13、誘拐

 突然強い力で掴まれたので驚く。


 私の手首を掴んだのは、茶色い長衣と肩を覆うフードを被った中年の男。目が落ちくぼんでいて手足が細かった。


「こんにちは。かわいいお嬢さん」


 耳にまとわりつくような声だった。舐め回すような視線が気持ち悪い。


「……いきなり何? 手を離して」


 見知らぬ男に触られることがこんなに不快だなんて知らなかった。

 嫌悪を込めて睨みつけると、細身の男が薄く笑う。


「お嬢さん、貴族なんだって?」


 さっきの服飾店での会話を立ち聞きされている。

 服飾通りに訪れたときから私たちの後をつけていたんだ。気付かなかった。


「貴族のお嬢さんが護衛も連れずにこんなところを歩くなんて、世間知らずにもほどがあるな」

「あなたには関係ないでしょう。それに、貴族がこの通りを歩いてはいけないなんて決まりはないわよね」

「その気の強さが命取りだよ。まさかこんな上玉が簡単に手に入るとはねえ」


 わざとらしくため息を吐いてぐっと手を引く。だが、男の手をほどくことはできなかった。細身のくせに力が強い。


 前世であれば軍人であるパパ仕込みの体術で投げ飛ばすことができたんだけど、基礎訓練すら怠っている今世では難しそう。

 グナーが戻ってくるまでなんとか時間を稼げればいいけど。


 周囲を見回す。

 露店の主も通行人も目を合わせようとしない。


 皆、厄介ごとには首を突っ込みたくないという様子だった。


 なんとか隙を見つけようともがいていると、物影からさらに2人の男が近づいてきた。

 複数犯か。うーん、まずい展開になってきた。


「どうする?」

「侍女が戻る前にこいつを連れていこう」


 これはやばい。


 大声を出そうと思って口を開けた瞬間、布を当てられた。

 ツンとした匂いが鼻腔に満ちて一瞬で視界が真っ暗になった。




 ◇





 意識が浮上する。

 と同時に、男たちの話し声が聞こえた。


「そりゃ貴族だから身代金だろう」

「けど、さっきドレスを買う金がないと言ってたぞ。貧乏貴族なんじゃないか?」


 どうやら今の私は狭い小屋の中にいるようだ。あいつらのアジトかもしれない。



 私の手足は縛られていて、自由に身動きが取れなかった。


「貴族向けの娼館に売るのはどうだ」

「それはいい。あそこなら高く買ってくれる」

「最近は憲兵の見回りが増えて、ろくな稼ぎもなかったからな。久しぶりの大金だ」


 こいつら人身売買をしようっての? 最悪。

 このままだと本当に娼館に売られてしまうわね……なんとかしなきゃ。


 体を縛る紐を解こうともぞもぞしているうちに物音を立ててしまった。

 男たちが一斉にこちらを向く。


「目が覚めたかい、お嬢さん」

「あなたたち性根が腐ってるのね。 人身売買は厳罰よ」


 茶色い長衣の男が顔を近づけてくる。

 視界にその存在を収めたくなくて顔を伏せていると、ナイフで縄を切られた。


「その鈍感さも貴族ゆえか?」


 そして、衣服に手をかけられる。


貧民街ここでは人命も尊厳も売り物でしかないってことを知ったほうがいい」


 不快だった。


 その気持ち悪い手を今すぐに振り払いたい衝動を、ぐっと抑える。

 会話で時間を稼ぎながら相手の隙を探せばきっと逃げ出せる。

 だから、今じゃない。

 そう自分に言い聞かせて息を殺す。


 大丈夫、大丈夫。

 冷静さを失ったら負け。

 大丈夫よ。


 それでも、顔に男の吐息がかかったときには決意も揺らぎそうになった。

 ぎゅっと目をつぶる。


 そして男が再び何かの言葉を口にしようとしたタイミングで、小屋のドアが開いた。


 入ってきたのは深緑のローブを目深に被った人。背丈が私とほとんど変わらない。ローブの下から栗色の髪の毛と眼帯が見えた。


 ずいぶんと顔立ちが幼い。……男の子?



「その女性から手を引いてください」


 ローブの男の子が優しそうな声で話した。


「誰だお前……! 何でこの場所を知ってるんだ」


 男3人が焦った様子で棒やナイフを掴んで立ち上がる。

 ……ということはこの不審者たちの味方じゃないんだ! よっしゃ。


「僕は彼女の護衛です。あなたたちは憲兵に引き渡したいので殺しはしませんが、腕の一本や二本くらいはご容赦を」


 男の子はそう言うと、背負っていた槍を引っ張り抜く。

 くるりと一回転させてから利き手に馴染ませ、もう片方の手を柄に添えると腰を落とした。


 この子、相当な手練れだわ。

 構えがしっかりしてる。


 というかこの動きって……。



 前世で交わしたゲオルグとの会話を思い出す。


『まさか槍の名手であるコロンナ先生から直々に教えてもらえるとは。俺は運がいい』

『ふーん、パパの槍術ってそんなにすごいの?』

『君は学術分野に関する知識は豊富なのに、それ以外はとんと疎いな。君らしいと言えば君らしいが』


 記憶の中の彼は、何かを企む子どものような笑みを浮かべた。


『これで気の強い女性に論破されて逆恨みした馬鹿共が押し寄せても、散らすことができる』



 そうだ。

 私はこの構えを、知っている。

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