23、創世神話(ゲオルグside)
不機嫌が最高潮に達する。
不機嫌なだけではない。ありとあらゆる負の感情が自分の内で渦巻いている。
今日の舞踏会に参加することを彼女と約束した。
だから公務の調整を重ねて開始時刻に間に合うように出発するつもりだった。
それなのに、よりにもよって当日。
急遽上がってきた報告に俺は眉を寄せた。
未だ国内に残る「懐古主義派」。
その一派が動き出したという。
最近は動きがなかったので油断をしていたが、まさか今日になって再び動き出すとは思っていなかった。
懐古主義派は身分の高さを絶対的な価値とし、貴族の純血を信奉する。
騎士男爵家や平民は貴族に従うために生まれてきたという過激思想の集団だ。
先代皇帝を倒した動乱でも苦戦させられたが未だ国内に生き残りがいる。
急遽軍を差し向け、南方にある懐古主義派のアジトを潰したとの報を受けたのがつい先ほどのこと。
本来であればこの後、参謀や司令官と作戦会議を行う予定だったが全て踏み倒した。
「おい、もっと速くできないのか」
怒りを抑えて御者に指示する。
焦っても仕方がない。
それでも
懐古主義派の中に、神話時代への回帰を訴える一派がいる。
その主力ではないかと疑われているのが、エルム公爵家だった。
帝国内でもかなりの権力を持つ歴史ある家柄で、代々皇宮官僚を多く輩出している。
自領内に優秀な人材を引き込み、先進的な領地運営を行う。
その広大な領地は帝国の中に存在するもうひとつの国家のようだと称されていた。
先日、フェンサリル子爵家令嬢が帝国図書館に赴いたとの報告を受けた。
同じタイミングで別の諜報兵からエルム家の三男も図書館にいたと聞いて、嫌な予感がした。
事前にテューリンゲン公爵から提出させた舞踏会の出席者一覧。
そこにもやはり同じ男の名前がある。
我慢の限界だった。
立ち上がり、御者に声をかける。
「馬車を止めろ」
皇帝の命令は絶対だ。
疑問を差しはさむ余地もなく、後続の馬車も含めて全てが停車した。
「ここまででよい。馬を貸せ。俺自身で駆ける」
御者は顔を真っ青にしながら馬を準備した。後で処分されると思っているのかもしれない。
そんなつもりはないが、今はあの娘以外に気を配る余裕などない。
「陛下。お供します」
後ろの馬車からヘイムダルと数名の近衛兵が参じた。
「頼む。それとヘムは俺の槍を持て。……万が一、何かあったときのためにな」
◇
『偽りの創生神話』
バナヘイムの天才、フリッカ・コロンナが出版しようとしていた論文だ。
俺は生前の彼女からその草稿を渡され目を通していた。
彼女が殺されたのは、その完成論文を出版社に届けにいこうとした朝のことだった。
論文の内容はこうだ。
大陸の人間にとっては常識である、世界を創った原初の樹。世界樹。
人間を作り出したとされるこの世界樹は、存在しなかった。
これまで伝えられてきた神話や世界樹という概念は、古代文明の人々が作り上げたものである。
世界樹と称されたのは、古代文明が発明した地下流動エネルギーの巨大な吸い上げ機器――“ポンプ”と言うらしい――の名称だという。
俺たちが住むこの大陸はかつて、今とは比較にならないほど巨大な岩板だった。
だが、岩板の上にある一部の国が兵器開発のために地下のエネルギーを大量に吸い上げて岩盤が収縮した結果、現在の小さな大陸になったとの仮説が立てられていた。
いずれ全ての資源が吸い上げられてしまうとの危機感を抱いた一部の文明人が、ポンプを樹に模した上で大きな穴の底に隠した。
万が一、誰かがこの場所にたどり着いても、それが“ポンプ”だと分からないように。
そしてさらに、後世に悪用されることのないように創世神話と世界樹の言い伝えを広めていった……というのが『偽りの創生神話』の内容だった。
◇
聞いただけでは荒唐無稽な作り話だと笑われるかもしれない。
フリッカは、このとんでもない仮説を膨大な物証と綿密な仮説の積み重ねによって証明しようとした。
彼女の自宅は扉の外にまで書物が溢れた状態で、論文の完成直前には俺もコロンナ先生も家に入ることができなかった。
また、数日間行方不明になったと思えば、全身が謎の皮膚炎症で真っ赤になりながら帰ってきた。
俺が名前を読んでも答えず、聞いたことのない言語を叫びながら机にかじりついて文章を書き始めた彼女の姿を忘れることはない。
完成した論文を読ませてもらった。
最初に感じたことは“悔しさ”だ。
俺には書けない、と思ったのだ。
それでも、あの膨大な文字列の中に潜む数々の証拠と過去の人々の声、彼女自身の熱狂が目の前に躍り出てきて、俺に怒鳴り立てる。
この事実から目を背けるな、と。
彼女の論に沿えば、転生や生まれ変わりという現象は“堕ちた森”の中で眠る
かつての兵器開発時代の名残で、ポンプは今でも、記憶されている設計図に従って地中エネルギーを変換し、“戦争に役立つ道具”を生み出してしまうことがあるという。
有史以来、前世の記憶を持って生まれてきた人間の例は、大陸に散らばる石碑や文献の中にわずかにだが存在している。
そういう人物は預言者や指導者として祀り上げられることもあるが、一方で“魔女”のような迫害対象とされることもあった。
彼女が自分の前世の記憶についてひた隠しにしてきたのは、こういう背景を理解していたからだろう。
人型(人体)が戦争の道具として認識されていることに不快感は覚えたが、これを読んだ当時の俺の胸の内は非常に複雑で、そんな青臭い感情だけで語れるものではなかった。
傍で彼女を見ていた俺には分かる。
この論文は真実に違いないという確信があった。
ただ、現実としてそれが受け入れられるかどうかは分からない。
一定の信仰を持つ人々からは異端扱いされるだろう。
俺はあのバナヘイムの地で、一度だけ彼女に問うた。
『この論文を出すことで、君は危険な目に遭うかもしれない』
フリッカは聡明な瞳をぱっちりと開いて俺に向けた。
その瞳の色がブーゲンビリアの色に似ていると言ったのは俺だ。
帝国の南部に咲く、鮮やかなピンクの花。
『だとしても諦めたくないの。だって、真実は人に供されてこそ意味があるのよ』
彼女から離れられないと悟った。
この論文に書かれている内容は、率直に言って恐ろしい。
人の手に余る。
俺は恐いと思った。
でも君が、目を背けることもせず素敵な笑顔を見せるものだから。
こんなに美しい人から目を逸らすことなんてできない。
心の底からフリッカを愛おしいと思った。
『分かった。君が危険な目に遭わないように、俺が傍にいると約束しよう』
もう俺には、あの15歳の子爵家令嬢が誰であるかは分かってる。
『陛下の聡明さも、それによって集まった税も、全ては国民に供されるものです』
そんなことを堂々と述べる女性はこの世界でたった一人だ。
そして、そんな彼女の横にエルム家の人間がいるかもしれない。
15年前のバナヘイムで『偽りの創生神話』を書いた彼女が殺され、そして今、懐古主義とつながっている疑いのある男が『偽りの創生神話』の筆者である彼女の傍にいる。
これがただの偶然であるとは思えなかった。
「……間に合ってくれ」
もう二度と約束を破らないために。
焦りながら手綱を握る俺の前に、古めかしくも荘厳なテューリンゲン公爵邸の城塔が見えてきた。
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