16、

 さっきまでヘラヘラと笑っていた長衣の男がナイフを持って男の子に向かっていく。

 が、男の子はそれをさらりと横にかわし、槍の石突いしづきで男のみぞおちを突いた。


「ぐっ!」


 男がその場に倒れて動かなくなると、残り2人の顔が引きつった。

 男の子は再び槍をくるりと回転させて、倒れている男の手に穂先を突き刺す―――


「や、やめてくれ!」


 あと少し、のところで槍は動きを止めた。


「分かった、悪かったから。許してくれ」

「……もう抵抗はしませんね」


 3人が一斉にうんうんと頷いた。

 自分たちでは到底かなう相手ではないと分かったのだろう。


 なんにせよ、助かった。


 私はホッと胸を撫でおろした。



 ◇



 男たちに連れ込まれた小屋は城壁のすぐ内側、貧民街スラムの中に建っていた。


 槍の男の子と私は最初に訪れた服飾通りの入口まで戻ると、近くの憲兵に3人を引き渡した。

 憲兵は非常に驚いた様子で敬礼をし、3人を引き連れて去っていった。


 私は憲兵の様子をじっと観察していた。

 彼らが敬礼したのは、この男の子に対してだ。

 ふうん……この子只者じゃないっぽいわね。


「怪我はありませんか」


 男の子が心配そうに私を見る。

 只者じゃない男の子は優しかった。


 そもそも男の子ではないのかもしれない。

 童顔なだけで。


「大丈夫よ。それよりも、助けてくれてありがとう。あなたが来なかったら私はきっと売られていたと思う」

「城壁付近は治安が良くないので、女性だけで来るのは危険です。まして貴族の令嬢ともなればなおさらです」

「……あなたも私が貴族の娘だと知っているのね?」


 男の子……もとい青年は、わずかに考え込んだ後でローブのフードを脱ぐ。


 くせっ毛の栗色髪と青緑の目。右目には眼帯がしてあった。


「僕はヘイムダル。とある方からあなたの見張りを仰せつかっておりました」

「とある方?」


 頭の中に候補者が2人ほど浮かんだ。


 一人はパパだ。

 私がそう考えると思ったのか、ヘイムダルは先回りして説明する。


「あなたのご両親ではありません。詳しくは言えませんが高貴な身分の方です」


 名前を言うつもりはないのね。


 ちょっと揺さぶりをかけてみる。


「あなたの槍術ってバナヘイム流でしょう?」

「……ご令嬢は武芸にもお詳しいのですね」


 ヘイムダルは平静を装っているが、ふっと視線を逸らした。動揺している。


「バナヘイムは槍の使い手が多い国だからね。でも、その型で槍を扱う人って本当に少ないの。それも誰かに教えるまでの腕となれば相当限られてくるわ」


 独特な構えと槍の払い方。あれは前世のパパ、バナヘイム軍のステファーノ・コロンナ元大将が独自に生み出した型だ。


 そしてそれを継承したのは―――。


「あなた誰から槍を習ったの?」



 ヘイムダルは質問には答えずまっすぐに私を見ていた。

 私もヘイムダルを見返す。


 彼に私のことを見張らせた“高貴な身分の方”の目星はついている。でも、せっかくだから向こうの口からはっきり言わせたかった。

 そう思ってヘイムダルが口を開くのを待っていると、後ろから「お嬢様!」と焦った声が聞こえてきた。


「グナー! 良かった、あなたも無事だったのね」

「お嬢様が侍女の心配をしてどうなさいます! それよりもお召し物が汚れております。もしや何かに巻き込まれて……!?」

「ちょっと変な男に絡まれてね。でも、この人が助けてくれ―――あれ」



 ヘイムダルはいなくなっていた。

 逃げられたか。



 ◇



「今回は私の不手際にございます。もっと警戒をしておくべきでした」


 寄宿学校の自室に戻って一通りの説明を終えた私に、項垂れたグナーが言った。

 腰に巻きつけていた金銭袋をスリに奪われた彼女は迷うことなく犯人を追いかけ、無事に袋を奪い返していた。


「いいえ、あなたの行動は間違っていないわ。金銭袋が奪われたらドレスはおろか、帝都で使えるお金がなくなってしまうもの」

「それでお嬢様に何かあれば元も子もありません!」


 グナーは膝の上で拳を握りしめていた。


「フリッカ様の行動力は素晴らしいものですが、ときとして危険をかえりみないことがあります。今回は完全に私の力不足ですが、どうかお嬢様も周囲に潜む危険を改めてご認識ください」

「ごめんなさい、グナー。でも、あなたの行動は正しかったんだから責任を感じる必要は……」

「責任の所在など関係ありません。守りたい人を守れないことが一番辛いのですよ」


 グナーの両手が私の両手を包み込む。

 彼女はその穏やかな眼差しに強い光を宿して、自身の過去を語り始めた。


「騎士男爵家だった私の実家は今や見る影もありません。今上帝が即位する前、貴族たちによる騎士家弾圧があったからです」


 厳密に言えば騎士は貴族ではない。爵位上、貴族とだけ。


 貴族の血が流れていない騎士たちを、たとえ低い爵位であっても貴族とみなすことに否定的だったのは、“生粋の”貴族たちだった。


 皇宮官僚を輩出する貴族家や前皇帝の周囲の者たちが「古き良き貴族の時代」への懐古を謳って騎士弾圧を始めた。

 規模の小さい騎士男爵家は領地没収や奪爵の憂き目にあった。


 その動きに抵抗したのが、現皇帝――ゲオルグ一派だったのだ。


「私に武芸を教えてくれた騎士団の者たちは農奴として連れていかれました。悔し涙を流す私に、父は『絶対に抵抗するな。抵抗したら殺されるぞ』と言いました。私は父に従いましたが、あのとき大切な人たちを見捨てるしかなかった辛さは、今も私を苦しめます」


「そうだったの……。ごめんね、私全然知らなくて」


「謝らないでください。希望を失った私に光を与えてくださったのはフリッカ様なのですから」


 私、グナーに対してそんな大層なことをした覚えはないけど……。全く見当がつかなくて首をかしげる。


「反皇帝派の伯爵が乗り込んできたことがありましたよね。私がフェンサリル邸に来たばかりの頃でした」

「パルチヴァール伯爵ね」

「護身用の短剣を持って物影に隠れていた私は、父の言葉に縛られて飛び出すことを諦めていました。そうしたらフリッカ様が伯爵に対して見事な頭突きをされたものだから、私は驚きました」

「ああ……」


 あのときは腹が立って衝動的に頭突きをしてしまったというか……。

 当時のことを思い出しているのか、グナーはクスクスと笑っている。


「大切な人を守るために最後まで立ち向かうことこそが騎士家に生まれた者の誇りです。フリッカ様の行動でそれを思い出すことができました。あなたはその後も、私の愛馬を救ってくださった。仕えるべき主を見つけた私は幸福です」


 心構えが完全に騎士のだった。

 グナーがそこまで私のことを思ってくれているなんて知らなかった。


「今回の失態で侍女を外されても仕方がないと思います。でもどうか、お嬢様もご自身の価値を今一度ご認識ください。そして思いをお汲みくださいませ――あなたが危険な目に遭うたびに、あなたを守りたいと思っている人間が悲しい思いを抱くということに」


 騎士家の娘の顔がぐしゃりと歪んだ。

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