3、

 その日のバザーでは飲食物が多く取り扱われていて、珈琲コーヒーやチョコレートを求める人々で賑わっていた。


 パパも「最近貴族の間で珈琲が流行っていてね。ちょっと飲んでみようかな」などと興味深げに品々を眺めている。


 私はパパの目を盗んで、すぐ傍の露店に近寄っていった。

 その店の商人は多くの書籍を並べていた。


「おじさん、バナヘイムの人?」

「うん? 貴族の娘さんか。帝国人なのにバナヘイム語が話せるのかね」

「ママがバナヘイム人なの。ねえ、これ読んでもらえる?」

「えっと……これは帝国語の論文かい?」


 おじさんは眼鏡をかけて論文に目を通していく。

 「ほお、なるほど」と相づちを打ちながらサラサラと紙をめくった。


「これはすごい! 良く書けていると思うよ。お嬢ちゃんの知り合いが書いたのかな」

「うん。おじさん、出版社にこの論文を紹介してもらえない? これを書いた人が本にしたいって言ってるんだけど」


 書物屋のおじさんは突然のお願いに戸惑った様子だったが、気の毒そうな顔をしてこう続けた。


「帝国の出版物は全て皇宮こうぐうの許可が必要なんだ。他国の人間はどうにもできないんだよ」

「えっ、そうなの!?」


 確かに帝国は典型的な権力集中型の国だけど、出版や新聞の発行に関しては領地ごとに定められるんじゃなかったかしら?


「まあ、偉い貴族様が治めている地域だと、領主の考え次第で自由に本が出せるんだけどね」


 ああーーーーっ。


 辺境伯以上の爵位がある領主じゃないと出版の裁量権が与えられない……って、確かどこかで読んだ気がする。


 さすが帝国。身分が全てを決める国。


 でも、これじゃあ本が出せないわ。

 どうしよう。


 おじさんが再び露店の店番に戻ろうとする。

 私は慌てて再び声をかけた。


「待って! ピンク色の髪をした若くてかわいい学者さんを知らない? バナヘイム人らしいんだけど、一度でいいから会ってみたいの」

「若くてピンク色の髪をした学者……?」


 不安になった私はもう少し詳細な説明をつけ加えた。


「確か、成文法を比較する視点が画期的だった『人に供する国――都市連邦バナヘイムに見る共同体のあり方』っていう論文を書いて注目された人で、若くてかわいくて実力も兼ね備えてて……」


「君、8歳で論文読んでるの!?」


 ちょっと情報開示が的確すぎたかもしれない。反省しよ。


 おじさんは疑わしい目で私のことを見ていたが、「ああ、もしかして8年前の事件か……」と呟いた。

 表情に陰りが見られる。


「コロンナ元大将の娘さんの話かな。若い学者さんだったけどだいぶ前に街中で強盗に殺されてしまったんだよ。かわいそうにね」



 コロンナ元大将とは、前世のパパ――ステファーノ・コロンナのことだ。

 パパはバナヘイム軍の軍人だったけど、私が大学に入る前に退役している。


「……そうなんだ。教えてくれてありがとう」


 小さい声でお礼を告げて、私は今世のパパの元へ戻った。



 やっぱり私は殺されていたんだ。

 気持ちは複雑だけど、分かっていたことなので改めて落ち込むほどじゃない。



 今の私はフェンサリル家の娘として生きている。

 前を向きましょう。



 それよりも、このままだと私の論文が世に出せないことのほうが問題だわ。


 帝国の国家体制に問題があるとなるとすぐにどうこうできる話じゃない。

 パパに相談したところで解決に結びつくとは思えないし……。


 やっぱりゲオルグの力を借りたいな。


 行政や法律への造詣ぞうけいが深い彼なら抜け道を知っているかもしれない。



 とはいえ、私が死んでから8年。


 彼と私の関係が断たれてから8年が経過しているわけで。

 一般的には、8年も会わない相手との間柄を“親密な関係”とは言わない。


「私のことを忘れていてもおかしくはないわね」


 プロポーズしてくれたといっても実際に結婚したわけでもない。

 もしかしたら……別の誰かと結婚しているかもしれないし。


 彼がどこかで幸せに暮らしているかもしれないと思うと、無性に寂しくなってしまう。

 それは歓迎すべきことであるはずなのに。


 

「こんな弱気になるなんて……私らしくないわ」


 気合いを入れ直そうと、私は自分の両頬をパチンと叩いた。


「そんなのは会ってから考えればいいことよ。実際に会えるかどうかも分からないんだから、まずは行動を起こす準備をしないと」


 どこに行けば彼に会えるのか。

 その情報収集をしなければならない。

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