ダンス・ホールに御招待





「こら、エド!今日はあの虫の図鑑を修正するんでしょう!何をずっと布団にくるまってるの、起きなさい!」


ぱん、ぱん。小さな手で握る布団叩きが、寝台に丸まったままの少年を布団の上から叩く。だが、様子がおかしい。ただ、寝ぼけているわけでも無さそうだ。


「うん…うん」


わかりやすく一言で言うならば、うわの空、だ。そのまま、気が抜けた様子で、布団から這い出てくる少年を、ロザリィはじいと眺めて。そうしてから首を一人でに振ってから、ひとまずは食卓に行かせた。何はともあれ、腹を満たさねば人はまともに思考が出来ないのだから。


あいもかわらずに、うわの空。

食器を漫然と動かして、いつもならあり得ない、落とすことすらしていた。その瞬間のみ、気を散らしてすまない、と戻ったようだったが、結局その後にまた再び、気を散らす。



「で、どうしたの?

あなたらしくないわよ、エド」


「…そんなことは、ないよ。

むしろこうしてねじくれていじける姿ばかりを見せてるしこうしていた方がボクらしいまで、あるだろ」



ふうん?と、首を傾げてから、何も言わず。

くい、と。そのひねくれた態度を取る、少年の手を引いた。朝食を終えて、腹ごなしのティーも飲まずに再び、寝台に行くのはとても自堕落な人間のようで、また無作法に近しい。


だけれど、それを誘導したのは、いつもはそれを口煩く咎めるロザリィであり。そしてエドもまた、いつでも振り払える、脆弱な人形の力になすがままでいた。


ベッドの上。

きしり、と軋む音と共に少年が座る。

その膝の上に、人形は向かい合うように座った。

その唇が、ごつついてきた喉仏に触れるくらいに。その腕が、発達してきた腰に巻きつくように。そして、その脚が捕えるように、脚と脚の合間に潜り込むように。


何も言わなかった。

何か隠している事を言え、だとか、隠すなんて百年早い、とか、そんな事を言わないでとかのような慰める言葉も。ただ何も言わずに、じっとその状態のまま動かすに、身を委ねるように静止していた。

ただの、人形のように。


だから、こそ。

エドは次第にその乾いた感触を、初めは弱々しく。そしてから、震えながら強く抱きしめた。そうしてはっ、はっ、と浅く呼吸を吸いながら、吐露し始める。



「ロザリィ…ボク、ボク、社交界に、招待されたんだ。封蝋の付いた手紙で、恐ろしく丁寧な言葉で」



まだ、喋らない。それでよかった。

だからこそ、ゆっくりと、その自分がした発言を改めて嚥下して、そうして受け入れることが出来た。


彼が書き直した図鑑解説、そして知識と確かな観察に基づいた慎重で丁寧な中身は、いつからか静かに、そして確かに評価されていった。若き学者として頭角を表しつつあったエドの名は知る人ぞ知るものであり、その名が、望まぬとも広がっていっている真っ只中だった。

その最中に、まだぼろけたこの館に届いた手紙が、それ。社交界への誘いだ。



「……嫌だ、嫌だ嫌だ出るもんか!どうせ馬鹿にされるに決まってる!こんなの、意図なんてわかりきってる!なんの後ろ盾も無く未熟で馬鹿でまともな教養もない餓鬼を引っ張り出して晒し上げて、そうするに決まってるんだ!調子に乗るなって、釘を刺すためだけの嫌がらせだ!畜生、畜生、くだらない!こんな、こんな…!」



実際のところ、その通りのものだった。

これはつまり、嫉妬や若さを下に見た者たちが羨んで、蹴落とそうとして、身分違いの分不相応な若者を無理矢理引っ張り出して、のこのこと現れたものを嘲り倒そうとするだけのもの。その見込みは正しく、そしてそう現実を解るだけの理知を身につけていた。


じっ、と。見つめて。

横になってその身体にのしかかって。

顎を緩やかに、掴んで、顔を向かせて。

ロザリィは、エドをその全てで観た。

そうしてから、漸く口を開いた。



「私がここに来て、どれくらい経ったかしら?まだ、そんなに経ってないと思ってたのに…随分と、大きくなったわね。エド」


「……な、なんの、話だよ。急に」



突飛に、関係のない話をされ、面食らう少年を尻目に、ロザリィはその胸板に、喉仏に、そして、少しずつ低くなりつつある声を改めて聞く。なるほど、貴方は気付けば、こうまでなっていたのね。そう、思った。



「確かにそうかもしれない。でも、こうとも思わない?そういう、くだらない人間たちの鼻をあかすチャンスじゃないか、って」


「あなたの父親が不遇のまま死んだその汚名を晴らして、貴方が脚光を浴びるの。引き摺り下ろそうとしてきたその手を利用して、貴方がその主役になって、スポットライトを浴びる…どう?楽しそうだと、思えない?」



「…そんな事…できるのかな」


「うん。私が会った頃の貴方なら絶対に無理だった」


「会った頃の、ボクか」


「うん。でも、今の貴方なら大丈夫。

それとも、私が信頼できないかしら?」



はぁ、とため息をついて。

かたりと人形を、掲げるように上にあげた。

赤子をあやすように。


「我ながら、単純だよな。君にそう言われると…

ああ、ボクもそんな気がしてきた。ボクよりもボクを見てくれている君が言うなら。このこれを、見返してやることが楽しくなってきたような気すらする」


そうしてぐっと、ベッドから立ち上がり。

晴れやかに、とまではいかなくとも、だけどそれでも、気合を入れて目を開けた。


「それなら、それに向けて何からすればいい?ボクにだって、足りないものだらけなのはわかる。お願いだ、ロザリィ。ボクにそれを教えてくれ」


「うん。そうして不足を知ってすぐに頼めることは、とても良いことだわ。では、まず……」



「ダンスレッスンをしましょう」





……




この館の無駄に大きな居間を、荷物をどかしてスペースを確保する。そうすることで即席のダンス・ホールが出来上がる。格好を整えて、蝋燭に火を灯して、昼よりも明るげな空間を作ったその中に、一人と一つが足を踏み入れた。


練習とはいえ初めてのことに、肩に力が入ってしまっているその少年を、またあやすように人形の彼女が見上げるように彼を笑う。

恥ずかしげに、一度咳払いをして。エドはその笑みに対抗するようににこりと笑ってみせた。



「…ダンス、なんて。

ボクには生涯縁のないものだと思ってたよ」


「あら、早いうちに悟った気になっちゃだめってことね。いい教訓になったじゃない」


「は、そうだな。…全くもってその通りだ」



しみじみと、自らの掌を眺めてそう言う。

エドは、きっと自分の人生を呪って終えていたのだろう。もう一つの呪いが、その呪いのドールが無ければ。だけれど今はそういうことは、微塵も考えない。前に進む事を考えられている。それが、出来るのはつまり──



とん、と前に躍り出た、彼女を見る。

金の髪は幾つもの蝋燭の灯りを受けてきらりと光り、夕闇の中を照らすようだ。服装は、出会った時と同じゴシック服。ダンスのためのドレスは用意できなかったが、そのままで十分に華美で、豪奢だ。


ああ、と永遠の少女を眺める。

彼女が変わることは、無い。



「少し、背の高さは合わないけれど。ちゃんとしたレディとして扱ってくださる?ジェントル」


「こちらこそ、よろしくお願いするよ」



手を取り合って、足を動かして。

相手の動きに合わせてこちらも横に。

スライド、ターン。スロー、スロー、クイック。

ぎこちなく、それでもなんとか動いて。

わん、つう、すりい。

わんつう、すりい。



「君は、本当になんでも知ってるんだな。

ボクは教えられてばかりだ」


「私だって、最初は知らなかったわよ。

だけど一緒に習ったの。前の人と、ね」



そう言った瞬間に、人形を握る手に力が籠る。

ロザリィは痛みを感じない。だけれどもし人間だったのなら、それに痛痒を感じ、あざが残るような。そんな力でのものだったと感じた。だからこそ、足を止めずに、その掌に力を込めた少年に、静かに囁いた。

愚かな、可愛らしい少年に。



「…くす、くすくす。嫉妬したの?

貴方より前に私を持ってた、その人に。

しょうがないじゃない。私は人形。

人形はつまり、色んな人に渡るものよ」


「あら、そう怒らないの。

そうれ、わん、つう、すりい。

そうそう。そうして、息を乱さないの……」



即席の、ダンスホール。

その中で、ゴシックドールと小さな主人はその手を取り合って、一晩中踊りあった。

その姿は、それこそ、人形で遊ぶようで。

ただの、ままごとのようだ。


そのままごとに、心まで奪われている事など、とうにわかりつつ。それを止める理由ももう無いのだ。

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