<10・生きたいと願って何が悪い?>

 探しても探しても見つからなかったらどうしよう、とか。

 この商店街ではない場所に連れ込まれていたらどうしよう、とか。

 もしくはとっくに彼が殺されてしまっていたらどうすればいいだろう、とか。

 駆けつけてもまた、何もできなかったどうしよう、とか。


――あるいはそれこそ。二人まとめて殺されるだけだったらどうしよう、とか。


 そういう恐怖が、れもんの中になかったわけじゃない。でも今はそれ以上に、自分の信念に嘘をつきたくない気持ちが勝っていたのだ。

 ここで白亜を救えなかったら、自分は間違いなく一生後悔する。だったら微力だろうと無様だろうと足掻いて足掻いて足掻き抜いて、今自分ができる精一杯をやりたいとそう願うのだ。


――だって、そこで諦めたら……もうそれは、あたしじゃないから。


 老人に言われた通り、潰れた八百屋の角を曲がったところで――れもんの耳は誰かの話す声のようなものを聞きつけていた。子供の声。はっとして周囲を見回したところで、廃ビルの四階、で光がちらっと瞬いたのが見えたのである。あそこか、とれもんはビルの中へ飛び込んだ。田所ビル、と書かれたビルは看板の文字も剥げ、入口付近まで窓ガラスが散乱していた。かなり危ないが、結構がっしり系のスニーカーを履いているので大丈夫だと思うことにしようと決める。

 幸い、階段が崩落しているなんてことはない。ボロボロに錆びた手摺に触れないように気を付けながら階段を駆け上がり始めた。

 不思議だ。妙に感覚が研ぎ澄まされている。まだ距離が離れているはずなのに――白亜の声が、聞こえる。


「あんたが、悪い人じゃないってのはわかる。最後に俺を説得しようとしてくれたのも、あんたなりの最大の譲歩なんだろうってことも」


 だけど、と続ける白亜。


「そもそも、俺だって前世が魔王って話を信じ切れてないんだ。うっすらぼんやり記憶があって、一部の魔法が使えるってだけ。その記憶と力を封印してくれって言われても、どうにもならないことなんだよ」

「無茶を言っているのは百も承知だ。しかし、その場合君はこの場で死ななければいけないが?」

「それも絶対に嫌だね!……大体、今の俺には、世界をどうこうしたいなんて気持ちはこれっぽっちもないって言ってるじゃんか。どうして、殺されないといけないんだよ!」


 ああ、まったくその通り。階段を上がりながら、思わずうんうんと頷いてしまうれもんである。

 自分はまだ、少しばかり白亜と話しただけだ。でも、少なくとも今の彼は、大それた野望なんてもの持ち合わせてはいない。ただ、普通の小学生らしい生活を送りたいだけだ。ジョブだとか、魔王だとか、勇者だとかそういうことを気にせず。ただ普通に、当たり前の生活を送りたいだけではなかろうか。

 それを、前世が悪人だったから、なんて理由で終わらせられなければいけないなんて理不尽極まりない。だって、今の彼は魔王じゃない。ただの小学校五年生の男の子ではないか。前世に罪があっただのなんだの言われたって、記憶も人格も残っていないものを一体どうやって贖えというのだろう?どうやって悔いればいいというのだろう?あまりにも無茶が過ぎる話である。

 無論、自分達はまだ、真実の全てを知っているわけではないのかもしれない。

 本当の本当に、前世の白亜は酷いことをして、人をたくさん殺した魔王であったのかもしれない。

 だが、もしそうだったとしてもだ。


――それは、あたしが知っている白亜じゃない。……白亜は、白亜だ。魔王じゃない!


「俺は俺だ。あんたらの話が本当だとしても……魔王なんてもに上書きされたくなんかない。自分自身を諦めたくなんかない!いや……」


 まるでシンクロするかのように、白亜の声が響く。


「……ちょっと前までは、それでもいいかって思ってた。俺の前世にそれだけの罪があるなら、殺されても仕方ないかもしれないって諦めかけてた。人に迷惑をかけないで死ねるならそれでもいいって。でも。俺はもう、知っちゃったから」

「何をだ」

「決まってる。……生きたいって理由をだ」


 もうすぐ四階。あと少し、と思った刹那。

 衝撃的な言葉が。




「初めて出会ったんだ。あんなにも真正面から、俺にぶつかってきてくれる奴を。俺は……俺はあいつを、れもんを悲しませたくない。あいつと、あいつの友達がたくさんいる学校で……もっと笑ってたい。諦めたくない!」




 がちゃり、とドアを勢いよく開けていた。ほんの少し息が切れたが、それだけだ。れもんは室内に飛び込み、思わず叫んでいた。


「よく言った、白亜!えらいぞお前!」

「!?」


 まさか、追いかけてくるとは思っていなかったのだろう。白亜も、それから銀杏もぎょっとしたようにこちらを見る。にっ、と二人に笑いかけると、れもんは白亜の横に並んだ。


「あたしを除け者にすんじゃねーよおっさん。今回はよくもカマしてくれたな?」

「……橘田れもんか」

「あれ、あたし名乗ったっけか」

「昨日のあと、お前のことは調べさせてもらった。小学生とはとても思えない運動能力と格闘技術の持ち主だと。……やはり、お前を排除しなければ進めはしないか」

「排除だあ?やれるもんならやってみろよ」


 ぐっ、と拳を構え、男を睨みつける。


「今度はあたしと白亜、二人がかりだぜ。だから絶対負けねえ。小学生ナメんじゃねーぞコラ!」

「れもん……」


 少し戸惑っていた様子の白亜だったが――彼はもう、れもんに“逃げろ”なんてことは言わなかった。彼は頷くと、自身もうぐっと体を引いて構える。多分、魔法を打ち出しやすい体勢というやつなのだろう。

 無力だから、微力だから。それで逃げていたらきっと、いつまでも望んだ未来何て掴めない。諦めるのはきっと、死んでからだって遅くはないはずだ――なんてのは、大好きな漫画のヒーローの受け売りだけれど。

 自分達は負けない。相手が大人だろうが、勇者や正義の味方を名乗る奴らだろうが。


「……そうか。本当は、誰のことも殺したくはなかったんだがな。こうなってしまった以上、やむをえまい」


 銀杏はため息をつくと――昨日見たのと同じ、ぐにゃぐにゃに曲がった木の枝のような杖を取り出した。白亜が耳打ちしてくる。


「俺の予想が正しいなら。あいつは“獣使い”のジョブを持ってるんだと思う」

「ジョブって、魔王に親しい人間でなくても発現することがあるのか?」

「そうらしい。勇者の転生だとか言っていたから、そのせいかもしれない。モンスターを使役する系のジョブはいくつかあるが、その中でも獣使いは狼や熊といった動物を操ることに長けたジョブだ。状況に応じて召喚する獣の種類を変えることができるのが強みだが……召喚士とは違い、呼び出すのは血肉のある獣に限定される。そして、獣使いが自分の手で捕獲した獣でなければ使役することができないという制約があり……」

「え、えっと。なるべく簡潔によろしく」

「つまり、獣使いと扱う獣たちは強い絆で結ばれた連携攻撃が強みということだ。召喚士と違って、生涯の契約になるしな。獣たちは指揮官である獣使いの命令に極めて忠実に従う……気をつけろ。ただ、獣使いと獣は長距離離れることはできないはずだ」

「……わかった」


 そういえば、昨日今日と襲いかかって狼。一匹は今日れもんがぶちのめして気絶させたが、もう一匹と一緒に銀杏が逃げてもその場に残ったままになっていた。――学校から、旧商店街までは五百メートルそこらしか離れていない。そう考えると、元より獣が消えなかった時点で、銀杏が遠くに逃げていないことの証明になっていたのだろう。


「……お前たちの覚悟に敬意を表して、私も覚悟を決めることにしよう。……現れるがいい」


 しゅるるるる、と銀杏の後ろに控えていたレッドウルフが消えていく。どうやら、新しいモンスターを呼び出すためには前のモンスターを一度ひっこめなければいけないなどのルールがあるらしい。

 身構えるれもんと白亜の前で、男は高らかに叫んだのだった。




「いでよ、“Darkness-Bear”!」




 あの時と同じだ。黒いブラックホールのような渦巻が男の右手側に出現する。ただし今度は一つだけ。呼び出そうとしているモンスターは一体だけなのか、とほんの少しだけ安堵した。だが。

 よくよく考えて見ればこの状況で、レッドウルフより弱い獣を召喚するはずがない。

 黒い渦巻の奥、ぎらり、と赤井目玉が光ったように見え――次の瞬間、ぶわぶわとした毛に覆われた巨大な熊の手が、ぬうう、と突き出してきたのである。


「!」


 どすん、とビルの床の降り立ったのは。ビルの天井にまで頭がつきそうなほど、大柄なクマだった。二メートル、いや下手をすれば三メートルの背丈はある。横幅も大きい。みっしりとした黒い柔毛の下は、硬くてがっしりとした筋肉に覆われていることが伺えるほどの体格だった。

 目玉は赤く、耳は熊にしては大きくとがっている。そして、口は一般的なヒグマがそれらと比べてはるかに大きく、口裂け女を想起させるほどに避けていた。ぐるるるるる、と低いうめき声を上げる喉。鋭い犬歯を伝い、だらだらと涎が地面に落ちていく。


「く、クマさんなのに全然かわいくねえ……」


 思わずれもんが呟くと、それも当然だ、と律儀に銀杏が答えた。


「一般的なヒグマは雑食だが、こいつは純然たる肉食動物だ。自分より体の大きな熊やゴリラ、トラ系のモンスターまで喰らってしまう狂暴な生物。従属させるのは私もなかなか大変だったからな。こいつに襲れたら、まあ骨も残らず食い尽くされると思いたまえ」

「いい趣味してるぜ。だから、その前にサレンダーしろって?」

「その通り。そこの少年を差し出すのであれば、少なくとも君を殺す理由はない。熊に食い殺されて死ぬのは本当に痛くて苦しいものだぞ。それでも、ただの人間が戦うというのか?」

「当たり前だ!」


 怖くない、はずがない。それでもれもんは、怪物をまっすぐに睨みつけて吠える。ヒグマともバトルしたことがあるのだ、同じ熊ならこいつだって倒せない敵ではないはずである。


「白亜、一緒に戦うぞ!このおっさんにぎゃふんと言わせてやろうぜ」

「……ああ!」


 れもんの言葉に。白亜は右手を上げ、そして振り下ろしたのだった。まずは、あいさつ代わりの一発を。


「“Lightning-Vortex“!!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る