7、再会

 自分の体がぐうんと浮く。

 気付けばパルチヴァール伯爵が私の襟元えりもとをつまんでいた。


「げっ! 何するのよ」

「フリッカ!」


 パパが悲痛な声で叫んだ。屋敷の使用人たちも出てきて、周囲は騒然としている。


「娘を離してください!」


 伯爵は答えず腰にいた剣を抜く。それを見たパパの顔が真っ青になった。


「手荒な真似はしたくありません。ですが、今回の戦いを成功させなければ帝国そのものが潰れるのです。どうか話だけでも聞いてください」


 言葉は丁寧だがほとんど脅しだ。


 やっぱり貴族って最低!


 私はぐぐぐと後ろを向いて、パルチヴァール伯爵の顔を見上げる。

 それに気付いた伯爵は少しだけ眉を下げた。


「君のような子どもにこんなことをして申し訳ないと思っている。けれど私た」



「この馬鹿貴族があ!」



 叫んだ。そして思いっきり頭を振って伯爵の顎に頭突きをした。

 ゴツン!と音がして伯爵がその場にうずくまる。


 いかに騎士と言えど、無防備な状態で頭突きをくらえばそれなりに痛いはず。


 その隙に私は伯爵の手から逃げ出した。


「伯爵だなんだと思い上がるな暴力野郎! 権力振りかざしてパパを苛めるなら私が許さないんだから」


 ちょっと素が出てしまったが、腹が立っていたから仕方ない。

 捨て台詞を吐いてパパへ駆け寄ろうとした私の前に、伯爵の従者が立ちふさがった。


 従者は剣を抜いていた。


「貴様……、 田舎子爵の娘のくせに伯爵になんたるふるまいか……!」


 こいつ馬鹿ね。言動の軽薄さに呆れるしかない。


「あなたたち、今回の内乱にそれなりの大義を掲げているのではなくて? 騎士の命である“剣”を子どもに向ける人間の大義なんて見向きもされないわよ」

「小娘、騎士の志を愚弄ぐろうするか!」


「愚弄してるのはどっちよ。 あなたの行動は騎士じゃなくて馬鹿貴族そのものだって言っているの」


 革命や内乱の手法には賛成しがたいけれど、それが受け入れられる唯一の道はかたちだけでも大義や理想が伴っている場合だけ。

 そんなのは歴史を学べばすぐに分かることなのにね。


「……! おい、よせ!」


 パルチヴァール伯爵が鋭い声を出したので振り返る。


 従者が血走った目で剣を振り上げていた。

 伯爵は強い口調で再度制止するが、私を見据える従者は動きを止めなかった。


 このくらいの剣筋なら今の私でも余裕で逃げられるわ。

そう思った途端に私の脳裏によぎったのはあの日の光景だった。



『お前が世界の真実を暴いた女か』



 途端に恐怖に襲われ、声が出なくなった。

 さっきまで軽やかに動いていたはずの足がすくむ。


 振り下ろされる剣の動きは、私の目には異様なほどゆっくりと映った。

 それでも体が固まってしまって動くことができない。


 なんで、どうして。



 助けて、


 誰か助けて、




 誰か―――!




 私は目をぎゅっとつむっていた。

 が、いくら待っても剣は振り下ろされなかった。


「………?」


 おそるおそる目を開ける。


 剣を振るった従者と私の間に、パパでもパルチヴァール伯爵でもない、長身の男が立つ。


 その男が持つのは槍。

 槍ので従者の剣を受け止めてくれたおかげで、私に攻撃が及ばなかったのだ。


「おい」


 私からはその男の表情は見えない。

 でも、男の肩越しに声を聞いた瞬間にドキリとした。


 嘘。


「実際に危害を加えてはならないと、俺は説明していたと思うが」


 抑揚が乏しいバリトンボイス。

 それでいて、愚者を冷笑するような傲慢さを伴う。

 人によっては不快に思うはずの声だけど、私はその声を聞くと安心できた。


「パルチヴァール伯に殺意はなく害する動きもなかった。それなのに従者のお前が主の顔に泥を塗るのか?」


 男は器用に槍を回転させて従者の剣を払った。青白い相貌ですいませんと繰り返す従者を無視し、彼は長いチュニックの裾をひるがえして振り返る。


「―――怪我はなさそうだな」


 細長い体躯。癖の強いセピアブラウンの髪の隙間から覗くのは黄色い瞳の鋭い目つき。

 まるで高い木の上にとまり、獲物を見下ろす鷹の眼差しのようでもあった。


 留学時代よりも痩せ、より一層高圧的になった印象を受けるが、間違いはない。



「あ、」



 うまく声が出なかった。

 緊張している。


 だって、また会いたいとは思っていたけど、本当に会えるとは思っていなかったから。


 彼に近づこうと一歩前に踏み出した。でも、思うように動かなかった私の体は簡単に倒れかかる。

 慌てて受け身の姿勢を取った私を、彼の片手が支えた。


「大丈夫か」


 その低い声が耳元で囁かれれば、全身が熱くなって痺れる。

 紛れもなくゲオルグの声だった。


 私の体に触れているのは、大きくて骨ばった手。

 前世でたくさんの書物を運んでくれたゲオルグの手だった。


 見上げれば、あの猛禽類もうきんるいの瞳がこちらを見ている。

 その黄色の中に私が映っていた。


 髪はくせっ毛だし髭は生えそろってないけど、その澄ました横顔が誰よりも大人っぽくて格好いいと思っていた。傍にいると安心できた。


 全部が全部、思い出の中の彼のまま。






「ゲオルグ」






 今の自分の立場すら完全に忘れて呟いてしまった。

 思わず口についたその名前を聞いて、ゲオルグは目を見開く。


 ゲオルグが私のことを助けに来てくれた。


 なぜ、とかどうして、とか疑問に思うことはいくらでもあって、言いたいことはたくさんあるのに、そこまで考えが及ばずただただ涙が溢れてとまらなかった。


「うう、ううう」


 私はその場に座り込んだ。

 抑えていた感情が胸の中で渦を巻く。


 私はずっと怖かったのよ。

 どうして傍にいてくれなかったの。

 あなた、私のこと好きなんじゃなかったの。

 プロポーズまでしたくせに、どうして、ねえ、私は死んじゃったのよ。

 どうしてすぐに助けにきてくれなかったの。


 ずっとあなたに傍にいてほしかったのに。


「フリッカ!」


 パパが駆け寄ってきて強い力で抱きしめてくれた。私は混乱の中にあって、わあわあ泣いていた。


 使用人やメイドも集まってきた。泣きじゃくる私にはみんなが何を言っているのかは分からなかったけど、それでも私の耳は、彼の言葉だけはちゃんと拾っていた。



「……フリッカ、だと?」



 ゲオルグの呟きに喜びは一切感じられなかった。


 むしろ怒りや憎しみといった負の感情を抑えてようやく呟いたような、そんな口ぶりだった。

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