6、ゲオルグside

「申し訳ありません」


 馬車に乗った途端にキオートが謝罪をしてきた。

 興味がなかったのでそちらには目もくれず、俺はただ馬車の外を見続けていた。



 あの娘。

 フリッカと呼ばれた、あの小娘。



『騎士の命である剣を子どもに向ける人間の大義なんて、見向きもされないわよ』



 まったくもって図星だった。

 図星だからこそおかしいのだ。


 10歳にも満たない田舎の小娘が、どうしたらあんな発言をするようになるというのか。

 

 彼女は堂々としていた。

 自分の考えに自信を持ち、伯爵相手にも挑戦的な眼差しを向けて。



 ――フリッカ、か。


 まさかその名前が俺の知る彼女以外につけられているとは思わなかった。

 冷静になればそういうこともあるのだろうとは思うが、その響きを聞くと目の前が真っ赤になる。


 フリッカはこの世で一人だけだ。

 バナヘイムの天才、フリッカ・コロンナだけ。

 それ以外の人間がフリッカと名乗るなどおこがましい。


 こちらの計画に悪影響を及ぼすと思ったから一応かばったが、その名で呼ばれているのだと知っていたら助けなかったかもしれない。


 しかし、あの娘……俺のことを知っているような様子だった。

 そこへタイミングよくキオートが質問をしてきた。


「ところで、フェンサリル家の令嬢はあなたのことを『ゲオルグ』と呼んでいましたが……誰かと間違えたのでしょうか」

「おそらくそうでしょう。あんな子娘は知りませんから」


 「ゲオルグ」はバナヘイム留学時に名乗っていた偽名だ。


 俺の実家は爵位で言えば大したことのない子爵家だが、ミドガルズ帝国の建国前から続く“由緒ある家柄”として懐古主義の貴族たちに妄信の対象とされていた。


 父も兄も意識だけは尊大で、俺はそんな実家に気味の悪さを覚えていた。いずれ過激思想の貴族たちに利用されるのではという予感もあった。


 結局、今回の内乱で悪い予感は当たってしまったが。


 「古くから続く貴族の血こそが貴く、至上である」という懐古主義が皇帝周辺を巻き込み、地位の低い貴族や騎士男爵家を弾圧することになった。

 父や兄が今もその弾圧に加担していることに対して、俺は知らないふりをしている。


 そういったしがらみがバナヘイムまで及ばないようあらかじめ考えていた偽名だったが、俺にとってはこの名で呼ばれた時間のほうが大切になった。


 帝国にはその名を知る者はいない。

 そのはずなのに、会ったこともない小娘に呼ばれたものだから不可解極まりない。


 まさか、俺の留学時のことまで調べ上げた者が皇帝側に付いているのか……?


 見たところあのフェンサリル家当主にははかりごとをするような能力はなさそうだ。皇帝側についている雰囲気も伺えない。


 だが、それもまたこちらを欺く罠なのだとしたら。


 俺は背もたれによりかかっていた姿勢を改め、キオートに告げた。


「フェンサリル子爵家について少々調べたいことがあります。密偵を出そうかと」



 俺のことを「ゲオルグ」と呼んだ子爵家令嬢。

 その名前がフリッカ。


 こんな偶然があるのだろうか。生まれ変わりも創世神話も信じない自分であっても、変な希望を抱きそうになる。


 たった1年。彼女と過ごしたのはバナヘイムに留学した1年間だけだった。

 けれどその1年間が俺の全てを変えた。


 あの日、俺が人生で犯した最大の過ちは彼女の傍にいなかったことだ。

 その罪の代償を支払うがごとく、今は暇つぶし同然の内乱に与(くみ)して日々の退屈さを凌いでいる。


 もしも俺の過去を漁った者が彼女との関係を踏まえて何か仕組んでいるとするなら、見過ごすことはできない。


 どうせ大した意味のない余生だ。存分に時間をかけて殺してやる。


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