21、 約束
「国民に供される、と言ったのか?」
そのときのゲオルグの表情は、私の胸を締め付けた。
「お前は本当に」
いつも皮肉そうな笑みを浮かべている彼が一瞬、本当に一瞬だけ泣きそうに顔を歪めた。
「本当にフェンサリル子爵の娘、なのか」
ゲオルグ―――、どうしてそんな顔をするの?
私は見間違いかと思って目を瞬かせたが、最後に瞼を開けたときには彼は無表情を取り戻していた。
「……お前の言いたいことは分かった。俺が即位する前に所持していた分は金融街に預けてある。それを使う。だから金のことは気にするな」
絶対プレゼントするマンになってる……!
まあいいか。税金じゃないなら気に病む必要もないし、ありがたく皇帝のおじさんに貢いでもらおう。
でも、さっきの表情は少し気になるな……。
私とゲオルグの会話がひと段落したタイミングを見計らって、おじいちゃんの一人がカタログと布地を持ってきた。
「ささ、ドレスの命は布地です。どんな色がいいか、肌触りや光沢などお好きなものを選んでください」
どれもこれも綺麗でキラキラしている素敵な布ばかりだった。
色かあ……どれも素敵で迷っ……。
「これはどうだ」
ゲオルグが白い布が記されているページを指差した。
何であなたが出てくるの?
見てみると、お花の刺繍が散らされている白くてふんわりした布地だった。
これは花嫁衣装に用いられる布では?
しかもすごくこう……物語の中のお姫様的というか……少女めいているというか。
「陛下は、こういうのが、お好きなのですか」
おじさんが少女趣味というのは意外だったな~と軽い衝撃を受けながら質問してみると「そんなわけあるか」と一蹴された。
「お前に似合うと思っただけだ」
…………。
……………………。
はい。
「そ、そうですか」
なぜか動揺してしまう私。
高速でページをめくっていると、ふと、一枚の布が目についた。
それは鮮やかな黄色だった。鷹の目のように澄んだ、希望に満ちた色。
それを見てしまった後は他の布を見ても集中できなかった。
私は恥ずかしさを抑えながら「これにします」とおじいちゃんに伝えた。
「ほう、黄色か。いじらしいな」
首まで真っ赤になっている気がする。誰もあなたの瞳の色だから選んだなんて言ってないんだからね。
ゲオルグのほうは見なかった。
◇
その後、ドレスのかたちや装飾品を選んで人生最大の買い物イベントが終了した。
ヘイムダルが「ここで見たことは他言無用に願います」とギルドの面々に告げて回れば、皆平身低頭で応じている。
独裁皇帝に逆らえば断頭台行きだと考えるのは私だけではないわよね。
ギルドを出ると、馬車が2台停まっていた。
そうか。ここでゲオルグとはお別れなんだ。
彼が向かうのは皇宮。私が帰るのは寄宿学校。方角は反対だった。ゲオルグは何も言わずに片方の馬車に向かう。
私は思わず声を出していた。
「あ、あの、陛下」
彼は後ろ向きのままで立ち止まった。
「陛下は……、陛下は舞踏会には来られますか」
「俺は忙しい。そんなところへ行くよりも先にやるべきことがある」
返答はそっけないものだった。
分かる。ゲオルグならそう言うよね。
彼は華やかな場が嫌いだもの。
でも、でもね。
「私は、陛下に来てほしいです」
かつてのゲオルグは、私の頼みを断ったことは一度もなかったのよ。
わずかに涙声になってしまったことを恥じる。
手で目元を拭っていると、彼がこちらを振り向いた。
「……泣いているのか」
「泣いていません!」
断固として否定する。
彼は怒りとはまた違った様子で眉を寄せた。
「フェンサリルの娘、なぜ俺が舞踏会に行く必要があるのだ」
「陛下にお伝えしたいことがあるからです」
「ならば今ここで話せ」
「……できません」
「なぜ」
それは、論文の準備が……。
ここでゲオルグの怒りを買ったら、全ての計画が台無しになるから慎重にと思って……。
違う。
私がゲオルグに嫌われる覚悟ができてないからだ。
『守りたい人を守れないことほど、辛いことはありません』
グナーの一言でその可能性と向き合った。
あなたとの約束を破って勝手に死んで、15年もの間婚約者を放置していた私の存在があなたの重荷になっていたら。
その怒りや憎しみを、直接ぶつけられることになったとしたら。
ヘイムダルがゲオルグの傍に寄る。
「そろそろ時間が」と聞こえた。
何か言わないと。
「論文を、出したいんです!」
正体を明かしてから、満を持して言おうと思っていたことが先に出てしまった。
けれど、この先ゲオルグには会えないかもしれない。
ならば今言うしかない。
嫌われたら話も聞いてもらえないだろうし。
えーい、ままよ!!!
「帝国には一部の領地を除いて出版の自由がないと聞きます! しかし陛下、知識は人を育てます。育った人が国を支えるのです。私……の、知り合いが、とても素晴らしい論文を書きましたが、現状では多くの人々に読んでもらうことが叶いません。ですから!」
私はゲオルグの前に進み出た。
前世よりも彼との年齢差は広がってしまった。身長差はほとんど変わらないはずだが、それでもぐいと見上げなければ彼の黄色い目に私の顔が映ることはない。
でも、あなたのニコリともしないその表情を見上げるのは嫌いじゃないから。
「陛下に、その内容をお伝えしたいんです」
ゲオルグは感情の読み取れない相貌でこちらをじっと見ていた。
隣にいるヘイムダルも、大きな目を真ん丸にして私を見つめている。
誰も何も喋らない。
まずい。
まずいかもしれない。
もしかして壮大にしくじったのだろうかと冷や汗をかきはじめた。
けれど、そんな私を驚かせたのはゲオルグの笑い声だった。
「はは、面白い」
主が破顔する様子を見て、背後に控えるヘイムダルも目を見開いている。
何がそんなに面白かったんだろう。
不安になりながら笑っている男を見上げていると、ゲオルグの手が私の頬に伸ばされた。
かさついた彼の指が頬を優しく撫でる。
びっくりして声が出ない。
心臓が口から零れ出るんじゃないかというくらい忙しく動いている。
ゲオルグの眼光鋭い黄色い目が細められていた。
バナヘイムの大学で、他愛なく話していたあの頃と同じ表情だった。
やっぱり、格好いい。
「いいだろう。公務の都合をつけて舞踏会に行ってやる」
「ほ、本当?」
「ああ。ただし、」
ぐい、と顔が近づけられる。
あまりに近すぎて彼が喋るたびにお互いの唇がわずかに触れた。
「
私は声にならない声で彼の名を呼んだ。
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