27、
ふらつく足をヴェーリルに支えてもらい、たどり着いた渡り廊下。その横にある扉から外に出た私を、風に乗った薔薇の香りが包み込んだ。
左右対称に整形された新緑の生垣と散策用の石畳が迷路のような不思議な空間を作り出している。
石畳脇のろうそくの灯りと咲き誇った薔薇が幻想的な夜を演出していて、私はその美しさに目を奪われた。
「確かにこれは素敵ね」
近くの
隣に座るヴェーリルが「ふふ」と笑いを零した。
「なに? どうしたの」
「気付いてないのかい。君、とても綺麗だよ」
突然褒められたのでフリッカは言葉を失った。
他人に容姿について言われるのは慣れていない。
「お世辞じゃない。とても美しいよ。そのドレスが素晴らしいのもあるが、君自身もとても魅力的だ。なのに褒められ慣れていないなんて面白いよ」
「それは、世間の男たちが私の魅力に気付かないからじゃないの」
「ふふふ、その気の強さもいいね。でもそうじゃないと思うな。こんなに綺麗な顔をしているのに変な男が近づいてこなかったのは――ずっと近衛兵が目を光らせていたからだ」
自分の中の熱がすっと引いていく。
この人、私に護衛がついていたのを知っている。
「だからなかなか声がかけられなくて困ったよ。皇宮にいる誰かが君に執着しているようだね。――そんな君が紡ぐ論文というものに私はこれ以上ないほど興味を抱いている」
「ヴェーリル卿……あなたの目的は?」
ヴェーリルはこれまでとは違う種類の笑みを浮かべた。爽やかさとは対極にある、獰猛な目をしていた。
「もちろん君だよ、フリッカ。“世界の真実”を知る君が欲しいんだ」
一瞬、息をするのを忘れた。
全身に恐怖が満ちる。
その言葉を聞いたのは、前世で自分の命が途絶えたあの日。
『お前が世界の真実を暴いた女か』
偶然なのか、それとも。
はっきりとは分からないけれど危険を感じた私は
慣れないドレスと先ほどの
数歩歩いたところで私は転んだ。
庭の砂でドレスが汚れた。
なんとか腕を使って立ち上がろうとするが力が入らない。
そこでようやく
舞踏会なんて慣れない場所に来て舞い上がってしまい、危機意識が希薄になっていたらしい。
突如、強い風が吹いた。
目に砂が入らないように腕で顔を守る。
風が止んでようやく立ち上がったときには、ヴェーリルの姿はなかった。
「ヴェーリル……?」
ざく。
砂を踏みしめる音が背後から聞こえてきた。
ざく、ざく。
その音が一人ではないことに気付いて軽い絶望を覚えた。
押しつぶされてはダメ。
己を叱咤して後ろを振り返る。
黒い外套を羽織った2人の男がゆっくりとこちらに近づいていた。
いずれも、断頭台の刃のように幅広の
バナヘイムで私に襲い掛かってきた男と同じ外見をしていた。
誰かがここに来てくれたらと思うけど邸内は広い。
たとえ庭を散策する客がいたとしてもこの
下手に誰かを呼んでも、その人を巻き込んでしまう恐れもある。
恐怖で震える私に、男の不快な声がかけられた。
「神話の否定を止めろ」
「……え?」
「神話の存在を否定する論文を撤回しろ。なれば、殺しはしない」
論文の撤回を望んでいる……?
この男にとって、もしくはこの男が在籍する団体にとって、神話の否定はあってはならないことなんだわ。
即座に殺された前世とは異なり、今世の外套の男は交渉を持ちかけてきた。
つまり、生き残る道があるということ。
私はドレスの裾を力いっぱい掴んで、口を開く。
「お断りよ」
声が震えてしまう。
怖い。
でも、ここで屈してはならない。
「人々には真実を知る権利があるの。真実を知って、それを未来に生かす権利がある」
人は歴史に学び、未来をよりよくするために進むことができるから。
「お前の記す“それ”は真実ではない。神話を捻じ曲げるために書かれたものだ」
「人々にそう思われれば、論文は歴史の中に埋もれていくでしょう。それでいいの。ただ、その判断を下すのは私でもなければあなたでもない。論文を読んだ全ての人たちよ」
知識を供することが学者の役割であり、
知識を政治に生かすことが、為政者の役割だ。
そして、最終的に未来に生かしていくかどうかを決めるのは、大陸で生きる無名の人々だ。
「神話も
命に危険があると忠告されても、前世の私は行動を変えなかった。
今世の私も行動を変えるつもりはない。
全てを話して、ゲオルグに協力してもらうって決めたんだから!
「そうか。では残念だがここで死ね」
男たちが剣を振り上げる。
私の目の前で外套が大きく広がった。
怖い。けど、まだ死ぬわけにはいかない。
約束を破ったのは私も同じ。
彼とのデートに行けなかったのは、私が殺されちゃったから。
だからもう殺されるわけにはいかないの。
二度も約束破ったら彼に嫌われちゃうでしょ!
「死なないっつってんの! まだゲオルグに会ってないんだから!!それに、」
ありったけのでかい声で叫んだ。
「論文は絶対出すって決めたんだから!!!」
次の瞬間には、でかい槍が飛んできて私の足元に刺さった。
それを見た外套の男たちが一歩引いて体勢を整える。
でかい槍を見てひっ、と悲鳴を上げた私を後ろから抱きかかえたのは槍の主だ。
「敵を
呆れたといわんばかりの声色だった。
そしてやっぱり、その声を聞いたら私は安心してしまった。
我慢する暇もなく、ぶわっと目に溢れた涙がすぐに零れた。
「怪我はないか」
「ええ。………来るのが遅いわ」
「そうだな。済まない」
ゲオルグが苦笑したのが分かった。
私を背後に下ろした彼は、地面に刺さった槍を抜き、くるりと回して腕に馴染ませた。
外套の男たちは明らかに身分の高いゲオルグの装いに戸惑っていた。
彼が皇帝だとはさすがに分からなかったようで、迷いを見せたのは数刻のこと。
男たちが一斉に飛びかかってきた。
ゲオルグは腰の位置で槍を固定し、地面と平行に構えた。
剣と異なり、柄の長い槍を真っすぐ平行に構えるのは相当な腕力と技術がいる。
彼は表情を変えずにそれを成す腕前があるのだ。
外套の男が射程範囲に踏み込んできた段階で、勢い良く槍を突き出す。
男が幅広の剣でそれを弾こうとする。
けれどできなかった。
槍の軸がブレなければ、穂先に集中した一点の突破力のほうが鋭い。
突きの勢いと、槍の重さが幅広の剣を貫いた。
ゲオルグの槍が外套の男の胸に突き刺さった。
男が仰向けに倒れる。
眼鏡の奥で冷たく光る猛禽類の瞳が、動かなくなった男を見下ろしていた。
続いてもう一人の男も倒れた。
そちらにはゲオルグも手を下していないが、男の後ろからヘイムダルが現れたので全てを理解した。
彼の槍も血で濡れている。
ゲオルグとヘイムダルの後から兵士が数名走って追いかけてきた。
ゲオルグは振り返って彼らに命じる。
「こいつらの遺体を皇宮へ。キオートに調査を指示しろ。何か証拠が見つかるかもしれん」
「御意」
そして、ヘイムダルに槍とコートを預けたゲオルグが、上着を整えながらこちらに歩いてきた。
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