第4話

 高田は昼飯のカップラーメンをすすりながら、私に言った。

「お前のご飯をほおばっている顔が一番好きだ」

 そう言って、高田は目尻にしわを寄せて笑った。

 私はお弁当の白米を大きめに口に入れたところだった。恥ずかしいやら嬉しいやらで、私はくつくつとむずがゆい様に笑いながら、おかずの唐揚げを箸でつまみ、高田の口の前にもっていった。

「ラーメンだけじゃ、栄養たらないよ。からあげあげる」

 高田は嬉しそうに口を開けた。私は彼の口の中にからあげを押し込み、それが彼の歯並びの良い口によって咀嚼されるのをいとおしげに眺めた。お弁当は私が作ったものではなかった。母が作った物だった。私は母の味を高田に教えたのだ。すると、なんともいえない良い心持ちがした。

 私は高田に買ってきた牛乳を勧めた。からあげの味が濃いだろうと、なにか口の中が柔らかくなる物をと思ったのだ。高田は私の手から牛乳を受け取り二口三口喉仏を動かして、飲み下すと、私に返した。私は高田が飲んだ牛乳に口を付け、私も飲んだ。そんな私を見て、高田は嬉しそうに笑っていた。私も笑い返した。二人で食事をとる時間が楽しくて居心地良かった。このまま時間が止まってしまわないかと願った。

 今日は授業が早く終わる。外は雪が降りしきっている。

「今日さ、家においで。帰り」私は少し緊張しながら言った。私の緊張を表すように瞼がぴくぴくと痙攣した。

「いいの?」高田は驚いたように言った。

「お母さんにも彼氏できたって言っておいたから。来ても大丈夫」

「お前の家か。緊張するなあ」

「なんでよ」

「家族の人に会うのが恥ずかしい。俺みたいなのが行っても大丈夫なのかな」

 ネガティブになっている彼を慰めたくて私は強い口調で言った。

「私が大好きな人を私の家族が嫌うはずないでしょ」

 それで、高田は安心したようだった。

 学校の帰り道、二人で手をつないで歩いた。雪はやんでいた。だが、空は曇り空だった。吐く息が白い。高田の手は大きくて温かい。私は高田を家に連れていく緊張でどきどきしていた。文子が部屋から出てきませんようにと祈った。その祈りのために、私は寿命を一日分神様にお供えした。

 雪道を歩いていくうちに、空の雲が割れ、太陽がのぞきだした。明るい日が当たる。私は高田の顔を見上げた。端整な顔立ち。りりしい眉毛。寒さで赤くなった頬。

「可愛い。ほっぺた赤いよ」

 そう言うと、高田は私を見下ろしていたずらっぽく笑った。

「お前もな」

 高田の両手が私の頬を包み込む。そして、私たちは見つめ合い、小さなキスをした。

 私は嬉しかった。そして、ほこらしかった。高田が彼氏で良かった。

 家の前につくと、母が外で大きなシャベルを持って雪かきをしていた。

「あら」

 母は私たちを見ると言った。母はほほえみを浮かべている。

「私の彼氏」

 私は高田をそう紹介した。

「高田信宏っていいます」高田は緊張したように言った。

「国川淑子です。その子の母です。よろしくね。なんもないところだけど。あとでお菓子もっていくわね」

「全然気、使わなくてもいいんですよ」

 高田は固いまじめな顔で言った。いつになく真剣な顔の高田を見るのは新鮮だった。

「あんたこそ気つかっちゃやあよ。お菓子ぐらいださせてね」

 母はそう言って、毛糸の手袋をはめた両手を口に当てて、はあっと息をかけた。手がかじかんで寒いのである。

「いこ」

 私は高田の手をとって、家に入った。

「おじゃまします」

 高田は綺麗に靴をそろえて家に入った。二階の私の部屋に高田を案内する。文子の部屋の前を通るとき、私は思わず文子の部屋のドアを凝視した。そこは固く閉ざされていた。物音はしなかった。

 私は部屋を開け、中に高田を通し、小さいテーブルの前の座布団の前にすわらせた。部屋の中は寒かった。私は暖房をつけ、高田のコートを受け取って、壁にかけた。私もコートを脱いだ。ぶるりと私は震えた。

「ごめんね。寒いね。もう少しで温かくなるから」

「うん、暖房の暖かい風が顔にかかってる」

 高田はエアコンの風の吹き口を見上げて、かすかに笑った。

「ここがお前の部屋か」

 高田は部屋の中をぐるりと見渡し、ベッドの上を見た。布団がもみくちゃである。

「ここで寝ているんだな」

「汚いから見ないで」私は恥ずかしくて言った。

「可愛い部屋だな」高田は感想を述べた。

 母がお菓子とジュースを持ってきて、それを食べたり飲んだりしながら、部屋にあるマンガを高田は読んだり、私を抱きしめてくすぐったりした。私は集めている絵はがきを見せた。高田はおもしろそうに眺め、でこぼこした羊の絵はがきを私は高田にあげた。いつだったか、牧場に行ったときに売店で買ったものだ。高田は喜んでいた。

 私は高田にキスし、高田は私の頭をなでた。二人っきりで居る時間が濃厚で、私は隣の部屋に文子がいることなど忘れていた。

「トイレ貸して」

 私は高田に言われ、すんなりトイレの場所を教えた。高田が部屋を出ていく。私は気楽な姿勢で部屋に残っていた。お菓子を食べたりしながら、一人、くすくす笑ったり、温かく居心地の良くなった部屋でうっとりしたり。がちゃり、というドアのノブが回される音で私はぎょっとした。それは文子の部屋から聞こえた。文子が出てきた。高田とはち会うかもしれない。今出てきたらまずい。私は急いで部屋を取びだした。

「文子、今は出てこないで」

 何日ぶりに文子に声をかけただろう。何ヶ月ぶりかもしれない。

 文子は大きな図体を部屋の外に出していた。私は無理矢理彼女の体を元の部屋に押し込もうとして、抵抗にあっていた。

「なにするのよ。やめて」文子は非難がましく言った。

「彼氏がきているの。出てこないで」

 私は彼氏にばれる怖さで半泣きになりながら訴えた。

 ふとみると、階段の途中まであがってきた高田が私と文子のやりとりを呆然とみていた。私は真っ青になった。見られた。秘密を知られた。文子は一瞬凍り付き、急いで部屋の中に入っていき、ばたんとドアをしめた。

 醜い物を見られた。恥ずかしい。私は泣きそうな顔で高田をみやった。

「誰? お姉さん?」高田は言った。

 お姉さんだなんて、あんな大きな体ですもの。私より年上にみえたのね。

「妹よ」

 私は言った。私の声は氷のように冷たかった。

「妹……」高田は苦笑いした。「にてないね」

 私は羞恥で顔が赤くなった。ああ、文子と血がつながっているなんて、あんなこ妹じゃなきゃよかったのに。汚い服を着て、不潔で、臭くて、豚のように醜い文子を見て、高田はなんと思っただろう!

 隣の部屋に人がいるとわかると、高田は静かにしなきゃと思ったのだろう。あまりしゃべらなかった。だが、優しく私の体を抱きしめた。

 私は何だか涙がでてきた。

「なに泣いているの」高田が心配して言った。

「なんでもないの」

 私は無理をして笑った。

 高田が帰ると、私は母に泣きついた。

「お母さん、文子なんか追い出しちゃってよ!」

「まあ、なにを言うの」

 私は、高田に文子を見られたことを言った。母は気の毒そうに私をみやった。

「でも、家族なのよ。追い出すなんてできないわ。あんたも文子を気の毒に思わない物なの? あの子にだってきっと考えがあるんだから。姉なら妹を励ましてあげたらどうなの」

 慰められると思いきや、逆に文句を言われ、私は憤慨した。

「嫌よ、何で文子が居るのよ。私の人生あの子のせいで恥ずかしいわ」

「文子が居るくらいであなたの人生が汚れる事なんてないじゃないの。文子のせいであなたの人生が振り回されているように感じるなら、それはあなたの人生がぱっとしないからだわね」

「なんでお母さん私の見方になってくれないの。私は今日傷ついたのよ!」

 私はわっと泣いた。

「あなたの大切な妹じゃない。恥なんて思っちゃだめよ」

 母はなだめるように私の背中をなでた。私は嗚咽しながら、いやいやと肩を揺すぶり、

「大切なんかじゃないわ」

 苦しくて、胸が切なかった。

「私は妹なんていらない!」

 私は燃えるような瞳で母を見据えて言った。母は気圧されて、たじろいだ。

「あなた、性格悪いわよ。そういうこというの」母は上品に口を押さえて不快そうに言った。

 いらだちが私の中を駆けめぐり、口からめらめらとした炎が飛び出してきそうだった。

 私は文子が大嫌いだ。本当に、本当に。

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