クソデブランデブーエクスプロージョン

川詩 夕

クソデブランデブーエクスプロージョン

 深夜一時、海を一望できる港に一台の型落ちセダン車が駐車していた。

 都会の騒々しい喧騒が静まる時間帯、真夜中のドライブを一通り楽しんだ後の小休憩。

 二人は車内のフロントガラス越しに真っ暗な海を無言で眺めている。

 一人は百貫デブの男、もう一人は鶏ガラの女。

 側から見れば非の打ち所のない超絶お似合いのベストカップル。

 二人は男女の関係となって今日でちょうど二年の歳月が経とうとしていた。

「ずっと我慢してたんだけどさ……話したい事があったんだ……」

「話したい事? なに?」

「その……僕はさ……実は……デブが好きなんだ……それも手加減なしのガチで凄いデブ……」

「はぁ?」

「だから……デブが好き……」

「私にもっと太れって言いたい訳?」

「違う……そうじゃないよ……そうじゃないんだ……」

「だったら何?」

「あの……別れて……欲しい……ごめん……」

「はぁ? 何それ?」

「別れる気がないのなら……僕の性癖に関する事一切を……つまりその……肉体的な浮気を容認して欲しい……気持ちの浮気はしないつもり……僕は……僕は凄いデブを抱きたいんだ……」

「お前、頭大丈夫か?」

「至って正常だよ……考えに考えを重ねた結果……これが僕の答えなんだ……」

「クソがよ、デブの分際で色気付いてんじゃねぇよ」

「細いとさ……きっ……騎乗位の時に……こっ……腰骨がゴリゴリと当たって痛いんだ……それに細い女は抱いてるという感覚が全くしない……ほんと……本当に物足りないんだ……」

「てめぇ大したテクニックも持ち合わせてないくせによ! ブヒブヒ気取ってんじゃねぇぞ人豚!」

「もう……別れよう……」

「てめぇ死なすぞ!」

「し……死なす……? ど……どうやって……? い……今この狭い車内でののしり合って殺しあいが始まれば……僕が勝利する事は十中八九間違いないと思うんだけど……」

「うぜぇぞ! チンの分際でよ!」

 運転席に座る鶏ガラ女は助手席に座る百貫デブの右頬を力一杯に殴り付けた。

「い……痛い……ねぇ止めてよ……痛いってば……」

「うるさい! 死ね! クソ豚!」

「止めっ……て……痛い……お願いだから……ねぇ……」

「死ね! 死ね! クズ! 死ね! 死ね豚野郎!」

「大人しく黙ってれば! こいつ! ブチ殺すぞクソアマが! 舐めてんじゃねぇ!」

 突然、百貫デブの鼻の穴が倍に膨らんだ。

 ブチ切れた百貫デブは肉々しく太い両腕をもりっと伸ばし、鶏ガラの華奢な首を両手でガッチリと掴んだ。

 鶏ガラは大蛇に首元を噛まれた小動物の様に短く高い悲鳴を上げた。

「ぴぐうっ!」

 理性のリミッターが外れた百貫デブは鼻腔びくうの奥底からうなり声を発し、鶏ガラの首をへし折る勢いで渾身こんしんの力を込めて締め上げた。

「デブの恨みは重いぞ! 恨みや憎しみってのは体重に比例するんだからな! ぶひひっ! 覚えとけ! 虫の様にいて命乞いしてみろよ! このしゃれこうべクソアマが!」

「ぐごっ! おごっ! ごどっ! づぶっ!」

 鶏ガラの華奢な首に百貫デブの指先がぐぢぐぢと沈み食い込んでいく。

 鋭い痛みがほとばしり、呼吸できずに嘔吐しそうな苦痛に耐えながら鶏ガラは懸命に右腕を前方へ伸ばし、車のエンジンキーを手先の感覚だけで辛うじてひねった。続けざまに車のサイドブレーキを掛けた状態のまま、顔を歪ませて右足で思い切りアクセルを踏み込んだ。

 百貫デブと鶏ガラを乗せた車は豚がむせび泣く様なエンジン音を響かせながら、前方へと急発進する。

 百貫デブは尚も喚き声を発して、鶏ガラの首を締め上げ続け、只ひたすらに目一杯の力を恨みと共に込めていた。

 十秒にも満たない時が経過した所で車の前輪に何かが激しく衝突した。

 二人が乗る車が一度、ガクンと激しく揺れ動いた。

 次の瞬間、豚と鶏を乗せた車は海面の数メートル上から真っ暗な海へと垂直落下した。

 車が海へとダイブする不吉な音と共に周囲に大量の水飛沫みずしぶきが舞い上がった。

「おぐうっ! ぶぴいっ! 何だっ! 何が起きたっ!」

 首の締め上げから解放された鶏ガラは、ゲェゲェと咳き込みながら無意識にアクセルを踏み続けていた。

「あぁ! 海に落ちた! ダアッ! ドアッ!」

 百貫デブは自らの死を意識したのか凄まじく醜い形相で車のドアを開こうとした。

 鶏ガラはアクセルを踏み込み海中の奥底へとドライビングする。

 車のドアは外側から海水の圧力がずしりと掛かり、ピクリとも動く気配は無い。

「ぶひっ! ぶびっ! ぶひっいいっ!」

 百貫デブはまるで繁殖期の豚の様な歓喜交じりの悲鳴を断続的に上げながら、車のドアガラスに向かって肘打ちをかまし続けた。

 しかし、先程の人間らしからぬ腐れ外道な行いが災いをもたらしたのか、車のドアガラスは無慈悲にも肉が打ち付けられる短く鈍い音を立てるだけだった。

 車の僅かな隙間という隙間から次々に海水が車内へと侵入を始める。

 百貫デブの重みが海水と相乗効果を持ち、車はズブズブと海底へ沈んでゆく。

「ぶひっ! ぶひひっ! ぶひひひっ! ぶひひひひっ!」

 百貫デブは虚ろな表情の鶏ガラの長い髪を右手に巻きつけて、左手を頭部に乗せた。

「割れろ! 割れろっ! クソアマの頭骨で! このドアのガラス! 叩き割ってやる!」

 鶏ガラの頭部が何度も乱暴にドアガラスへと打ち付けられたが、ドアガラスが割れる気配は一向になかった。


 ——ドチャ、ヌチャ、グチュ、ブチュ——


 鶏ガラの鼻骨と歯が折れ鼻血と折れた歯が飛び散る音が鳴った。

 頭部への過剰な衝撃が幾重にも続いた為、鶏ガラは血反吐ちへどを撒き散らし意識不明におちいった。

「くそくそくそ! 僕はここで死ぬのか! ちくしょうちくしょうちくしょう! こんなクソアマと一蓮托生なんて絶対にごめんだ! 僕だけは必ず生き延びてやる!」

 暗い海へと沈む車。

 車内は真綿で首を締めるかの様に酸素が薄れていく。

 過呼吸気味の百貫デブは全身から冷や汗を垂れ流し、徐々に絶望の淵へと追いやられていた。

「ふひっ! ぶひぃ! んびっ! ぶぬぬ! ふぬん! んんっ! んんんん……んんん……んん……ん…………」

 やがて、二人が乗る車の車内は海水で一杯に満たされ、海に飲み込まれてしまった。

 暗い海中を静かな水死体の様にのろのろと漂う車、海で暮らす生物にとってはなんの得にもならない甚だ迷惑な有害物質でしかなかった。

 ※

 スーツに身を包む二人の女性が白い手袋を装着しはじめている。

 一人は長身の長い黒髪に凛々しい顔付きの女性、もう一人は小柄で茶髪にパーマを当てたヤンチャな雰囲気が抜けない女性だった。

「先輩、私こういうの苦手なんすよ」

「誰だって苦手いやに決まってるだろ、特に土左衛門どざえもんはな」

「どざえもんって粋な表現すね、よりによって車ごと海へダイブかよ、ただの馬鹿じゃん、死ぬなら薬でも使って綺麗に死ねよ」

「おい、職務中だ、つつしめよ」

「すんません……」

 二人の女性は刑事だった。

 巨大なクレーン車が百貫デブと鶏ガラを乗せた車を海から引き上げられている最中だった。

 宙吊りの車から海水が滴り、朝焼けに照らされてあやしくきらめいている。

 陸地に運ばれた車からは得体の知れない異様な雰囲気が漂っていた。

 先程会話を交わしていたスーツを着用した二人の女性が車へと近付き車内を覗き込む。

「あれ……? 何も見えないっすよ……?」

「フルスモークか?」

 二人の刑事はフロントガラス付近から一度離れ、ぐるりと車の外側を一周して見て回った。

「先輩……これって……」

「フルスモークじゃないみたいだな」

 先輩と呼ばれる女性が隣にいる後輩の腕を強引に引っ張り、車から少し離れた位置から観察するように指示を出した。

 数分後、二人の刑事は何かを察した。

「こんな事がありえるのか、にわかには信じられないな」

「うっげ……グッロ……」

「思っていたよりもかなり酷い有り様だな」

「どうやって車内から引き出すんすか……これ……」

「分からん」

 破裂しそうな程に膨張し切った人間の皮膚。

 その人間の身体は肥大化し過ぎ、車に当てめられた全てに至るガラスの内側から外側へと、まるで人体の内臓が腹部にへばりついている様だった。

「クッソデブっすね……」

「ううむ」

「こんなクソデブ……どう処理しろって言うんすか……」

「ドア開けた時、肉が車体のどこかに引っ掛かると破裂するかもしれない」

「勘弁してくださいよ……クソデブの化け物じゃないすか……」

「よく見てみろ、二人乗ってる」

「えぇ……まじすか……」

 後輩が恐る恐るフロントガラスへと近付き、真正面から目を凝らして運転席と助手席を交互に見やった。

 足取り重く次は助手席側へと移動する。

 ドアガラスを凝視していると、人間の頭部程の大きな目玉が確認できた。

 白濁した目玉がぎょろりと動き後輩と一瞬目が合った。

 目玉はどろりどろりと前後左右にうごめいた後、目の前にいる後輩に焦点を合わせた。

「死んでんのか生きてんのか分かんねーけどよ、調子こいてガン飛ばしてんじゃねーよクソデブ」

 後輩が悪態を吐き助手席のドアを前蹴りした瞬間、唐突に車が爆発した。

 助手席のドアが勢いよく弾け飛び、後輩は陸地から海へと数メートル先へ豪快に吹き飛ばされた。

 清々しい朝焼けの中、周囲に血と脂肪の雨が降り、人間の肉片やら内臓やら骨が飛散した。

 先輩の顔面に血飛沫ちしぶきと人間の皮脂や抜け落ちた髪がベットリと付着していた。

「臭い」

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クソデブランデブーエクスプロージョン 川詩 夕 @kawashiyu

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