18、あなたのことは全部知ってる

「ここだ。降りろ」


 馬車が停まる。

 目の前には立派な織物商ギルドの建物があった。


 私が戸惑って立ち尽くしていると、後ろの馬車から降りてきたヘイムダルが近づいてくる。


「人払いは済ませてあります」


 頷いたゲオルグは、私のほうを見てあごを上げる。

 「ついてこい」という合図だろう。


 皇帝が尊大な足取りで建物の中に入っていくので私も後を追う。


 階下に降りると、広い倉庫のような空間が広がっていた。

 奥に広がる棚には膨大な数の布がおさめられている。


 その手前には複数のマネキンが並び、使い古された木製テーブルの上には巻き尺や数字が書き込まれたメモが散乱していた。


 テーブルの前で、スーツに身を包んだ初老の男たちがぴったりと揃って跪いている。


 ゲオルグが「顔を上げよ」と声をかけると、真ん中の男が進み出た。

 帝都織物商ギルドの支配人マスターのようだ。



「我らが大帝国、偉大なる皇帝陛下に拝謁の上お言葉を賜る栄誉に浴することができ深い喜びに包まれております。臣民たる我々が日々を過ごすことができるのは陛下の御力・聖徳ゆえであり、我ら一同ご満足いただけるようなお召し物を仕立てて……」



 長いな。

 拝謁の際の決まり口上なのだとは思うけど……長いわ。


「長い」


 ゲオルグが私の心の声を代弁した。


「そんな挨拶はいらん。俺は忙しい。準備ができているのならばすぐに始めろ」

「御意」


 途端におじいちゃんたちが立ち上がり、私を囲んできた。


「ひぇっ!? 何、何なの怖い」

「まずはあちらへ。採寸さいすんいたします」

「はあ? 採寸!?」

「左様。ご令嬢のドレスを作るためにはまずサイズを知らなければ始まりません」


 ―――ドレス?


「どういうこと?」


 私は隣に立つゲオルグを見上げる。

 独裁帝は私を見ずにぽつりと言った。


「舞踏会用のドレスが必要なのだろう。ここで作れ」


 もしかして、私を学校から連れ出してここへ連れてきたのってドレスを作るため?

 私がドレスを買うお金がないのを知って……?


 いや、


『二度と他の人間おとこに触らせるな』



 私がまた貧民街スラムに近寄って危険な目に遭わないように……ってこと?


 まさか。

 だってまだ彼は、私が前世のフリッカ・コロンナだってことは知らないはずなのに。


 どうして7年前に会っただけの私にそんな厚遇を?



 おじいちゃんの代わりに出てきた女性に手を引かれて採寸室へ行く。


 服を脱いで体の上から巻き尺を当てられている間、私はずっと、布一枚隔てたところにいる男のことを考えていた。


 寄宿学校に入学したことも知っているし、さっきは「舞踏会用のドレス」とも言っていた。

 つまり彼は学校行事も把握しているわけで。


 やっぱり、1回会っただけの人間をそこまで監視するっていうのはさすがに度を越してるわよね?

 


 採寸が終わったところで、私は「あっ!」と声を上げた。


「そうだ、お金」


 こういう機会を設けてくれたのは嬉しいが、ギルド本部でドレスを仕立てるお金などあるわけがない。

 先に値段を聞いておかないと……。


「誰が貴様のような小娘に支払わせるか。俺が持つに決まっているだろう」

「わああ」


 採寸室を出ると目の前にゲオルグがいたので叫んでしまった。

 もしかして終わるまでここにいるつもりなのかしら。


 気を取り直そう。

 お金の件だ。


 たとえ貧乏で喉から手が出るほどドレスが欲しいと言っても、国の人々の税金を勝手に使うわけにはいかない。


 それは、フェンサリル領でパパや集落の人たちがたくさんの汗を流しているのをこの目で見てきた私の強い気持ちだった。


「陛下、お気持ちは嬉しいですがお言葉に甘えるわけにはまいりません」

「口だけは達者だな。金がないくせに」


 おい、陰キャ。

 そのアゴヒゲを一本一本丁寧にむしり取ってやろうか。


 怒りに囚われそうになる己を叱咤して、私はもう一度言葉を紡いだ。


「……いいえ、なりません。そのお金は帝国の人々が納めた税です。それはこの国に住む人々が穏やかに暮らすために使われるべきものです」


 ゲオルグが片眉を上げる。切れ長の目がギラリと光った気がした。


「ずいぶんな大言壮語を吐く。お前はこの国を統べる存在に指図するというのか」


 ゲオルグが苛立っている。

 彼が怒るとき、その左目尻の皺がわずかに震えるのを知っている。


 でも今の彼は、苛立ちつつも少しだけ楽しそうだった。




 あーあ。前世の私って、本当に厄介な男に惚れちゃったのね。



「指図ではございません、陛下」

「殺されても文句は言えんぞ」


 私は知っているの。

 怒ったときに左目尻の皺が震える。


 対して嬉しいときは、一度瞬きをしてから目を輝かせるってことを。



「いいえ、陛下は私を殺しません」

 

 彼が目に喜色を宿すのは、自分の考えが及ばない見解や予想外の意見で驚かされたとき。



 バナヘイムの大学で。

 バナヘイムの街中で。

 そうやってあなたと言葉を交わすひとときが、私の大好きな時間だった。



 彼に驚きを与えられたら私の勝ち。


 畳みかけるなら今。



「仮にドレス1着を仕立てるのが金貨500枚だったとします。その資金があれば、まさに今帝国軍が必要としている騎馬用あぶみ(馬のくらからぶら下げる足場)が一中隊分購入できる計算になりますね。お気付きですか」


 ゲオルグは眉を寄せて動きを止めた。


「突然何を」と言われるかと不安だった。が、それは杞憂に終わる。


 こちらを睨んだ彼は、数刻置いて「あぶみだと」と呟く。


「隣国グルヴェイグからの購入相場で計算しております。利息免除の改正法も行き届き、金融街の貸金屋とも調整がついた頃合いではないですか? この500金貨の価値を、聡明な陛下が理解できないはずはございません」


 息を吐いた私は、彼の猛禽類のような目が確かに一度瞬いたのを見た。


 よし!

 私は心の中で握りこぶしを作った。


 

 先日見た新聞に書いてあった新法令。


 騎士男爵家の借入金に伴う利息を一定額免除するというもの。この狙いは騎士家の負担を減らして帝国軍を増強することにある。


 寄宿学校の「戦略・戦術」の授業でバナヘイムと帝国の戦い方を比較したとき、帝国における集団戦術の不足が際立っていた。


 もともと帝国騎士は一対一の決闘スタイルの戦士であり、集団の中で力を生かすという視点が疎かになっていたのは歴史的に見ても明らかだ。

 学校の授業で分かるぐらいなのだから、バナヘイムで過ごしたゲオルグがその欠点に気付かないはずがない。


 帝国軍の力を底上げするためには集団戦術を充実させることが必須。

 そして騎馬での集団戦法を改良するのであれば、まず変更しなければならない武具のひとつがあぶみだ。


 どんなに馬の調教が徹底していて優秀な騎士が揃っていたとしても、鐙が邪魔になり、密着して並走できなければ集団陣形の威力は激減する。


 戦が発生したとき帝国軍に招集される騎士たちの武具は基本的に自家で揃えなければならない。

 ゲオルグは暗に、あの利息免除で浮いた金額を新たな武具購入に充てよと指示しているのだ。



 彼の反応を見て手ごたえを得た私は、最後の一押しとなる発言を付け加えた。



「陛下の聡明さも、それによって集まった税も、全ては国民に供されるものです。お気持ちはとても嬉しいですがお金は受け取れません」

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