族に繋がるものであった。


 この発見により、捜査官たちは古賀家に焦点を当てることになった。古賀家は草薙市の名家であり、代々ヤマトタケルの伝説に深く関わってきた家系だった。特に現当主である古賀宗一は、伝説や古代の儀式に異常なほどの執着を持つ人物として知られていた。


 北島にアドバイスをくれたのは結城だった。

 結城は古事記や日本書紀をここ数日、読んでいた。

 古事記

 父の寵妃を奪った兄大碓命に対する父天皇の命令の解釈の違いから、小碓命(ヤマトタケル)は兄を捕まえ押し潰し、手足をもいで、薦に包み投げ捨て殺害する。そのため小碓命は父に恐れられ疎まれて、九州のクマソタケル(熊襲建)兄弟の討伐を命じられる。わずかな従者も与えられなかった小碓命は、まず叔母の倭比売命が斎王を勤めた伊勢へ赴き女性の衣装を授けられる。このとき彼は、いまだ少年の髪形を結う年頃であった。


 宗一は実は次男で本名は光次、兄は2番目に死んだ田中光男だ。古賀家の養子となり名を変えたが、貧乏になった兄から揺すられていた。

 蜂須賀蛍は熊本出身、熊襲っぽい。


 

 日本書紀

 兄殺しの話はなく、父天皇が平定した九州地方で再び叛乱が起き、16歳の小碓命を討伐に遣わしたとある。古事記と異なり倭姫の登場がなく、従者も与えられている。従者には美濃国の弓の名手である弟彦公が選ばれる。弟彦公は石占横立、尾張の田子稲置、乳近稲置を率いて小碓命のお供をしたという。

先代旧事本紀

(景行天皇)二十年(中略)冬十月 遣日本武尊 令擊熊襲 時年十六歲 按日本紀 當作二十七年[7]とあるのみ。


 古事記

 小碓命が九州に入ると、熊襲建の家は三重の軍勢に囲まれて新築祝いの準備が行われていた。小碓命は髪を結い衣装を着て、少女の姿で宴に忍び込み、宴たけなわの頃にまず兄建を斬り、続いて弟建に刃を突き立てた。誅伐された弟建は死に臨み、「西の国に我ら二人より強い者はおりません。しかし大倭国には我ら二人より強い男がいました」と武勇を嘆賞し、自らを倭男具那(ヤマトヲグナ)と名乗る小碓命に名を譲って倭建(ヤマトタケル)の号を献じた。倭建命は弟健が言い終わると柔らかな瓜を切るように真っ二つに斬り殺した。

 

 赤澤龍子のときと殺し方が似ている。


 日本書紀

 熊襲の首長が川上梟帥〈タケル〉一人とされる点と、台詞が『古事記』のものよりも天皇家に従属的な点を除けば、ほぼ同じ。ヤマトタケルノミコトは日本武尊と表記される。川上梟帥を討伐後、日本武尊は弟彦らを遣わし、その仲間を全て斬らせたため生き残った者はいなかったという。

肥前国風土記


 佐嘉郡、小城郡、藤津郡で日本武尊の巡行が記述される。いずれも地名伝承である。小城郡では砦に立て籠もり、天皇の命に従わない土蜘蛛をことごとく誅している。


 古事記

 その後、倭建命は山の神、河の神、また穴戸の神を平定し、出雲に入り、出雲建と親交を結ぶ。しかし、ある日、出雲建の大刀を偽物と交換して大刀あわせを申し込み、殺してしまう。そうして「やつめさす 出雲建が 佩ける大刀 つづらさは巻き さ身無しにあはれ」と“出雲建の大刀は、つづらがたくさん巻いてあって派手だが刃が無くては意味がない、可哀想に”と歌う。こうして各地や国を払い平らげて、朝廷に参上し復命する。


 日本書紀

 崇神天皇の条に出雲振根と弟の飯入根の物語として、酷似した話があるが、日本武尊の話としては出雲は全く登場しない。熊襲討伐後は毒気を放つ吉備の穴済の神や難波の柏済の神を殺して、水陸の道を開き、天皇の賞賛と寵愛を受ける。

東征

編集

古事記

西方の蛮族の討伐から帰るとすぐに、景行天皇は倭建命に比比羅木之八尋矛を授け、吉備臣の祖先である御鋤友耳建日子をお伴とし、重ねて東方の蛮族の討伐を命じる。倭建命は再び倭比売命を訪ね、父天皇は自分に死ねと思っておられるのか、と嘆く。倭比売命は倭建命に伊勢神宮にあった神剣、草那藝剣(くさなぎのつるぎ)と袋とを与え、「危急の時にはこれを開けなさい」と言う。

日本書紀

当初、東征の将軍に選ばれた大碓命は怖気づいて逃げてしまい、かわりに日本武尊が立候補する。天皇は斧鉞を授け、「お前の人となりを見ると、身丈は高く、顔は整い、大力である。猛きことは雷電の如く、向かうところ敵なく攻めれば必ず勝つ。形は我が子だが本当は神人(かみ)である。この天下はお前の天下だ。この位(=天皇)はお前の位だ。」と話し、最大の賛辞と皇位継承の約束を与え、お伴に吉備武彦と大伴武日連を、料理係りに七掬脛を選ぶ。出発した日本武尊は伊勢で倭姫命より草薙剣を賜る。

最も差異の大きい部分である。『日本書紀』では兄大碓命は存命で、意気地のない兄に代わって日本武尊が自発的に征討におもむく。天皇の期待を集めて出発する日本武尊像は栄光に満ち、『古事記』の涙にくれて旅立つ倭建命像とは、イメージが大きく異なる。

古事記

倭建命はまず尾張国造家に入り、美夜受比売(宮簀媛)と婚約して東国へ赴く。

日本書紀

対応する記述は存在しない。


 古賀宗一の家を訪れた捜査官たちは、彼がヤマトタケルの伝説を現実のものとしようとする異常な願望を抱いていることを突き止めた。さらに、彼の家には、ヤマトタケルの伝説に関連する古代の遺物や武器が多数保管されていた。特に、吹き矢の矢じりと同じ模様が刻まれた武器が発見されたことで、古賀宗一が龍子殺害に関与している可能性が高まった。


決定的な証拠は、龍子が最後に訪れた屋台の店主の証言によって提供された。その証言によれば、龍子と話していた男は、古賀宗一その人であることが判明した。彼は伝説を狂信的に信じ、龍子をヤマトタケルの伝説に捧げる生贄として選んだのだった。


事件の全貌が明らかになったところで、北島たちは古賀宗一を逮捕するため、古賀家に踏み込んだ。家の中には、古代の儀式を再現するための異様な道具が散乱しており、彼がいかに危険な存在であったかが一目で分かった。


最終的に、古賀宗一は逮捕され、自らの狂気に囚われた彼は全ての罪を認めた。彼の異常な信念が招いた悲劇により、草薙市は一時的に混乱に陥ったが、事件が解決されたことで市民たちは再び平穏を取り戻すことができた。


赤澤龍子の死は、ヤマトタケルの伝説を巡る謎と狂気が交錯する事件であったが、その真相が明らかになったことで、草薙市に再び平和が訪れた。ヤマトタケルの伝説は、これからも語り継がれるだろうが、そこにはもう恐怖ではなく、ただの神話としての一面だけが残ることとなった。


 古賀宗一は、逮捕される直前に警察の包囲をかいくぐって逃げ出したんだ。でも、逃げた先を読んでいた桂田由美が、しっかり待ち伏せしていて、すぐに逮捕したんだ。古賀は逃げ切ったと思っていたけど、結局は桂田の読みが勝って、あっさり捕まっちゃったんだよ。

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ESCAPE⑥ 草薙市連続殺人事件 犠牲者4人 鷹山トシキ @1982

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