⭐︎Closed circle(閉ざされた雪の山荘)

 1

「外は物凄い吹雪だ。警察がこの山荘に到着するまで、まだ数日は掛かるな」


 帰還するなり、赤井敏弘は報告した。肩に積もった雪が、気候の激しさを如実に語っている。尋常でない寒さだったのだろう。ダウンを羽織り、暖炉にあたっているにも関わらず、赤井敏弘の手は小刻みに震え続けていた。

 暫くはこの山荘に閉じ込められたままか。溜息が漏れる。部屋の中に、重苦しい空気が立ち込めていた。

 溜息の理由は吹雪だけではない。

 山荘に居る六人全員の視線が、リビング中央の一点へと注がれる。

 視線の先には、死体があった。


 死体は長い髪を広げ、うつ伏せで倒れていた。彼女の名は、赤井咲子。赤井敏弘の五つ歳下の妻だ。俺たちと同様に登山を目的にこの山荘に宿泊し、そして、死んだ。


 赤井咲子の目は、大きく見開かれていた。辺りには何故か鏡が散らばっており、あらゆる角度から壮絶な最期を映している。

 最期に何を見たのか。その瞳は、引き摺り込まれそうなほどに暗かった。

 背中の刺し傷から垂れた血が、床を赤黒く染める。

 明らかに、誰かに殺されていた。

 

「吹雪で出入り不可ってことは、殺人犯もまだこの中にいるってことですよね?警察が来るまで、どうすれば…」


 女子大生の白木雪美が、今にも泣き出しそうな声をあげる。同級生の黒田豆子が、彼女を抱きしめ、頭を撫でる。

 その様子を、三十年連れ添った妻を奪われた赤井敏弘が、虚ろな目で眺めていた。


 もう限界だった。俺は全員を見回し、宣言する。


「殺人鬼がいるのに一緒にいられるか!自分の部屋に帰るぜ!」


「待ってください。殺人鬼が怖いのはわかりますが、パニックは駄目です。落ち着きましょう」


 眼鏡の若者、霧崎大蔵きりさきたいぞうが制止する。その手には血の付いた包丁が握られ、長い舌が蛇のように艶かしく揺れていた。

 俺は叫ぶ。


「お前も怖いんだよ!!」


 2

「まず、昨夜の状況を整理しましょう」

 霧崎太蔵が刃物を振り、会話を回す。


「なんで凶器を持ってるやつが仕切ってるんだよ」


「そうですね。

 例えば、誰かが素人探偵の真似事をしたと。そして、運良く犯人を突き止めた。

 しかし、そのとき武器がなければ?犯人が返り討ちにしてお終いです。

 警察のいない状況で、武器なき正義に価値などないのです。

 つまり、現状で最も探偵に適しているのは、凶器をもった私ケヒャね」


「なんで刃物持ってるケヒャリストが理路整然と喋るんだよ」


「ケヒャリストと論理性は相反する概念ではありませんが?」


「くそ、論破された。どうみても犯人なのに」


「『どうみても犯人』。嫌な誤解ですね」。桐崎大蔵が顎に手を当てた。


「私のアリバイを証明できる方…。青山さん、いかがです?」


「ヒェッ…」


 突然包丁を向けられた大学生、青山海人の目が激しく泳ぐ。汗がとめどなく流れていた。


「ヒェッ…霧崎さんは…二階の僕の部屋で一晩中恋バナしていまひた」


「そうですね。青山さんの白木女史への秘めた恋は誰にも言いませんよ」


「言論統制すぎる」


 桐崎大蔵は、ツッコミを無視し、満面の笑みで頷く。解放された青山海人は急激に老け込んでいた。


「ご覧のとおり、私は潔白です。それでは状況整理を続けましょう」


 霧崎大蔵は事情聴取を再開し、包丁を向けられた各々が「ヒェッ…」「ヒェッ…」の悲鳴に続け、昨夜の状況を説明していく。


 3

「つまり、赤井敏弘さんは午前0時頃に赤井咲子さんと離れ、それ以降は朝まで二階で白木雪美さん、黒田豆子さんの相部屋にいた、と」


「ああ。儂が相談した。『妻と喧嘩した。仲直りするにはどうすればよいだろう』と。女性の気持ちは女性に訊くのが一番だからな。

 深夜なのに親切だったよ。

 今朝には仲直りする筈だったのに…。どうして…」


 赤井敏弘の目から涙が零れた。


「生前の彼女の姿を最後に見たのは…」


 霧崎大蔵の言葉とともに、視線が一斉に俺へと向く。


「午前4時頃かな。二階の自部屋で寝てたんだが、扉を叩く音がして。扉を開けると、彼女の姿が見えた。

 後ろ姿だけだったが、長い黒髪だからな。白木さんはショートで、黒田さんは茶髪。

 確実に赤井咲子さんだった」


 記憶を辿り、俺は答える。


「なるほど。そして、午前7時に一階のリビングに降りてきた白木さんが死体を発見、と」


 白木雪美が、辛い記憶に顔を歪めながら頷く。


「まとめると、赤井咲子さんは二階で目撃された午前4時頃から午前7時までの間に殺害された。

 この間、赤井敏弘さん、白木雪美さん、黒田豆子さん、そして、恋バナをしていた私と青山海人さんは、アリバイが証明済みです」


 沈黙ののち、再び全員の視線が俺に向く。先ほどと異なり、警戒と疑念が混ざっていた。霧崎大蔵の手の中で、包丁が煌めいた。


 4

「ヒェッ…違うぞ、俺は犯人じゃない」


「お前が殺したのか!?台所の床に落ちていた包丁を使って!?外道!」


 誤解を解く暇もなく、赤井敏弘が掴みかかる。その瞳は、激しい怒りに燃えていた。


「まだ整理の途中ですよ」


 霧崎大蔵が包丁を見せ、赤井敏弘を止めた。まさか、ケヒャリストの包丁に命を救われるとは。


「死体周辺の鏡が気になります。実はあそこで妙な物を見つけまして」


 そういうと、霧崎大蔵は俺の部屋の前廊下を包丁で指し示し、鞄から何かを出した。


「鏡だ」


 一同に頷き、霧崎大蔵は白木雪美に質問と包丁を向ける。


「昨夜、赤井さんが部屋から出た時はありましたか?」


「ヒェッ…そういえば、本当に一瞬ですけど。午前4時頃に」


 白木雪美に代わり、黒田豆子が答えた。


「おい!嘘を吐くな!」


 赤井敏弘は怒りに震え、唾を飛ばす。


「生前の赤井咲子さんが最後に確認されたのも同じ頃でしたね。

 そして、一階から二階まで散乱する謎の鏡。

 この鏡を上手く反射させれば。

 一階の彼女の死体を、二階の廊下に映せるのでは?」


 霧崎大蔵の包丁が赤井敏弘に詰め寄った。


「儂を疑うのか!?証拠は?」


「貴方の言葉で不可解な点が。

使』。

 なぜ、凶器が床に落ちていたことを知っているのです?」


 赤井敏弘の顔から血の気が引いていく。


「もう一つ。

 山荘に戻って以降、貴方は頑なにダウンを脱ぎませんね。そして、暖炉にあたっているのに震え続けている。

 貴方、ダウンの下に外へ出て、それを脱ぎ捨てて帰ってきたのではないですか?

 今、ダウンの下は裸なのでは?」


 赤井敏弘は沈黙を貫いた。しかし、霧崎大蔵の包丁はそれを許さない。ダウンを切り裂き、隠された真実を白日のもとへと曝け出した。


 5

「邪魔な犯人も捕まり、一件落着ですね」


 抵抗した赤井敏弘だったが、拘束されて柱に縛られていた。

 安堵の空気が広がるなか、俺の中で一つの懸念が生まれていた。


 霧崎大蔵は言った。


『現状で最も探偵に適しているのは、凶器をもった私ケヒャね』


 たしかに、状況整理も、事情聴取も、暴動の制止も、推理も、犯人拘束も、いずれも凶器がなければ、これほど順調には進まなかっただろう。

 なぜなら、俺たちは刃物の前になす術がないからだ。


 では、刃物を手にした探偵が誤ったとき、或いは、意図的に凶行に及ぶとき、無力な者はどう対抗できるのだろうか。


『おい!嘘を吐くな!』


 赤井敏弘は、そう叫んでいた。

 赤井敏弘は本当に犯人なのだろうか。

 刃物で脅された証言の信憑性はどれ程なのだろうか。


 霧崎大蔵の目が捕食寸前の爬虫類のように妖しく輝いた。


「皆さん、


 長い舌から涎が落ちる。その手には、まだ、血塗られた包丁が握られていた。

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