第2話
私は学校で過ごしていると、あたりの景色がよく見えた。誰が誰を好きだとか。主に恋愛ごとでいっぱいだった。私は、そのころ好きな人などいなかったが、妙に視線の合う男子がいた。私のことをちらちら見ているようで、気づいたら後ろに立っていたりなどした。私は不思議に思い、その彼、高田といったが、高田と目があったときに、目を逸らさずじっとみてやったことがあった。すると、高田は耳を赤くし、みるみる頬まで赤くなった。私のことが好きなんだ。私はそう思うと、胸が高鳴り、暖かくしびれるものが脳の中心に垂れ流れた。私はそのころから休み時間などに図書館を利用するようになった。すると高田も図書館にくるようになり、遠くから私を盗み見ていた。私は難しい本を読む不利をして、高田の動向をうかがっていた。私は自分が好かれていると思うと心地よかった。
しかし、学校でついみだらな真似をしようものなら、容赦のない学生たちがいたので、私はこの事態を静観していたのだった。
私が学校を下校中、振り返ると、高田がいた。私はわっと胸が高鳴った。どうしているのだろう。同じ帰り道なんだ。偶然か得る時間が一緒になったのだ。ほかにも帰る生徒はいた。私はどうしたのだろう。緊張して、音も空気もなにもわからなかった。自分がどんな風に呼吸しているのか、考えてみたが、それよりも車がピューピュー流れていく景色を不思議に思った。
「あの」
振り返ると高田がいた。私は、息が止まって、真っ赤になった。
「一緒に帰らない?」
高田は私の反応に気をよくしたようで、しかし、それを悟られないように、まじめ腐ったように言った。
「うん」
私は言った。なにを言ったろう。取り留めのないことをはなした。難しい本を読んでいたねなんてきかれて、私は本当は読んでいなかったのに、読んだふりをしていたのに、返す言葉がなくて曖昧に笑って、話を濁して、あなたは何の本読んでいたのなんて聞いて、彼だって本なんて読んでなくて、本を読むふりをして、私を見ていたのだから、真っ赤になってなにもいえなくなって、気まずくなって、それが、おかしくって、空を見て、夕日きれいだねとかいって、二人の時間を美しく彩ったりした。
私は高田と下校を共にするようになった。いつしか、放課後、少し窓際で雲や、そとの下校する生徒の頭などを見ながら話をした。はなすことは何でもない事だった。お昼のお弁当の話、高田はソーセージが挟まったパンを二つも食べると言った。私はお弁当を母に作ってもらうのだと言った。お弁当の中身は、ごはんにごま塩をふって、梅干しをのせたのに、カボチャの煮物、唐揚げ、ウィンナー、プチトマト、ブロッコリー、切り干し大根のにもの、それから、フルーツ、バナナだったり、リンゴだったり、みかんだったり。高田はうらやましそうにその話を聞いていた。
「俺、お母さんいないから」高田は言った。「離婚してんだ」
「でも新しい母さんはいる。だけど、俺はその人のこと母さんなんて思いたくない。俺さ、小さい頃虐待されてたから」
高田の目は潤んでいた。これ以上いえない。傷つけられたくない。何者にも。という気概を感じた。
窓の縁に置いている高田の白い手が小刻みにふるえていた。
あ、この話するの、勇気いったんだな。私だから話してくれたんだ。私はそう思うと、にわかに感動し、のどに空気の固まりがこめられるのを感じた。私は、高田の手に自分の手を乗せた。高田より少し小さい手。自分が女だと意識させられる手。高田の手が神経症的にぴくりと動いた。私はだまってその手を包んだ。ちらちらと熱いものが顔にかかるのを感じて、私は、手元から高田の顔に視線を移した。さっきから高田は私の横顔をじっと見つめていたのだ。とろけてしまいそうな、潤んだ優しい目だった。
「好きです。つき合いませんか」
急に敬語になって、畏まった調子で高田は言った。この言葉を口にするのが恥ずかしかったのだろう。人の言葉のように、誰かが言った言葉をそのまま口にするかのように言った。私はついおかしくなって笑った。
ぱっと高田の顔が急に朱の色を増した気がした。笑ったことで、侮辱されたと思ったのかもしれない。彼は真剣なのだ。笑ってはいけないのだ。
私は慌てて真剣な顔になって、高田の瞳をみすえ、
「はい」
と、また誰かの言葉を借りるみたいに敬語で答えた。
私と高田はつき合いだした。雨の降る中を二人で一つの傘を差して、肩を寄せ合って、ときどき肩を互いの肩に、腕にぶつけながら、ふれることの喜びを味わいながら歩いた。
下校時に近くの公園のベンチで二人、時間をつぶした。目の前の噴水の水しぶきが高く伸びたり縮んだりするのを眺め、木々の緑が西日で淡く光のを眺め、夕日が銀色の雲の縁を銅のように染めるのをみた。
いつ頃か、二人でいるときは、手をつなぐようになった。高田の手はひんやりとして湿り気を帯びていた。そんな手が愛しかった。
真っ青な空の色の夏が終わり紅葉の秋がきて、寒くて白い雪の降る冬がきた。私たちは暖かいところで共に過ごすことを欲していた。
私は家に引きこもりの妹がいるので高田を家に連れ込みたくなかった。だが、高田は尚のこと、養母がいる家に私を連れ込みたくなかったようだ。私は高田と過ごす時間を大切にしていた。その時間が少しでも増えることを願っても、減ることは願わないのだ。高田だって同じだ。私と過ごしたいのだ。それを彼の言葉や触れる手から痛いほど伝わってくる。文子はどうせ部屋の中から出てきやしない。私は知られたくない秘密を無理矢理安全だという意識にほっぽりだした。私は高田を家に連れて行くことにしようとした。そう心に決めていた。
放課後、私と高田は、学校の一階の階段裏の椅子や机など不要なものが押し込まれている小スペースに入り、しゃがんでお喋りをした。
私は、どこどこのお店のクレープが美味しいという話をした。
「俺、お小遣いもらってないんだ。バイトも禁止されてる。そんなことより大学に行く勉強しろと、家を辱めるなってお父さんの命令でさ。金があったら、お前と行けたのにな。ごめんな」
「いいよ、私がおごるよ」
「いや、男が女に奢らせるわけにはいかないだろ」
そう言って、高田は柔らかく優しく笑った。
そして、私の手を握り
「いいんだ。どこにも行かなくても、美味しいものが食べられなくても、お前といられれば幸せだから」
彼が私を純粋に愛していて、大切にしてくれている、そう思うと、私はありがたくて、感謝の気持ちがわいた。そして嬉しくて、胸がじんとした。
校舎の外にでると余りにも寒い午後だった。空は灰色に曇り、落ち葉のような大粒の雪が降っていた。地面には白い雪が足首くらいまでつもっていた。私は傘を差して、高田と岐路を共にした。私がいつものように自分の家に行くと思っていたら、高田がいつも送ってくれていたのだ。そうではなくて、高田は「こっちいこ」
と言って、私を導いた。歩道橋を渡り大きい道を歩いた。私は初めて通る道が新鮮だった。どこに行くのだろう。そう思っていると、高田は大きな一軒家に私を案内した。煉瓦の塀の赤い瓦屋根のお家。
「ここが俺ん家」
そう言って、高田は立ち止まった。私は家を見て、きれいねと言った。
高田はしばし何か言いたそうに私を綺麗な黒い瞳で眺めていたが、私がだまって見返すと、ふいと顔を背け、
「帰ろう」
と言って、道を戻りだした。私は傘に吊られるように高田にくっついて歩いた。彼の家の門は固く閉ざされていた。私は高田の気持ちが分かった。自分の住処に私を連れ込みたいのにできない。その辛さ。私の指は寒さでかじかんでいた。指の感覚がないくらいだった。暖かい私の家に高田を連れていきたい。私は思った。私の部屋のにおいを彼にかがせたい。彼に私のにおいを、しみをつけたい。この日はやはり言いにくくて、私の家につれていけなかった。
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