第7話 マルチンスペルタ
朝日は長年の夢であったドイツ旅行にようやく出かけることができた。歴史と文化に溢れたドイツの地を巡る旅は、彼にとって新たな発見と興奮に満ちていた。ミュンヘンからベルリン、ハイデルベルクまで、彼は数々の名所を訪れ、その美しさと荘厳さに心を打たれた。
しかし、その旅の中で、彼は思いもよらぬ怪異に遭遇することとなる。
ドイツ滞在中、朝日は現地の人々から「マルチンスペルタ」という不思議な名前を耳にした。古書を調べた結果、その名は、ある古い伝説に基づくものであり、地元の人々の間では恐れられている存在であった。醜い老婆に扮し白い衣服を纏い、木靴を履いて農家のあちこちを徘徊する。良い子にはリンゴやクルミ菓子を与え、悪い子は鞭で叩くらしい。
**「マルチンスペルタ…」**
彼はその名を何度も反芻したが、何か言いようのない不安が胸を締め付けた。
現地の人々の話によれば、マルチンスペルタはかつて存在したとされる中世の村に由来し、その村を守護するために召喚された古代の怪異であるという。マルチンスペルタは、村を脅かす外敵から人々を守るために現れるが、同時にその力は非常に危険であり、時に無差別に人々を襲うことがあるとされた。
この伝説に興味を抱いた朝日は、マルチンスペルタの正体を探るべく、さらに詳しく調べることにした。
ある晩、朝日はドイツ南部の小さな村を訪れていた。その村は観光地としては知られていなかったが、美しい自然に囲まれており、静かな時間を過ごすには最適な場所であった。彼はこの村でマルチンスペルタに関する手がかりを探そうと、古い教会や資料館を巡り始めた。
夕方になり、村の古い酒場で地元の住民と話していたところ、ある年配の男性が朝日に近づいてきた。その男は低い声でこう語った。
**「マルチンスペルタに関心を持つとは、よほどの勇気があるな。しかし、その名に触れることは、同時に危険を呼び寄せることでもあるのだ」**
その言葉に興味を抱いた朝日は、さらに話を聞こうとしたが、男はそれ以上語ろうとせず、酒場を後にした。
その夜、朝日は宿泊先のホテルに戻り、窓の外を眺めていた。村の静寂が広がる中、ふと遠くの森から不穏な気配を感じた。冷たい風が吹き抜け、彼の背筋に寒気が走った。
**「まさか、これが…」**
彼はその瞬間、マルチンスペルタの存在を強く意識した。何かがこの村で彼を待ち受けているような気がしてならなかった。
翌朝、朝日は村の奥深くにある森へと足を運んだ。そこには、かつてのマルチンスペルタの村跡があると言われていた。村の住民たちにとっては立ち入りを避ける場所であり、誰も近づかないという。
森の中に入ると、周囲は急に薄暗くなり、朝日は一瞬立ち止まった。木々の間を歩き進むうちに、彼はふと異様な光景に出くわした。古びた石碑が苔むした地面に立ち、そこに何かが刻まれていた。彼は近づき、石碑に刻まれた文字を読み取ろうとした。
**「ここに…マルチンスペルタが眠る…」**
その言葉を読み終えた瞬間、森の奥から低い唸り声が聞こえてきた。朝日は驚き、振り返ったが、そこには何も見えなかった。だが、その不気味な唸り声は次第に大きくなり、彼の周囲を取り囲むように響き渡った。
突然、地面が激しく揺れ、木々がざわめき始めた。そして、暗闇の中から巨大な影が現れた。マルチンスペルタの姿が、朝日の目の前に迫っていた。彼はその圧倒的な存在感に息を呑んだ。
**「これが、伝説の怪異…マルチンスペルタ…」**
彼は恐怖と驚きで動けなくなりそうだったが、何とか冷静さを保とうと必死に考えた。この怪異をどうやって退けるのか、何がこの現象を引き起こしているのか。彼は手にしていたガイドブックを開き、何か手がかりがないかを探った。
マルチンスペルタは徐々に朝日に近づいてきた。その姿は漆黒の霧に包まれた巨大な獣のようであり、目には見えないが、感じるだけで強烈な恐怖が襲ってきた。
朝日は必死にその場を離れようとしたが、足がすくんで動けなかった。怪異はますます近づき、朝日はついに恐怖で意識を失いかけた。しかし、その瞬間、彼の手に握られていたガイドブックが光り出した。
**「これは…」**
朝日は直感的に、その光がマルチンスペルタを退ける鍵だと感じた。彼はガイドブックを掲げ、その光を怪異に向けた。すると、マルチンスペルタは一瞬怯んだように見え、唸り声が静まった。
**「逃げるんだ…今しかない!」**
彼はその場を駆け出し、森の出口へと向かった。背後でマルチンスペルタの姿が次第に消えていくのを感じながら、彼は何とか森を抜け出し、無事に村へと戻ることができた。
朝日はこの出来事を決して忘れないだろうと心に誓った。ドイツの旅は、彼にとって単なる観光以上の意味を持つものとなった。マルチンスペルタの伝説は、確かに恐ろしいものであったが、それを乗り越えたことで彼は一回り成長したように感じた。
彼はドイツを後にし、再び日本へと戻ることにした。彼の心には、あの森での出来事と、ガイドブックが光り輝いた瞬間が深く刻まれていた。いつか再びドイツを訪れることがあったとしても、彼はもう一度あの森に足を踏み入れることはないだろう。だが、その経験は彼にとって、これからの人生を切り拓くための力となるに違いなかった。
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