<11・逆転の一手をくらえ!>

 ズガアアアアアアアアアアン!と凄まじい落雷の音。白銀の光がビルの一室を満たした。衝撃で、僅かに残っていたガラスがはじけ飛ぶのが見える。


「ゴオオオオオオオオ!」


 真っ黒な巨熊の脳天に、稲妻は直撃したはずだ。しかし、熊は数秒動きを止めたに過ぎなかった。全身からぷすぷすと煙を上げながらも、倒れることなくその場に立ち続けている。

 やがて、ぎろり、とこちらを睨んできた。まったく効いていないわけではない。しかし、致命的なダメージには程遠い。


「ちょ、何あれ!?あの雷が効かねえの!?」

「くそっ……“Barrier”!」


 とっさに白亜がれもんの腕を引き寄せ、防御壁を張った。白亜とれもん、二人の体をドーム状に覆う発光。がつん!と壁を殴るような重い音がした。ダークネス・ベアが振り下ろした爪が、防御壁に激突したのだ。


「ぐっ……!」

「え、マジ?え、マジで、え?」


 思わず混乱するしかないれもんである。昨日戦ったレッドウルフのことを思い出す。彼らはバリアに激突すると同時に大きく弾き飛ばされていたはずだ。多分、単なる防御壁ではなく、相手の攻撃をある程度反射する機能も備えているということなのだろう。

 だが、今回の熊の殴打は、まったく弾き飛ばされている様子がない。レッドウルフの体当たりより、圧倒的に攻撃力が高いだろうことは明白だった。


――あれで殴られたら、怪我どころか一発で昇天だよなこれ……!?


 自分の顔面が抉られ、頭蓋骨が砕け、脳みそが噴き出す様を思わず想像してしまい身震いした。そんな死に方、死んでもごめんだ。ただ、このままバリアが壊されたら、いずれそのような未来が待ち受けているだろうことは想像に難くない。


「くっ……うっ……!」


 白亜は意識を集中させ、バリアを保ち続けている。それが気に食わないと言わんばかりに、熊はガンガンと両腕でバリアを殴り続けた。このまま行くと、熊の体力が持つか白亜の集中力が持つかの勝負になってしまうだろう。いくら白亜が魔王の生まれ変わりとはいえ、その力のほんの一部しか戻っていない状態。恐らく、体力勝負を仕掛けるには少々分が悪いと見える。


「た、耐えろ白亜!今……今なんか考えるから!」


 バリアを張って貰っている以上、この場から動けない。恐らくあのクマは、操り手である銀杏をぶっ飛ばせば消滅するか弱体化するだろうと思われる。しかし、仮にバリアに籠城している状態でなかったとしても、あのクマをやり過ごして銀杏を攻撃するのは至難の業だろう。

 そして、クマの攻撃力のみならず、素早さもかなりのものと見える。あの巨躯である以上すぐに後ろに振り返るのは困難かもしれないが、単純に腕を振り下ろしたり振り回す速度はかなりのものと見た。先ほど、雷が効かなかったことに驚いて隙を作っていたとはいえ――一般人より素早く動けるはずのれもんが攻撃を回避できず、白亜のバリアに頼ってしまったのがいい例である。

 あのクマを倒すには、なんらかの攻撃を当てなければいけないが。恐らく大きな隙でも作らない限り、近づいたら最後カウンターを食らってジ・エンドだろう。


――でも、バリアを解いて魔法で攻撃するのはあまりにも危険。


 さっき、このモンスターには雷が効かなかった。あの重たい獣毛に阻まれたような印象である。よくよく考えれば、銀杏とて前と同じ轍は踏みたくないはず。白亜の強烈な雷魔法が効かない獣を召喚しようというのは、実に理に適ったものだといえる。

 問題は効かなかった理由が“雷だから効かなかった”なのか、“魔法そのものが効かなかった”のか、自分達には判別がつかないということ。


「白亜、一つ教えて欲しいんだけど。魔法が効きにくいモンスターっていうのは、いるもんなのか?ゲームとかじゃいるけど」

「……いる」


 バリアを支えながら、どうにか白亜が答える。


「前にも言ったけど、俺は前の世界の記憶が全部戻ってるわけじゃない。ただ、そういうモンスターもいるっていうのは覚えてる。ダークネス・ベアがどうだったかはわからないが……魔法が効きにくいモンスターは大抵、物理攻撃には弱いケースが多い」

「てことは、あのデカクマもぶん殴れば倒せるかもしれないってことか」

「理論上は。でも、そんな簡単な話じゃないのは……くっ、お前もわかってるだろ」

「……そりゃな」


 魔王とは、あらゆる魔法を使える存在だったという。それは、銀杏も、勇者同盟のメンバーも知っていることだろう。だとすればそれを見越して、魔法耐性の強いモンスターを呼び出してくるというのは理に適っている。雷だけが効かないのではなく、魔法が効かないモンスターである可能性の方が高そうだ。

 実際、白亜は魔法は使えても、身体能力は小学生レベルであるはず。武器もない今、拳での殴打や蹴りのダメージなど微々たるものだろう。物理耐性が低いモンスターを召喚しても、さほどデメリットにはならないはずだ。


――物理攻撃は効く可能性が、ある。そして……白亜よりあたしの方が、はるかに強い物理攻撃ができるのは間違いない。


 あのクマの隙をついて後ろに回り、思い切り脳天に拳か蹴りを叩きつける。――できるだろうか、自分に。今まで精々、ヒグマレベルとしか戦ったことのない自分に。


――いや、出来るかどうか、じゃない。やるしかないんだ。でなきゃ……白亜のことも、あたし自身のことも守れない!


 そして、隙を作れるチャンスといえば。


「……白亜、聞いてくれ」


 ガンガンガンガン!と熊はバリアを叩き続けている。その音と、熊の大きな背中のせいで、銀杏には自分達の声も姿も良く見えていないはずだった。


「観察したところ、この熊には攻撃パターンがいくつかある。両腕で暫く殴打したあと、右腕を大きく振りかぶって体重乗せて叩きつけてくるんだ。バリアが破れないことで苛立ってんだろうな、右ストレート決める時、体が思いっきり前かがみになってる」


 空手でもよく見られる隙だ。強い突きを打とうと心が急くあまりに、どんどん体が前のめりになり、重心が前に寄ってしまうのである。

 こういう時、引き技を使われると落ちやすい。相撲などでは特に、手をついたらその時点で負けなので注意しろと言われる話らしい。つまり、打つ時は腕だけで攻撃しようとしてはいけない、下半身がついていくようにしなければいけない――と。

 こんな弱点、格闘技の経験者なら克服している者などいくらでもいるのだが。目の前の熊に、そのような格闘技経験などあろうはずもない。そこに隙があるはずだ。


「奴が次に右ストレートをぶちかましてきた時、バリアを解いて左に跳べ。あたしは右に跳んで、そのままあいつの背後に回り込む。恐らく、奴はバランス崩して前にスッ転ぶはずだ。あたしが後ろに回ってもすぐに振り返って反撃はできないと思う」

「ま、まさか」

「その隙にあたしが奴の脳天にきついのお見舞いしてやる。それしか勝つ方法はない!」

「正気か、危険すぎる!」


 絶対駄目だ、と彼は首を横に振った。そして。


「俺は嫌だ、れもんが怪我をする!死ぬかもしれない!自分が怪我をするよりそっちの方が千倍嫌だ!」

「白亜……」


 さっきの、白亜の言葉を思い出した。きっとあまり、感情を表に出すのが得意なタイプではないのだろう。ぐいぐい行くれもんに、面倒くさいと思った瞬間もきっとあったはずだ。

 それでも。れもんの心は、言葉は確かに彼に届いていた。れもんの体当たりに応えたい。その気持ちを、白亜ははっきりと示してくれた。

 だから。



『初めて出会ったんだ。あんなにも真正面から、俺にぶつかってきてくれる奴を。俺は……俺はあいつを、れもんを悲しませたくない。あいつと、あいつの友達がたくさんいる学校で……もっと笑ってたい。諦めたくない!』




 今度は、れもんの番だ。


「あたしは絶対成功させてみせる。絶対死んだりしない。約束する。……知ってるか?本当のヒーローってやつは、誰かを守って……ちゃんと自分も生き残るんだぜ」


 世界を救うために犠牲になるヒーローなんてごめんだ。

 そんなことをしたら、守ったはずの人達の心を守れない。命を守っても、心まで救えなかったら何の意味もないのだから。


「あたしを信じろ、白亜!」


 どっちみち、他に方法はない。白亜もそれは薄々わかっていたのだろう。やがて苦々しい表情で――それでも頷いてみせたのだった。


「……わかった」


 まるで、自分達の覚悟が決まるのを待っていたかのよう。巨熊のラッシュ攻撃が終わり、右拳を大きく振りかぶるのが見えた。

 姿勢を低くして、れもんは身構える。そして。


「今だ!」


 熊の拳がバリアに叩きつけられる寸前、白亜がバリアを解除した。


「!」


 手にぶつかる衝撃がないことに戸惑ったのだろう。熊の眼が一瞬大きく見開かれた、そんな気がした。二人同時に左右に跳ぶと同時に、熊の大きな体躯が前のめりに倒れた。思った通り。拳に体重を乗せ過ぎたせいでバランスを崩したのである。


「オオオオオオオっ!?」

「何っ……!?」


 顔面から倒れて悲鳴を上げる熊、そして驚く様子の銀杏。れもんは飛び上がり、熊の後頭部めがけて振り下ろす。

 拳が、キラキラと光を纏った。赤い、情熱の炎を思わす色の光。その言葉は、自然と脳裏に浮かび上がってくる。そう。


「くらえっ……“ブレイズ・ナックル”!」


 炎を纏ったような、熱い右拳が――熊の後頭部を叩き潰していた。ダークネス・ベアの固いはずの頭蓋骨が、まるで豆腐のように弾け飛んでいく。体が熱くて、とても軽い。これは、ひょっとして。


「よりによってここで……“拳闘士”だというのか……っ!」


 驚愕するような銀杏の声が、耳を打ったのだった。

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