⭐︎Endless(永遠にループする、真夏の八分間)

 1

「うげー…、まじかぁ…」


 冷凍庫を覗き込み、溜め息を吐く。口から漏れた生温い息は、氷点下の極寒に触れてその温度を急速に低下させながら、乱雑に積まれた保冷剤に降りかかる。

 こんなに冷えているのに。

 見間違いを期待して、再び覗き込む。


 やはり、アイスは溶けていた。


 力が抜け、腕がだらりと垂れ下がる。気落ちし、部屋の蒸し暑さを思い出したのか、全身の毛穴からじわりと汗が滲み出る。崩れ落ちた膝が、床にじっとりと貼りついた。


 2

 スマホで調べたところ、どうやら、水が零度からマイナス十度程度で凍るのに対し、乳脂肪分の多いアイスが凍る温度は更に低いマイナス十五度程度らしい。その差が原因となり、アイスだけが溶けた。

 なるほどな、と納得し、床についたままの膝を打つ。開けっ放しの冷凍庫の前で座り込んでいるせいだろう、冷気を浴びて、理性が戻りはじめていた。

 首筋にまとわりついていた不快なベタつきが消え、汗がひいていくのを感じる。

 あゝ、涼しい。

 ずっとこのまま、ここで過ごしたい。そう思ったあとで、こんなことしてたからアイスは溶けたんだな、とぼんやり理解した。


 エアコンのリモコンを取り、「電源」をもう一度押してみた。やはり反応はない。筐体の通気口は無音のまま、素知らぬ顔で俺を見下ろしている。今朝の電話によれば、修理業者が到着するのは明日になるという。

 冷凍庫を一歩離れれば、熱気が見えない布団となって、頭から足先まで包んでくる。明日までこの状態か。想像だけで、全身が茹で上がった。到底耐えられない。

 よし、と立ち上がる。冷気で一時的に回復した、冴えた頭で結論を導き出した。

 コンビニでアイスを買い込もう。

 

 3

 やっぱり外に出るんじゃなかった。


 アパートを出て、二秒で後悔した。

 部屋の中が蒸し風呂なら、外はまるで灼熱地獄だった。とにかく暑い。暑さで遠近感が狂ったのか、天高く昇っている筈の太陽が、やけに大きく映った。頭上から降り注ぐ光と熱は、遮られることもなく、無防備に晒した肌を、容赦なくジリジリと灼いていく。

 更に、一軒目に訪れたコンビニでアイスが品切れとなっていたことが、後悔に拍車をかける。「現在、入荷待ちです」の札が並ぶ棚は壮観で、一周回って、笑いが込み上げてきた。ついてなさすぎる。乾いた笑みを浮かべ、自分の汗でできた水溜りで足を滑らせそうになりながら、コンビニをあとにする。


 4

 スマホに通知が来たのは、二軒目のコンビニを目指して、とぼとぼと歩き始め、五分ほど経った頃だった。

 ピコンという音で、画面を確認する。十五時十七分と時刻が表示され、その下で、後輩からのメッセージが眩しく輝いている。


「先輩がオススメしていたアイス買いましたよ!めちゃうま」


 バナーを押し、アプリを開く。メッセージと一緒に、アイスの写真が投稿されていた。

 写っていたのは、程よい甘さのバニラアイスを、パリパリとしたチョコで包んだ、食感と味の変化が楽しい、棒アイスの傑作だった。羨ましすぎる。

 今の俺にとって、喉から手が出てスマホに掴みかかり、スマホごとアイスの写真に齧り付いてしまいそうなほどには、魅力的な代物だった。写真を視界に入れないよう、なけなしの理性で画面をスクロールする。後輩とのやり取りが、過去へ、過去へと遡っていく。


「先輩!この映画、今度いっしょに観に行きませんか?」


「先輩って、彼女いますか?」

 

「先輩が面白いといってたNetflixのドラマ観ました!また語りましょ」


「この講義ですけど、単位取りやすいですか?」


「この間の飲み会では助けていただき、ありがとうございました!」


 サークルの後輩である彼女は、不思議と俺を慕ってくれ、頻繁にメッセージを送ってくれた。趣味が合ったことも大きいのだろう、話がとても弾み、夜通し語らうこともしばしばあった。

 彼女の溌剌とした笑顔を思い出す。きっと、彼女の恋人、彼女に好いてもらえる人間はすごく幸せなんだろうな。

 少し歩いて、らしくないことを考えた自分に気づき、ぶんぶんと頭を振る。髪が揺れ、汗が毛先から飛び散った。

 視界が揺れるなか、ふと、違和感に気づく。あれ?なんで?


 ピコン。


 スマホの通知が鳴った。


 画面に、後輩のメッセージが表示される。


「先輩がオススメしていたアイス買いましたよ!めちゃうま」


 時刻は、を示していた。


 5

 何度かの検証を経て、確信した。

 俺は、している。


 十五時十七分ちょうどから始まり、十五時二十五分になる寸前で、十五時十七分に戻る。そのを永遠に繰り返していた。


 後輩に薦めた映画を思い出す。たしか、上司の後悔が引き金となり、社員全員が同じ一週間をループするという映画だった。

 他のループものの映画はどうだったか。

 総じて、永遠に留まりたい輝かしい日々としてループに留まるものや、過去の未練の払拭や本心を発露することでループから抜け出すものが多かった。


 俺はどちらでもない。

 こんな灼熱地獄で永遠に過ごしたいわけでも、エアコン以外で悩みがあるわけでもなかった。

 おそらく、別の誰かを原因とするループに、最悪のタイミングで巻き込まれてしまったのだろう。

 溜め息をつくと同時に、ピコンと通知が鳴り、またしても十五時十七分へと戻された。

 美しい時間を保存し、あるいは、殻を破るまでの時間を引き伸ばしてくれるループは、いわば、"時間の冷凍庫"だろう。

 では、その"時間の冷凍庫"に、異物として紛れ込んだ俺は、一体なんなのだろうか。

 頭に浮かんだのは、溶けて崩れたアイスの姿だった。


 走っても。


 ピコン。


 自転車を借りても。


 ピコン。

 

 八分間では時間が足りなすぎる。何度試しても途中で振り出しに戻され、コンビニには辿り着けなかった。

 誰かのループに巻き込まれ、灼熱の時間に取り残され、お目当てのアイスは永久に手に入らない。

 相次ぐ不運に、すでに水分を失ってカラカラに乾涸びていた心はポッキリと音を立てて折れ、折れた先から砂塵のように崩れると、風に吹かれて何処かへ散って行った。


 6

 ピコン。



 ピコン。



 ピコン。



 ピコン。



 ピコン。



 何度繰り返しただろう。

 相変わらず、全身を灼かれていたが、不思議と心は穏やかになっていた。

 悟りだろうか。

 ジー、ジーと蝉が鳴いている。最初は五月蝿いと感じていたが、今は違う。

 蝉は、地上に出てから、七日間という僅かな期間で死ぬ。その短い生にとって、ループは神からの恩恵ではないだろうか。

 また、ループを起こした、何処かの誰かのことを考える。

 その誰かにとっても、このループは大切な時間だろう。その誰かが、悔いのない選択をできることを、幸せになることを、心から願うことができた。

 

 まあ、贅沢をいえば、アイスを食べたかったが。

 そう思ったところで、おや?と視線に気づく。

 見上げて、声が出た。


「あ!」


 7

「いやー、まさか後輩のマンションの真ん前だったとは。本当に助かった。ありがとう」


 おかげで、念願のアイスを口にできた。沁み渡る。

 だが、後輩の様子がどうもおかしい。緊張しているのか、表情が固く、頰が紅潮している。

 後輩は、ギュッと目を瞑り、深呼吸をすると、意を決した表情で、口を開いた。


「あの、私、実は先輩のことが…」


 口の中で、バニラアイスとチョコが絶妙に調和し、甘みが全身に広がっていく。

 時計の針は、十五時二十五分を指すと、止まることも、戻ることもなく、そのまま未来さきへと進み続けた。

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