22、大帝国の舞踏会

 舞踏会会場であるテューリンゲン公爵邸の巨大な門をくぐる。


「これが公爵家の財力……。まさに別世界だわ」


 気高い騎士と空を駆ける天使たちが描かれている天井は、見上げるだけで首が痛くなる。 徐々に視線を下げれば、花柄モザイクのアーチと大理石の円柱の数々が目に入った。


 ホールの真ん中には多くのろうそくが立てられた真鍮しんちゅうシャンデリアがこの館の主のような表情で人々を見下ろしている。



 で、私はと言えば、重厚な赤色の絨毯を踏みしめながら小鹿のように足をぷるぷるさせてゆっくりと足を運んでいた。


 後続の馬車から降りた生徒や招待客たちはドレスに慣れているため、足取りが軽い。

 ただ、追い越していく際の顔が驚きに満ちているのは私が身に着けているドレスを見たせいだろう。


 腰を絞ったボディラインとパニエによって花のように咲いた三枚重ねのスカート。肩とデコルテは大きく開いて肌を見せ、胸元の繊細なレースの刺繍が目を引く。


 細部にまでレースフリルや宝石があしらわれた、鮮やかな黄色のドレスだった。


 ピンクの髪のポニーテールは前世の私とお揃いだ。

 グナーにも手伝ってもらって、朝に早起きして染めた。


 ちょっと恥ずかしくもあるけれど、こんなに見事で美しいドレスが着られたことは一生の思い出になると思う。

 ゲオルグにはちゃんとお礼を言いたい。



「あの子はどこの家の娘? 見事なドレスを着ているくせに歩き方がひどいわ」


 感慨にふけっていたところへ、さっそく冷笑が聞こえてきた。

 やっぱり帝国の舞踏会ってのは悪魔の巣窟だわ。


 会場にはグナーもいないし、これまで密かに見守ってくれていたヘイムダルもいない。心細い気持ちがないと言えば嘘になる。



『本日から明日の舞踏会までは主の傍にいるため、あなたをお守りすることができません。何もないとは思いますがくれぐれも御用心ください』



昨日、寄宿学校までドレスを届けにきてくれたヘイムダルは心配そうに告げた。いくら腕の立つ彼でも帝国貴族の嫌味までは防ぎようがない。


とはいえ、昨日のヘイムダルは何か気がかりがありそうな様子だったけれど……。




 のしのし歩いている私の前にどこぞの貴族が立ちはだかる。


 ……邪魔よ。

 そう思ってむすっとした顔で相手を見上げる。



「やあ、ご令嬢。また会ったね」



 そこには図書館で見た輝く笑顔があった。

 エルム公爵家ヴェーリル卿。

 白の燕尾服をまとった彼は正真正銘の王子様だった。


「あなた、どうしてここに……」

「それはこちらの台詞だよ。テューリンゲン公爵の誘いにエルム公爵家が出席しないわけはないからね。忙しい兄たちに代わって僕の出番というわけ」


 ヴェーリルは気障きざったらしい所作で私の手を取った。

 周囲から黄色い悲鳴が上がる。


「ヴェーリル様よ。相変わらず格好いい……! 踊る相手は決まっているのかしら」


 なるほど。


 私は瞬時にして理解した。

 公爵家三男。イケメン。人当たりも良い。

 つまり優良物件ということ。


 ここで恨みを買えば明日の私が殺されるかもしれない。

 逃げよう。



「ご令嬢は誰かに誘われて来たの?」

「寄宿学校の生徒と一緒に来たのよ。じゃあ、私は先生に呼ばれているからここで」

「ダンスの相手がいないのなら、私と踊らないかい?」


 ふざけんな。

 周囲の女性たちの視線に殺意が込められるのを肌で感じた。


「いやいや、私のことはお気になさらず」

「結局あれからエルム家別邸にも来てくれなかったよね? ご令嬢とゆっくり話がしたい」


 なおも断る私を、彼は「まあまあ」となだめながら先へと連れて行く。


 ダンスは拒否したいところだけれど、彼が支えてくれたおかげでぷるぷる歩行だった私もメインホールに到着することができた。




 豪華なシャンデリアの下、貴族たちがそれぞれの魅力を最大限アピールするための衣装に身を包んだ舞踏会は、想像以上の喧騒に支配されていた。


 貴族の男性が壁際の女性に話しかけ、ボウ・アンド・スクレイプでその目を奪う。

 葡萄酒ワインを口にしながら、令嬢が彼らからのダンスの誘いを待ちわびる。


 家と家のつながりを保つための結婚。

 その前哨戦が目の前で行われている。


「ご令嬢はこういうかけひきを汚らわしいと思うかい?」


 語り掛けるヴェーリルの手には葡萄酒ワインの入ったグラス。差し出されたそれを受け取って、私は小さく礼を返した。


「思わないわ。そうしないと血筋は維持できないもの。……私は賛同できないだけ」

「ふうん。自分とは異なる考えでも受け入れる度量を持つんだね。やはり面白い人だ」


 大したことを言ったわけでもないのに、ことさら嬉しそうにしているヴェーリルを見て首を傾げた。


「どれだけ文明が発展しても、結局人は原点回帰するんだよ。しょせんは“樹から産まれた命”だからね。自然の掟には逆らえない」


 彼の言葉がぬるりとした生々しさを纏った気がした。

 私は眉をひそめる。


「あなた、それって……」

「太古の生き物だって死に絶えたんだ。それよりもずっと早く死ぬ人間たちがせめて血筋だけでも後世に伝えようと涙ぐましい努力を重ねたところで、私はそれを笑うことはできない」


 明らかに創生神話を意識した発言だった。

 ここが帝都の街中だったら議論に応じてもいいけれど、舞踏会でそんな話題に興じるのはどうなのだろう。


 ヴェーリルは視線を合わせるようにかがんで私の手を取る。


「もっとたくさん話そうよ。私は君のことが知りたいんだ」

「んぎええ」


 だから、その王子様ムーブをやめろ……!


 女子にとって夢のようなシチュエーションだが、非モテには刺激が強い。

 か細い悲鳴を上げた私は、この場を乗り切るためにグラスの中身を飲み干した。


 やっぱり私には舞踏会なんて無理。

 疲労感がすごい。


 そういえば、ゲオルグはいつ来るのかしら。


 皇帝が来たら騒ぎになるはずだけど、まだそういった様子はない。

 ……もしかしたら公務で来られないのかな。


 自分が思った以上に彼の来訪を気にしていることを自覚した。



 グラリ。

 体がふらつく。


 一気に葡萄酒ワインを飲んだのがいけなかったのかもしれない。



「大丈夫? 顔が赤いね。ダンスまではまだ時間があるから、庭に出て風に当たろうか」


 そういえば校長先生も言っていた。

 テューリンゲン公爵邸の薔薇庭園は素晴らしいと。


 せっかくだし見てみたい気持ちもある。



 私はヴェーリルの提案に頷いた。

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