第6話
私はしばらくの間、高田を家につれてこれなかった。それは、文子に会わせたくなかったからだ。だが、なれてくると、またちょくちょくと高田を家につれてくるようになった。その間、文子に会わせないように細心の注意を払った。私は高田を連れてくるとき、まず、文子の部屋に行き、外から、文子に、彼氏くるから出てこないでと頼む。すると、文子はわかったといって出てこないでくれるのだ。
私は高田と過ごす時間にぬくぬくと浸かっていたのだった。
何ヶ月か立った後、高田が急に素っ気なくなったような気がして、私は胸騒ぎがした。文子に会わせていない。なのになぜ? 私に飽きたの?
私は高田に聞いた。
「最近冷たいね。なんで」
「そんなことないよ」
「あるよ。前はずっといちゃいちゃしてたのに」
「そうかな。かわらないよ」
「変わったよ」
高田は渋面になって、校舎の窓を眺めた。外は夕焼け空だった。黒いカラスが、夕日に赤く染まった雲の前を飛んでいく。
私はなにも知らないでいた。実は、高田と文子が私の知らないところであっていたなんて。
ある時、私は、スーパーに買い物に行った。すると、そこに、カートを押す高田の姿があった。声をかけようと思った。しかし、彼の隣に髪の長い女の姿があって、私ははっとした。私は動揺して呼吸が苦しくなった。隣にいたのは文子だった。なんで? 私は信じられなくて目を疑った。
二人は仲むつまじそうに話している。絶望が私の胸を塞いだ。よりにもよって、私の嫌いな文子と一緒にいるなんて。私は高田の裏切りに対する怒りがわいてきた。私は怒りで顔を真っ赤にして、つかつかと二人の前に歩いていった。
「なにしているの」
私の声は低く、震えていた。
文子は臆することなく私を見据えた。高田は、驚いて挙動不審だった。私は文子の態度が気に入らなかった。生意気だ。
「何でこの子といるのよ」
私は高田に怒りをぶつけた。
「近くであったから……」高田はうろたえながら言った。
「なあに、姉ちゃん、割り込んできて。せっかく楽しく買い物していたのに」文子は不平らしく言った。私はかっとなった。
「浮気だわ!」私は両目に涙があふれた。感情的になって、次々に感情の波が押し寄せて自分では止められなかった。
「ひどい、文子とデートしていたのね」
文子は楽しそうにほくそ笑んでいる。
「違うよ」高田はうわずった声で言った。
「文子ちゃん、ずっとひきこもりだったんだろ。リハビリでつきあってやってんだよ。社会にでる訓練」
「社会にでる訓練?」
は? なにそれ? 私はあきれたように繰り返した。
「何で一緒にいるのよ。私に断りもなしに」
「何で姉ちゃんに断らないといけないの。これはあたいと高田さんの問題であって、姉ちゃん関係ないじゃん」
「私の彼氏なのよ!」
「私が男だったらこんなヒステリックな彼女嫌だな」
文子の憎まれ口が私の怒りに火をつけた。
「私に飽きたんでしょ、そうでしょ! 文子の方がいいのね! もう大嫌い!」
私は勢いに任せて高田を振った。それで高田の未来が真っ暗になればいいと思っていた。私を失うことで絶望し、後悔すればいい。私には高田を苦しめる力が価値があるのだと思っていたのだ。
だが、それは思い違いだった。
数日後、頻繁に家を出て行く文子を不審に思って、私は文子に尋ねた。
「どこに行くの」
「高田さんの家」
私は心臓を鷲掴みされたように苦しくなった。高田の家。私だって行ったことはない。
「なんで」
「友達だから。別にいいでしょ。姉ちゃん怒らないでよ。高田さんと別れたんでしょ。大嫌いとかいって、高田さんショック受けてたよ。超かわいそう。あたいが慰めてあげなきゃ」
私は文子の髪の毛をわしづかんで、床に押し倒した。
「痛い! なにするのよ」
「泥棒! 淫売!」
私は文子の顔を爪でひっかいた。
「キャー!」
文子は手で顔を押さえ、洗面所に走っていった。おおかた鏡でも見るのだろう。ははは。そうよ。私は文子の綺麗な顔を傷つけてやった。怒りとショックで胸がどきどきした。私は泣きながら笑った。
ふと、私はこうして一人でじっと立っている自分が、耐え難い乱暴な気持ちで風船のように膨らんでいくのを感じた。文子に何かとても残酷なことをしたくなった。蟹が泡を吹くようにそれは体からあふれてこぼれるように広がる。
不思議と高田に対する憎しみは薄く、そのかわり文子に対する憎悪が激しかった。その真っ黒な気持ちで私はおかしくなりそうだった。
「殺してやるわ、殺してやるわ」
私は側に置いてあった鋏をとって、洗面所に早歩きで向かった。その一歩一歩が怒りに満ちていた。耳鳴りがする。目の前がクリアなはずなのに、血の色に染まっている気がする。
「文子!」
私は恐ろしく低い声で叫んだ。
「文子!」
文子は洗面所に居て、やはり自分の顔を見ていたようでミミズばれを撫でながら泣いていた。
「姉ちゃん酷いわ。あたいの顔に傷ができたじゃないの。絶対許さないから」
私はかっと頭に血が上った。
「絶対許さない? なんでなんでどうしてっ! あんたなんかにそんなこと言う権利ない! それは私の台詞だ! あんたにそんなこと言う権利ないんだから! いっつも、いっつも、私のものばかり欲しがって、私を不幸にして、嫌な気持ちにして、平気でいるんだから。何もかも奪って! そういうところ大嫌い。気持ち悪いっ気持ち悪いっあんたの性格全部嫌い! だいっきらい! 殺してやる! あんたなんか……」
私は鋏を握った手を振り上げた。そして、怒りのままに振り下ろした。それは文子の頭に刺さった。引き抜き、また刺した。血液がだくだくと傷口からあふれ、文子の美しい顔を染めた。文子が白目をむいて倒れると、私は文子の頸動脈を鋏でちぎるように切りつけた。勢いよく血があふれた。
放心したように私は赤い血の海の中に座り込んでいた。ちょうど留守だった母が買い物から帰ってくるまで私はそこで凍り付いていた。
母の悲鳴とともに私は我に返った。文子は青白い顔をして、死んでいた。私は冷静になって涙がこぼれた。
「はずれ券だわ、私って……文子がもっと早く自殺していれば、私はこうしなかった。文子が……文子が……私のせいじゃないの。違うの……どうして? 文子はどうして生きる希望なんて見いだしたんだろう。なんで私がいつも割を食うのよ」
信じられない。自分にこんなことができるなんて。
なんて私は残酷なのだろう。
殺すなんて、殺さなくても良かったじゃない。
「文子がね、私から私の人生すべての幸せを奪っていくような気がしたの。そして、私は暗い不幸な世界に捨て置かれて、味方もなく苦しむんだと思ったの。誰だって苦しいのは嫌だわ」
私は殺す権利があったの。今以上に文子が幸せになるなんて許せなかった。
生きていない人形のような死体を前に、私は自己弁護をする。そして、その弁護がすべて空虚に響く。
私は一人の命を奪った。固く冷たい人形にしてしまった。声をかけても返事は帰ってこない。口の利けなくなったこの人形は、誰をも恨んでいないような無の極地のような顔をしている。仏になると何もかも無になるんだわ。悪いところも良いところもなくなる。空っぽになるんだ。
「もう……何も考えたくない。怒りたくない。傷つきたくない。疲れたよ。ごめんね文子……私も行くから……」
憎悪の波は熱くて苦しい。そんな気持ち全部捨ててしまえ。
私は家を飛び出した。血塗れのまま。恐ろしい凶器となった鋏は振り捨てて。道行く人が全員私を見て驚いていた。
私は走り、そして、死を求めた。苦しい。自分が怖い。恐ろしい。文子への憎悪がなくなった今、自分が酷く汚らわしかった。
かんかんと遮断機の下りる音。
私は線路に飛び込んだ。
もう何にも怯えなくていいの。苦しいのはこれで最後だから。私は眠るように線路の上に横になった。やがて来る電車の滑車の音が耳の下で響いていた。
――おわり――
文子 宝飯霞 @hoikasumi
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