8、ゲオルグside

「申し訳ありません」


 馬車に乗った途端にキオートが謝罪をしてきた。

 興味がなかったのでそちらには目もくれず、ただ馬車の外を見ている。


 だが彼がもう一度謝罪をしてきたので、無視するのもどうかと思い軽く息を吐いてから向き合った。


「まさか部下がこれほど軽率な行為に及ぶとは……。子爵を陣営に引き入れる貴重な機会を潰してしまいました」


「フェンサリル子爵家に大した力はありません。近隣の有力貴族を回ったついでに来ただけですし、皇帝側についたとしても大きな障害にはならないでしょう。むしろ、今後のことを考えてあの従者の処分を急いだほうがいい」


 殊勝にうなずくキオートは伯爵とは思えないほどに実直な男だった。

 彼の根っこは貴族ではなく騎士なのだ。


 俺のような子爵家の人間……それも当主でもない男の発言を尊重するなど、身分こそが人間の価値と考える帝国貴族の社会では考えられない話だ。


 いや、今はそんなことはどうでもいい。


 それよりもあの娘だ。

 フリッカと呼ばれたあの娘。


『騎士の命である剣を子どもに向ける人間の大義なんて、見向きもされないわよ』


 まったくもって図星だった。

 図星だからこそおかしいのだ。


 10歳にも満たない田舎の小娘が、どうしたらあんな発言をするようになるというのか。

 

 帝国は首都周辺の中心部と辺境部の知識格差が激しい。

 山間部であのような考え方をする人間がいるのも珍しい上に、そもそも年端も行かぬ子どもである。


 彼女は堂々としていた。

 自分の考えに自信を持ち、伯爵相手に挑戦的な眼差しを向けていた。



『歴史に学ばない者は馬鹿だけど、その愚かさがちゃんと記されている歴史書という本を読まない奴らはもっと馬鹿ね。為政者いせいしゃ全員が歴史書を読んだら、世の中は少しだけマシになると思うわ』



 ――かつて、歴史に学ばないものを愚か者とさげすんだ「フリッカ」と、同じ名前の少女。


 まさかが俺の知る彼女以外につけられているとは思わなかった。

 冷静になればそういうこともあるのだろうとは思うが、その響きを聞くと目の前が真っ赤になる。


 フリッカはこの世で一人だけだ。

 バナヘイムの天才、フリッカ・コロンナだけ。

 それ以外の人間がフリッカと名乗るなどおこがましい。


 こちらの計画に悪影響を及ぼすと思ったから一応かばったが、その名で呼ばれているのだと知っていたら助けなかったかもしれない。


 しかし、あの娘……俺のことを知っているような様子だった。

 タイミングよくキオートが質問を投げかけてくる。


「ところで、フェンサリル家の令嬢はあなたのことを『ゲオルグ』と呼んでいましたが……誰かと間違えたのでしょうか」

「……おそらくそうでしょう。あんな子娘は知りませんから」


 「ゲオルグ」はバナヘイム留学時に名乗っていた偽名だ。


 俺の実家は爵位で言えば大したことのない子爵家だが、ミドガルズ帝国の建国前から続く“由緒ある家柄”として懐古主義の貴族たちに妄信の対象とされていた。


 父も兄も意識だけは尊大で、俺はそんな実家に気味の悪さを覚えていた。

 いずれ過激思想の貴族たちに利用されるのではという予感もあった。


 結局、今回の内乱で悪い予感は当たってしまったが。


 「古くから続く貴族の血こそが貴く、至上である」という懐古主義が皇帝周辺を巻き込み、地位の低い貴族や騎士男爵家を弾圧することになった。


 父や兄が今もその弾圧に加担していることに対して、俺は知らないふりをしている。


 そういったしがらみがバナヘイムまで及ばないようあらかじめ考えていた偽名だったが、俺にとってはこの名で呼ばれた時間のほうが大切になった。


 帝国にはその名を知る者はいない。

 そのはずなのに、会ったこともない小娘に呼ばれたものだから不可解極まりない。


 まさか、俺の留学時のことまで調べ上げた者が皇帝側に付いているのか?


 見たところあのフェンサリル家当主にははかりごとをするような能力はなさそうだ。皇帝側についている雰囲気も伺えない。


 だが、それもまたこちらを欺く罠だとしたら。


 俺は背もたれによりかかっていた姿勢を改め、キオートに告げた。


「――フェンサリル子爵家について少々調べたいことがあります。密偵を出そうかと」


 俺のことを「ゲオルグ」と呼んだ子爵家令嬢。

 その名前がフリッカ。


 こんな偶然があるのだろうか。

 生まれ変わりも創世神話も信じない自分であっても、変な希望を抱きそうになる。


 たった1年。彼女と過ごしたのはバナヘイムに留学した1年間だけだった。

 けれどその1年間が俺の全てを変えた。


 あの日、俺が人生で犯した最大の過ちは彼女の傍にいなかったことだ。


 その罪の代償を支払うがごとく、今は暇つぶし同然の内乱に与(くみ)して日々の退屈さを凌いでいる。



 もしも俺の過去を漁った者が彼女との関係を踏まえて何か仕組んでいるとするなら、見過ごすことはできない。


 どうせ大した意味のない余生だ。存分に時間をかけて殺してやる。

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