17、

 私は馬車に乗った。


 椅子はとってもフカフカしていたが、内装も外装も思ったよりもずっと質素だ。


 もっとゴテゴテの装飾でギンギラ輝いているのかと思ったけど、そんな馬車で走れば皇帝の所在を自らアピールするようなもの。喜ぶのは暗殺者だけだと考え直した。


 そして何と、馬車の中にいるのは私とゲオルグだけだった。

 ヘイムダルは後続の馬車に乗っている。



 大変に気まずい。


 場を支配するのは沈黙である。



 この馬車がどこへ向かっているのかが分からない。

 ゲオルグが何を考えているのかも分からない。


 彼は腕を組んで窓の外を見ていて、こちらを見ようとはしなかった。


 ここで自分の正体と、論文のことを話せたらいいと思う。

 けれどまだダメ。


 15年前の彼とは別人のようになっているかもしれない。


「俺の知り合いの名を語るのか。死ね」と言われる可能性もあるし「気味の悪いことを言う女だな。牢に入れろ」となる可能性だってある。


 いずれにせよ拙速な行動は慎んだほうがいい。


 さてさてどう切り抜けようか……とじりじりしていると、ついにゲオルグが口火を切った。


「おい、」

「は、はい! 陛下」


 返事をしたら苦虫をかみつぶしたような顔で舌打ちされた。


 怖い。

 なんでよ。


「小娘。なぜ俺が皇帝だと分かった?」

「え……」

「さっき俺の顔を見てすぐに皇帝陛下、と言ったな。 俺の知る限りお前と顔を合わせたのは7年前のたった一度。その間、お前はあの田舎にいた」


 全身に冷や水を浴びせられた気分だった。


「俺という人間が皇帝になったことを、お前が知るわけがないと思うが」


 私の行動が全て把握されている。


 嘘でしょう。


 あの日から7年間、



 あのときの私の言動が彼に不信感を与えたのかもしれない。

 けど、しょせんは8歳の田舎娘に過ぎない。


 それを7年間も見張るだなんて常軌を逸している。


 ゲオルグがそこまで執着的な性格だった覚えはない。

 やはり、皇帝になった彼は変わってしまったんだろうか―――。



 とりあえず、この問いにはどう返事をすればいいのだろう。


「あなたの名前と、あなたが好きそうな税法改正があったのでピンときました」なんて言ったら怪しいことこの上ない。断頭台行きは避けたい。


 頭がうまく回らない。

 答えに窮した私を、ゲオルグは横目でチラリと見ただけだった。



 あれ……?


 何か彼の横顔に違和感を覚える。

 その原因はすぐに判明した。


 ゲオルグが丸眼鏡をかけているのだ。


 彼、今まで眼鏡なんてかけていなかったのに。


 まるで皇帝らしくない、古びた眼鏡だった。

 目が悪くなったのかな。

 でも、この眼鏡どこかで見たことあるような……?


 街の灯りに照らされるその横顔に、私はぼんやりと見入っていた。


 前よりも輪郭がシャープになった。

 目の下の隈もひどい。

 でも、彫りの深さが一層際立ってストイックな雰囲気が感じられる。


 相変わらず髪の毛のくせは直ってないのね。ちょっとだけ短く切ってある。

 皇帝になったから前よりは身だしなみをチェックするようになったのかな。

 髭も……前顎の部分は残っているけれど、横は剃ってあるんだ。


 眉は不愉快そうに歪められていて、黄色い目には剣呑な光が宿る。眉間の皺も多い。


 相変わらずだね。


 近寄りがたくて、陰気で、男くさくて、偉そうで、ちょっと身だしなみがダメで、

 そういうところがほんっとうに―――



「格好いい……」



 私は深層心理からとんでもない一言を引き出してしまった。


 ゲオルグが目ざとく「は?」と聞き返してくる。


「何だって?」

「ふぁーーーーーっ!!!」


 私は暴れた。


 といっても馬車の中に逃げ場はない。

 苦心の末、両手で顔を隠した。


 控えめに言って馬鹿なんだけど、緊張と恥ずかしさで自分が何をしているのかよく分からなかった。


「おい」

「なんでもないですなんでも」

「フリッカ」

「誰も陰キャおじさんのことなんて格好いいと思ってな―――、え?」


 

 今、“フリッカ”って言った?



「顔を見せろ」


 夢かと思った。

 その声でもう一度、名前を呼んでもらえるなんて。


 彼の手が伸びてきて腕を掴まれる。


 真っ赤に染まった顔を見せるのが恥ずかしくて、私は視線を外した。


「……青くなっているな」


 私の腕を見て彼が言った。

 昼間、男たちに縛られたときにできた手首のあざだった。


「痛くはないのか」

「だい、じょうぶです」

「そうか」


 目の前に迫った瞳に睨まれる。


「二度と危ない場所には近づくな。そして……二度と他の人間おとこに触らせるな」


 ゲオルグに触れられても、スラムの男たちに感じたあの不快感は湧いてこない。


 むしろ、その身勝手な指図に喜んでいる私がいた。

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