4、

「お誕生日おめでとう、フリッカ」


 パパリーノとママリエンヌが笑顔で拍手をしてくれた。

 近くに控えていた専属料理人や執事、侍女たちも揃って祝いの言葉をかけてくれた。


 今日は私の8歳の誕生日だ。



「パパ、ママ、ありがとう。大好きよ。それに……屋敷のみんなもありがとう。とっても嬉しいわ!」


 肩下まで伸びた淡い金髪は、薄緑のワンピースと相まって控えめな主張で私のかわいらしさを引き出してくれる。

そして、ぱっちりと開いた目は前世と同じブーゲンビリアの色。


 20歳の天才美女に負けず劣らずかわいく育った8歳の美少女は、長テーブルに並べられている豪華な料理に舌鼓したつづみを打った。



 この8年間。私はさまざまなことを学び、理解した。


 まず、今の私はミドガルズ帝国西部の山間に領地を持つ子爵パパリーノ・フォン・フェンサリルの一人娘である。


 フェンサリル家の領地は他の子爵家に比べても狭く、貴族と言われて想像するような豪奢な暮らしとは無縁の生活を送っていた。

 この邸宅も、伯爵や侯爵が別荘地に持つマナーハウスと同じ規模である。


 領地内の集落はひとつのみ。そこで生活する民と作物を分け合い小さな森を管理している。


 出世欲の強い貴族たちとは異なり、パパリーノは穏やかな性格で、今の慎ましい生活で満足しているようだった。


 ちなみに私が生まれた当初、パパとママから贈られたロシナンテという名前。両親が愛情を込めてつけてくれた名前ではあるが、諸事情を考慮して前世の名前を取り戻すことにした。


 パパの美術品収蔵庫から水晶玉を持ち出した私は、子ども部屋の窓際で太陽光を収れんさせて自室の床に“神託”を焼き付けた。



『ロシナンテは選ばれし娘である。愛と豊穣を意味するフリッカという名を与えよ。さすれば娘は幸福を授かる』



 それっぽい雰囲気を演出するために古代帝国語で書いた。


 こんなかたちで前世の知識が役立つとは思わなかったけど、それを見たパパとママは「神様が娘を祝福してくださった」と抱き合って涙を流した。


 それが3歳のときのこと。

 以来、私はフリッカ・フォン・フェンサリルとしての人生を送っている。



「フリッカ。誕生日プレゼントは何がいい? 好きなものを言ってごらん」

「私、街道沿いのバザーで本を買いたいわ!」


 娘を抱きしめ頬ずりするパパに、わたしは元気よく答えた。


 街道と街道が交差する十字路では、書物や葉巻、茶葉といった趣向品を扱う大型バザーが頻繁に開催されている。

 街道沿いで開かれるバザーには他国の商人も露店を出すことが許されている。

 そして、その中には古書店もあるはずだ。


 前世で住んでいた都市連邦バナヘイムでは、売れない学者が書店主に才能を見出されて出版社と繋いでもらうケースがあった。

 

 そう、私の狙いはバザーに出店しているバナヘイムの書店商に「論文を見てもらう」ことにあるのだ!


 8歳にしてすでにえまくっている私の頭脳はとどまることを知らない。先日、『領地運営にみる領主のカリスマ性』と題する論文を書き上げてしまった。


 このテーマの着想は、2つ隣にある領地主がたまげたイケメン子爵だったことによる。


 そのイケメンが領主に着任してからというもの、先代のときと比較して領地の取れ高および収入が倍以上になったという小話を、フェンサリル領の集落長が私に聞かせてくれたのだった。


 まあ完成までの詳細は省くが、用意できる参考書も、見聞きできる情報にも田舎特有の制限があったにも関わらず、なかなかに奇抜な仕上がりとなった。我ながら恐ろしい才能だと思う。


 早速、我が家を訪れる書物商や家庭教師に見せたのだが、


「ここまで文字が書けるとはご令嬢の将来が楽しみですなあ」


 とか、


「難しい言葉を使いたがる気持ちは分かりますが作文は文法に沿って云々うんぬん……」


 とか、寝言っぽいことを言われた。



 こいつら……想像以上に学がない。

 論文を読解するだけの力がないのか……。


 帝国は中心部と地方、さらには領地を運営する貴族の地位によっても領内の教育水準に格差があるのだということを思い出した。


 本当は帝国の首都であるアースガルズに連れていってもらいたいのだが、なにせフェンサリル領ここは山の中。都会まではかなりの距離があり、もう少し成長するまではお預けだとくぎを刺されている。


 というわけで、先ほどの「バザー行きたい」発言に至る。


 バナヘイムは大陸でもっとも教育レベルが高い国なので、同国の商人であれば私の論文の素晴らしさが分かるかもしれない。


「フリッカは聡明だな。じゃあさっそく連れて行ってあげよう」

 

 それに、前世の私――フリッカ・コロンナはバナヘイム国内ではそれなりに有名だった。もしも死んでいるのであれば、バナヘイムの人間が知っている可能性が高い。


 それも確かめてみたかった。



 ◇



 その日のバザーでは飲食物が多く取り扱われていて、珈琲コーヒーやチョコレートを求める人々で賑わっていた。

 パパも「最近貴族の間で珈琲が流行っていてね。ちょっと飲んでみようかな」などと興味深げに品々を眺めている。


 私はパパの目を盗んで、すぐ傍の露店に近寄っていった。


 その店の商人は多くの書籍を並べていた。



「おじさん、バナヘイムの人?」

「うん? 貴族の娘さんか。帝国人なのにバナヘイム語が話せるのかね」

「ママがバナヘイム人なの。ねえ、これ読んでもらえる?」

「えっと……これは帝国語の論文かい?」


 おじさんは眼鏡をかけて論文に目を通していく。

 「ほお、なるほど」と相づちを打ちながらサラサラと紙をめくった。


「これはすごい! 良く書けていると思うよ。お嬢ちゃんの知り合いが書いたのかな」

「うん。おじさん、出版社にこの論文を紹介してもらえない? これを書いた人が本にしたいって言ってるんだけど」


 書物屋のおじさんは突然のお願いに戸惑った様子だったが、気の毒そうな顔をしてこう続けた。


「それはできない」

「えっ、なんで?」

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